飛鳥時代の京都、山背国
ここのところ緊迫したお話が続きましたので、箸休めの観光回です。
古代の山背(京都)の地を歩いておりますと、御行クンから声が掛かりました。
「山背に来るのは初めてですが、大和や摂津とさほど変わらないくらい栄えておりますね。
正直申しまして意外でした」
「家並みが韓三国や唐に近い形式の家屋がありますから、この辺には海を渡って渡来した人達が多く住んでいるのでしょう。
元々、稲作は今から数百年前に和国へと伝わったという話ですが、その優れた農業技術がこの地にもたらされたのでしょう。
私も讃岐では農業試験場を運営しておりましたが、参考になりそうな技術がたくさんありそうです」
「優れた農業技術とは何ですか?
米とは田に種籾を蒔けば秋には稲が実るのでは無いのでしょうか?」
流石、残念なイケメン君。
考え方が典型的なお貴族様の御坊ちゃまです。
裕福な挨拶、ともだ◯ンコ!!
【天の声】うぉいっ!!
「大切な事は同じ土地の広さでもより多くの米が採れること。
そして毎年安定して収穫できる事です。
その為には土を豊かにし、種籾を選別し、雑草に土の滋養を奪われぬ様、絶え間なく管理しなければなりません」
「でもその様な事はどこでも行われているのではないのでしょうか?」
本当に何も知らない御坊ちゃまですね。
♪ ボンボンバカボンバカボンボン ♪
【天の声】うぉいっ!! ×2
「私が知る限り讃岐の周辺では土の改良や種籾の選別は行われていませんでした。
共に農業研究をした中臣様は河内にこの農法を持ち帰って、領民に広めたと聞いております。
同じく阿部倉梯様は飛鳥周辺で広めて成果を上げつつあると聞いております。
大伴氏の領地ではどうなのかご存じですか?」
「ゔっ! ……申し訳ありません、
どうやって稲作が行われているのかは聞いたことがありません。
機会があれば聞いてみます」
「そうですね。
施政者たる者、領民以上に農業や機織りなどの産業に詳しくなければなりません。
少なくとも私はそう思っております」
「我々に手足を動かして働けと言う事ですか?」
本人は気付いていませんが、苦労知らずの御坊ちゃまの発言です。
うちのパパは偉いんだぞ! 社長なんだぞ!
【天の声】うぉいっ!! ×3
「氏上様自らが田畑に入り、稲を刈れという意味ではありません。
先ほど申した農業技術は個人でもできる事です。
しかし施政者たる者、領民のために田畑を墾き、干ばつにも耐えられる備えをしなければなりません。
空から降ってくる雨のみに頼る農法は、ひとたび渇水が起こればたちまちに全滅してしまいます。
豊富な水源から水を引き、更には何年かに一度起こる洪水を防ぐためにも、河川をも御しなければならないと思っております」
「そんな事は無理です!
人の手で河川を御するなんて神に対する冒涜にすら思えます」
「理由は分かりませんが、皆さんは河川に手を加えることを忌む傾向がありますね。
斉明帝の治世においても大規模な渠を掘り、飛鳥京へ絶えず水が流れるように興事をしました。
しかし、その有用性に気付かぬ口性無い者達は『狂心渠』と言い、罵りました。
ですがこのような一見理解の得られぬ大規模な興事を行えるのは施政者を置いて他にありません」
「え? 『狂心渠』は役に立つ物なのですか?」
「当り前じゃないですか。
渠が出来たことで飛鳥の流通は飛躍的に良くなったのですよ。
重い荷物が渠を伝って運ばれるようになったのです。
おそらくは今後の大和の発展には欠かせない設備になるでしょう」
「そうだったのですか。
私はその様な事を知らず、『狂心渠』と言う言葉に踊らされておりました」
申し訳ありません」
現代でも学校であれ会社であれ、先生や上司の悪口は妙にスッキリとするものです。
気持ちは分かります。
このような話をしていると、葛野評にある大堰川に差し掛かりました。
そこには私も予想していなかったものが存在しておりました。
「かぐや様、あれは何かご存じですか?」
御行クンも異様とも絶景ともいえる光景に口あんぐりです。
「あれは葛野大堰ですね」
そう。
京都観光でも嵐山に宿泊すると散策コースの定番、渡月橋の手前にある葛野大堰です。
渡月橋はありませんし、記憶の中にある嵐山の光景とはだいぶ違っておりますが、人工的な大堰の存在が威容を放っております。
大堰が大きな貯水池を形成し、水路をたどって田畑へと水を引いている様子が見て取れます。
「この辺りは秦氏が治めている地域と伺っております。
優れた施政者が先見の明をもって地域を治めると、如何に領民が恩恵を受けられるかという見本ですね」
「このような事が可能なのですか?」
「現に目の前にありますでしょ?」
「そうですが、私には同じことが出来るとは思えません」
「それは学びが足りないからでしょう。
全てを習得する必要はありません。
その道の専門の学者を育成するとか、唐から招き寄せるとか、秦氏の技術者に師事するとか、方法は様々です。
しかし施政者が『そんなものは不要だ。出来っこない!』とその有用性に気付かずに却下してしまえば、そこでその地域の発展は終わってしまいます。
故に施政者は学ばなければならないわけです」
古代の国造や氏上は、現代で言えばワンマン社長みたいなものです。
無能な社長が舵取りを行えば、あっという間に廃れます。
私のお爺さんが竹林で採れる金をあてにしないで、人の意見を取り入れて堅実に領地運営をしているのはある意味、名君の資質と言えます。
少なくとも頭ごなしに人の意見を否定しませんから。
「私は……ここまで何も知らなかったのか」
「御行様が大伴氏を率いるのであれば、領地がどうあるべきか常日頃考えなければならないでしょう。
しかし、何も知らずに考えるのと、豊富な知識な上で考えるのとでは、結果はまるで違います。
小手先の知識だけではどうしようも出来ないのです」
「その通りですね……」
心なしか御行クンはしょんぼりとしております。
尻尾がへにょんと下りて、耳がぺたんとしているように見えます。
「興事には様々な形態があります。
同じ大海人皇子様に仕えております多治比嶋様は、渡来人により齎された製鉄技術に深い造詣を有しておりました。
これから先、製鉄や精銅技術は世の中の発展に不可欠であるとご判断されて、丹治の製鉄、精銅に力を注いでおります。
私の居た讃岐では動員できる人員に限りがあるため、数年掛かりでため池を作りました。
大和川から水を引き、その水が田畑を潤しております。
まずはその土地に合わせた方策を探ることから、考えてみては如何でしょう?」
「そうですね。
私には何が足りないのかすら分かりません。
詳しい者を探して話を聞いてみたいと思います」
「このように地域を見て回ると新しい発見があるので楽しいと思いませんか?」
「楽しいと言えば楽しいですが、私には自分の見識の狭さを思い知らされてばかりです」
「それでいいのです。
逆に言えば、外に出て見識を深めることで自分自身を知ることが出来るのです。
昔のご自分を振り返ってもそうじゃないですか?」
「それは勘弁して下さい。
本当に思い出すだけで、何処かに隠れたくなるほどの気持ちになるのです」
御行クンは顔を真っ赤にして、声を大きくして抗議するかのように弁明しました。
……ちょっと意地悪でしたか?
「本当に御行様は変わられたのですね。
でも、これからももっと変わります。
もしかして今日の事を思い出すだけで顔を赤らめるかも知れませんよ?」
「本当に勘弁して下さい。
本日の出来事は良い思い出としてとっておきたいのですから」
「ふふふふ、私もまさかこのような物が見れるとは思いませんでした。
良い思い出になりそうです」
1400年前とはいえ、現代に通じるものがあるというのは何故だか嬉しいものがあります。
旅はまだまだ続きます。
作者注:
正確には現代の葛野大堰と五世紀に造成された葛野大堰とは異なります。
しかし川底には当時の段差が残っているそうです。




