美濃国各務原
予告:摂津から美濃までの道程は、実は後の出来事の前振りでもあったりします。
もうしばらくお付き合いください。
(ずぼ、ざぐ、ずぼ、ざぐ、ずぼ、ざぎ、………)
はぁはぁはぁはぁ……
関ヶ原の豪雪を舐めていました。
味がしません。
ペロペロ。
……敦賀の雪と同じ味です。
【天の声】本当に舐めとったんかい!
今歩いている場所は不破道。
後の徳川家康と石田ナントカさんが戦ったという伝説が残る関ヶ原を抜ける唯一の道です。
ちなみに私の持っている中世日本の知識は大学で先行した古代とは専門外なので全然です。
大学受験で勉強した以上は知りませんし、合格通知が届いた瞬間に全て忘却の彼方へと忘れ去られてしまいましたので、西暦1600年というキリ番で関ヶ原の戦があったのと、それに勝った徳川家康が征夷大将軍になった事以外、殆ど覚えておりません。
関ヶ原と言えば、関東と関西を結ぶ高速バスが雪で運行停止になる場合、その殆どが関ヶ原の大雪ですので雪が深いのだろうな……という印象があるだけです。
そしてその印象がとても甘々だった事を思い知らされている真っ最中です。
もしこれが夏だったり秋だったりしたら、ハイキング気分で登れる峠道だったのかも知れません。
しかし雪が積もった途端に難易度が跳ね上がって、気分は登山家です。
山頂で手を振っている植村直己(※)の姿が見える様な気がします。
【天の声】それ、見えてはイケナイものだから。
ところで不破道という事は、ここは不破評。
つまり美濃国に入ったのです。
ここを抜ければ……くっ!
この長かった旅もあと一息なのです。
私の前を歩く御行クンは一言も弱音を吐かず、荷物を背負って歩いています。
そんな御行クンに私は疲労回復の光の玉を当ててこっそりと応援しています。
100メートル前に私達を模した人型の光る人を歩かせ、襲撃に備えております。
しかしこんなところで待ち伏せしていたら、待ち伏せする方が無事では済まないでしょう。
朝、麓を出発して日が暮れる前にどうにか開けた場所に辿り着きました。
ああ、人が生活している場所って良い。
ここでだったらどこで力尽きしても、助けを求められます。
『ここで寝たら死ぬぞー』なんて自分の身に起こるとは思ってもいませんでした。
さて……、美濃国に入ったのは良いのですが、宇麻乃様が書き残した『村国男依 (むらくにのおより)様』は何処に居られるのか?
これから人探しの旅と相成りました。
あまり大々的に探すと中大兄皇子の未来視に引っかかってしまいます。
こそこそと嗅ぎまわって極秘裏に接触しなくてはなりません。
宇麻乃様の推挙という事はきっと監視網の外にある方なのでしょうけど、その分探し難いと思います。
ひとまず今日はここまでです。
というかもう一歩も歩けません。
交通の要所だけあって泊まれる宿があり、関ヶ原登頂で冷え切った身体を温めました。
御行クン、お疲れさまでした。
◇◇◇◇◇
近江側から見て不破道の出口、東国から見て入り口に当たる不破評は美濃国(※現在の岐阜県南部)を治める三野前氏のお膝元です。
直ぐ近くにある南宮大社は三野前氏の祖神、金山彦命 (かなやまひこのみこと)を祀っているそうです。
……と言うのがこれまで聞き込みをした収穫です。
村国様のお名前を知る方は今のところ見つかりません。
情報化社会とは程遠い古代において自分の生まれ育った土地を離れることは労役でもない限りあり得ませんので、無理もないですね。
だからと言って交流が全く無いわけではありませんので、荷物をもって遠くから歩いてきたっぽい人を捕まえては聞いて回りました。
そして聞いてまわること三日、有力な情報がありました。
ここより東側にある各務野(※三野の語源となった青野、大野、各務野の一つ)で聞いたことがあるという人が現れました。
各務野について詳しく聞くと結構距離があるみたいです。
一日で行けない距離ではありませんが、無理をせず、目立たず、向かいました
各務野に着くと、意外にも辺境という趣はなく栄えていました。
農地はそれほどではありませんが、煙が立ち上っていて焼き物が盛んなのかも知れません。
そこで改めて村国様のお名前を聞くと、あの方ですねと言わんばかりに案内してくれました。
着いた屋敷はさほど大きくなく、昔のお爺さんの築50年の屋敷と大差ありません。
本当でここで良いの?
少し心配になりました。
案内してくれた方にお礼を言って、屋敷へと向かいます。
ここが……。
私は心の中でここをご紹介した亡き宇麻乃様に祈りました。
「申し訳ありません。
ここは村国男依 (むらくにのおより)様のお屋敷で間違いありませんでしょうか?」
………。
反応がありません。
聞こえなかったのかな?
それとも留守?
「もう……」
(がらっ)
「私を呼ぶのは誰かな?」
中から人が出てきました。
予想していたよりも若い男性で、一見すると優男風な方です。
学者肌という感じでしょうか?
『私』と言ったからこの方が村国様ご本人みたいです。
「はい、私はかぐやと申します。
物部宇麻乃様より預かり物があり、こちらへと参りました」
「物部? 宇麻乃?
……ああ、衛部だった宇麻乃殿かな?
で、何故私に?」
「申し訳ございません。
私も突然木簡を託されまして、詳細を存じていないのです」
私はそう言いながら、宇麻乃様が最後の書き残した木簡を差し出しました。
『中大兄皇子に変心あり。美濃国の村国氏にかぐや殿を託したし。
村国氏、及び氏上 村国男依に物部の使命を果たして頂きたくお願い候。
かぐやをおいて他に中大兄皇子に対抗できる者無し』
こう書かれた木簡をじっと見る村国様。
………沈黙が長いです。
「かぐや殿、宇麻乃殿はどうされた?」
長い沈黙の後、村国様の質問は宇麻乃様の事でした。
「残念ながら、その木簡を託した後……、亡くなりました。
……いえ、殺されました」
「そうか。
とりあえず中へ入ると良い。
で、後ろに居る君は?」
「申し遅れました。
大伴御行と申します。
大海人皇子様の家臣に御座います」
「おやおや。
宇麻乃殿と皇子様が揃っているとは何とも因果なものですね。
ではお入りなさい」
「お邪魔します」
思いの外、すんなりと迎え入れられました。
もっと抵抗があるかと思っていましたから、正直意外です。
「俺には関係ない!」
とか
「私を巻き込むんじゃない!」
とか
「え? 宇麻乃って誰だ?」
……なんて言われるのでは無いかと覚悟していました。
実際に面倒事ですから。
敵は皇兄だし……。
「何もなくて君達を持て成すことが出来ないけど、ゆっくりすると良い。
宇麻乃殿が関係するとなると、朴井雄君を呼んでおきたい。
宇麻乃殿の親戚だからね」
「はい、恐れ入ります。
大変恐縮なのですが、私が村国様を知ったのはこの木簡が初めてです。
何故、宇麻乃様が村国様を頼られたのかすら存じておりません。
その辺りを合せて、お話を伺えたらと存じます」
「分かった。
だが、見るからに今の君は疲れ切っているみたいだ。
それでは頭が回らないだろう。
先ずは休養を取ると良い。
ここは安全だから」
どうやら何かしらの事情があるみたいです。
しかし、村国様の仰る通り今の私は長い旅の疲れが光の玉では取り切れない程に溜まっております。
皮膚を突き破って一気に噴き出しそうな感じがします。
この時代に、疲労が思考力を鈍らせるなんて理知的な会話はあまりしません。
おそらく村国様はかなり理論的な思考の持ち主という事でしょう。
宇麻乃様が私を託そうとした理由の一端を垣間見たような気がします。
「お気遣い、有難うございます。
お言葉に甘えまして、お休みさせていただきます」
私と御行クンは村国様の家人の方が用意してくれた客間の布団に横になり、次の瞬間気を失うかのように眠りについたのでした。
(つづきます)
※作者注※
植村直己:エベレストに日本人で初めて登頂した冒険家で多くの偉業を成し遂げました。
詳しくはウィキ、もしくは先日逝去された西田敏行主演の映画『植村直己物語』をご参照下さい。
村国男依 (むらくにのおより)は美濃国 各務(※現在の岐阜県各務原市)の地方豪族であったと言われております。
村国男依を祀った村國神社は天之火明命を主祭神として祀られており、尾張氏の始祖であることから村国氏は尾張氏の系統の豪族じゃないかなと、作者は考えています。
そして天之火明命は物部氏の始祖とされる饒速日命の別名で(※諸説あり)、物部氏とは深い関係があったものと推測しております。




