【幕間】鸕野皇女の逡巡
溜まった幕間(の案)を吐き出しております。
少しスッキリしました。
飛鳥京に居る鸕野皇女様視点のお話です。
(※一人でいる時の言葉は昔のままです。そして大海人皇子とご一緒の時には精一杯背伸びしております。)
◇◇◇◇◇
お祖母様の御葬儀の儀が恙無く執り行われ、お祖母様の御遺体を陵墓へと納め、日一日とお祖母様の事を思い出す事が減ってきておる。
やはり妾は冷たい女子なのじゃろうか?
葬儀の儀ではあんなにも涙が出たのに、今では目頭がジンとするだけで涙は出なくなった。
想い返す事すら少なくなってきた事に、自分の浅ましさを感じる。
旦那様がかぐやの捜索を始めたと聞いて、かれこれ1ヶ月なろうとしている。
しかし未だに何の音沙汰もなかった。
旦那サマに聞いても全く取り合ってくれぬのじゃ。
そんなある日の事、突然の知らせがあった。
『建皇子の遺体が見つかった。
亡き斉明帝の強い要望につき、共に埋葬されたし』
父上の簡素な木簡と共に、木棺が送られてきたのじゃ。
その棺の中には……白い骨となった建がいたのじゃ。
もう涙などでないと思っていた目からぶわっと涙が出てきた。
「建~~!!」
妾の記憶にある建と同じ背丈、同じ大きさの髑髏が他の誰でもないと、妾の直感が申しておる。
やはり一緒だったかぐやも……。
今思えば、不憫な弟であった。
かぐやが言うには、建の緘黙は精神の奥底に引っ掛かりがあるため、頭で考えた事を喉を震わせ声にすることの出来ぬ病なのだそうじゃ。
それが故に、本来であれば将来帝となる血筋でありながら実の父に蔑まれて息子として扱われなかった。
その反動か分らぬが、お祖母様の斉明帝は建をことのほか可愛がった。
しかしお祖母様ですら建の緘黙は悩みの種じゃったらしい。
そんな苦境を救ってくれたのがかぐやじゃとお祖母様から聞いた。
建の事を唖と蔑まず、ありのままの建を受け入れてくれたのじゃ。
そして建が緘黙であることを白知ではないと言い切り、別の才能を見出したのじゃ。
妾も共に後宮で過ごし慣れてくると、建は意外と表情が豊かであることも分かってきた。
妾の絵を描いてくれた時は心の底から嬉しかったのに。
もっともっと絵を描いて欲しかった……。
木棺に突っ伏して、妾はずっと泣いていたのじゃった。
◇◇◇◇◇
小市岡の陵墓に建の遺骨が納められ、また日常が戻ってきた。
しかし親しい者達が居らぬ日常とは何とも色あせて見えるものなのじゃな。
最近、旦那サマは公務が忙しく妾の相手をしてくれぬのじゃ。
かぐやの事を聞こうとしてもはぐらかされてしまう。
一体どうしたのじゃ!
日に日に募る不満に妾の忍耐も尽きそうじゃ。
そう思っていたある日、付きの者から問い合わせが来た。
「鸕野様、宜しいでしょうか」
「何じゃ言うてみよ」
ついイライラのために言葉が厳しくなってしまう。
「はい、大伴様より鸕野様宛てに木簡が届いております。
しかしこれをお渡しして宜しいのか判断が付きかねております」
「妾に渡していいか悪いかは妾が判断する。
持って来やせ」
妾がそう言うと、付きの者はそそくさと布に包まれた木管を持ってきた。
「見る前に聞いておきたいが、何か怪しげなものが書いてあるのかや?」
すると、付きのものは、おずおずとこう申したのじゃ。
「もしかしたら呪詛かも知れません。
尚書の千代様にお伺いしましたが、このような物は見たことがないと。
くれぐれもお気を付け下さいませ」
「分かったのじゃ」
呪詛という言葉に少しだけ慄きながら、布を取り払った。
するとそこには十枚ほどの木簡があったのじゃ。
その一枚を目にした時、妾の心に雷が堕ちたかの様な衝撃が走った。
この文字は……平仮名。
一度だけじゃがかぐやが教えてくれた文字じゃ。
つまりこの文字を書いた主はかぐやじゃ!
かぐやからの文なのじゃ!
木簡を持つ手が震える。
「鸕野様、如何なさいましたか?
大丈夫でしょうか?」
「いや、大丈夫じゃ。気にするでない」
高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、木簡の一枚をじっと見た。
山と月? ……の形に描かれた平仮名を丹念に読んでみた、のじゃ。
『かぐやさまをぶじほごしました。
ただいまみのをめざしていどうしております。
さいめいていとたけるのみこはざんねんでした。
こうけいさまのたくらみによりたすうのししゃがでるもよう』
おぉ~、確かにかぐやじゃ。
みの……美濃に居るのじゃな?
多数の死者とは百済の役の事じゃろう。
それが父上の企みとは……?
しかしこうしてはおれぬ。
旦那サマに早く知らせなければ!
妾は急いで旦那サマが執務をする部屋へと行こうとした。
……待て、待つのじゃ!!
かぐやがわざわざ妾にしか分らぬ平仮名を使い、平文ではなく山と月の絵に偽装して便りを寄越したのじゃ。
何か理由があるに違いない。
そこで妾は別の木簡にも目を通した。
きっとこの中にその理由を書いた木簡があるじゃろう。
『なかのおおえのみこはたにんのみらいがみえる
かみよりちからをあたえられた
しかしみれるのはしっているものにかぎられる
じぶんじしんとわたしのみらいはみれない』
四重の丸の形に並べられた平仮名を読むと妙な事が書かれておる木簡に行き当たった。
頭の中で妾の知る文字に書き換えてみた。
『中大兄皇子は……他人の未来が見える。
神より力を与えらえた。
しかし見れるのはし……知っている者に限られる。
自分自…身と私の未来…は見れない』
つまり父上は知り合いの未来が見えるということかえ?
例えば妾とか旦那サマとか……
そうか!
旦那サマは父上のその力に気付いておったのじゃ。
だから旦那サマは迂闊に物を言えなくなってしもうたのじゃ!」
すると妾がこの木簡を持って旦那サマの元に駆け込むと、父上にかぐやが生きていることが分かってしまう。
どうすればいいのじゃ?!
頭を抱えたくなる気持ちを必死に抑えて、妾は表向き平静を保った。
もしかしたら今この瞬間を、過去の父上が見ているのかも知れぬのじゃから。
そう考えると、誰にも相談が出来ぬ旦那サマの孤独は相当な物じゃ。
一刻も早く開放して差し上げなければ!
その取っ掛かりを探すためにも、愛しの旦那サマの為にもかぐやの描いた木簡を一枚一枚解読したのじゃ。
◇◇◇◇◇
……まさかここまでとは。
建の遺体が白骨だったのは、父上の剣で建を貫いた傷を隠すためじゃった。
お祖母様が朝倉宮に軟禁され、手薄になった宮に賊から襲撃を受け、建とかぐやを逃がすために犠牲になったのじゃ。
建を殺されたかぐやが父上をボコボコに殴り、恨みに思っている。
父上は筑紫の兵士らの命を百済で散らせ、手薄になった筑紫を支配しようと考えているとは……。
それにしても父上の神から授かったという力は面妖じゃ。
疑り深い父上にはピッタリの力じゃと思う。
どうすればいいのじゃ?
どうすれば……、
!!!!
……その晩。
妾は旦那サマに書を持っていきお願いごとをしたのじゃ。
「旦那サマ、この字を教えてたも」
「珍しいな。鸕野にも知らない字があるのか?」
そう言って、薄い墨でたくさんの”あ”の字が書かれた木簡を差し出した。
『亜、阿、唖、安、当、有、或、あ』
それを見て、何かを察した旦那サマは妾に話を合せてくれた。
「どの文字が分らないんだい?」
妾はひときわ薄い墨で書かれた平仮名の”あ”を指さした。
「これは何て読むの?」
「多分、”あ”かな?」
「そうだったんだ、有難う旦那サマ。
それじゃこっちは?」
そう言って、次はたくさんの”い”の文字が書かれた木簡を差し出した。
そして旦那サマは平仮名の”い”を指さして
「これは”い”と読むんだ」と妾の話をすべて理解してくれた。
そして最後にかぐやの描いた木簡を差し出した。
「今日、このような絵を描いてみました。
幼くして亡くなった建は絵の上手い子じゃったから、それを思い出して描いてみました」
旦那サマはそれを見て大きく目を見開いた。
先ほど教えた平仮名の”あ”と”い”を見つけて、これが全て文字である事を理解してくれたみたいじゃ。
そして目を潤ませて、私を力強く抱きしめてくれたのじゃ。
「ありがとう、鸕野」
旦那サマはかぐやの生存を知ることが出来た事、
そして今の立場を妾が理解している事を知り、殊の外嬉しかった様じゃ。
そしてそんな旦那サマに愛されて妾は幸せ者なのじゃ。
日本書紀に描かれている大海人皇子、後の天武天皇は涙脆い人物だったようです。
そして鸕野皇女、後の持統天皇は嫉妬深かったみたいです。




