御行クンの恋愛相談
(※再び神の御使いより神託を受けたかぐやは、相対する天津甕星の加護を受ける中大兄皇子との対決を決意するのであった。……嫌々ながらだけど)
目が覚めると、小屋の中は真っ暗でした。
夢の中とは言え、レバニラを食べたおかげでだいぶ血液が戻ったような気がします。
気のせいだとは分かっておりますが……。
もっとも献血した後、水分を補給すれば血液量は簡単に戻るそうです。
簡単に戻らないのは、赤血球とか白血球と血小板ちゃんとかです。
あれから約半月、どれだけ出血したのか分かりませんが、腕なんかも切り落とされましたのでかなりの量の血液を失ったと思います。
まだ赤血球が回復していないらしく、生理で貧血を起こしそうな時の感じです。
もしくは朝礼での校長の長話で、クラっとしてしまいそうなそんな感じ。
無理は禁物ですね。
もうそろそろ御行クンが戻ってくるでしょうから、温かい食事でも用意しておきましょう。
そう思って、火を起こして甕に水を汲んでお湯を沸かしました。
メニューは山菜入りの塩で味付けした雑穀粥です。
キノコでもあれば出汁が取れたでしょうけど、今はそんな余裕はありません。
携帯できる食料に限りがあるので仕方がありませんね。
コトコトと煮立っていい匂いが小屋の中に充満する頃、大荷物を持った御行クンが無事帰ってきました。
「只今戻りました」
「おかえりなさい。
道中、ご無事でしたか?」
「は、はいっ!
無事、お務めを果たしてまいりました!」
お務めって……出所してきたんじゃないですから。
「ところでその荷物は?」
「はい、ここのところかぐや様の食事が恵まれておりませんでしたので、少し持ってきました。
それと衣と裳、それに防寒のための毛皮です」
「それは有難いわ。
初めてお会いする相手にぼろぼろの身なりでは、相手にされないかも知れませんから」
「そう言って頂けますと何よりの褒美です」
そんな大袈裟な。
「身体が冷えたでしょ?
まずはお粥を食べましょう」
「はっ! かぐや様が作って下さるものでしたら、麦わらでも美味しく頂きます」
それって、私の作る食事があまり美味しくないって言っているようなものだよ。
私はメシマズ女じゃないはず。
欠けたお椀にお粥を装って差し出しました。
……御行クン、頭を下げて両手で受け取らなくてもいいからね。
卒業証書じゃないんだから。
でも、一人で片道五時間の道を歩いて、帰りは荷物を持っての移動でしたから大変だったはず。
残念なイケメンですが、その辺は労わってあげないとね。
◇◇◇◇◇
食事を終えて、休もうとしたら御行クンが住吉で仕入れた情報を教えてくれました。
「こちらに伝わってくる話では、百済への遠征は順当みたいです。
二十を超える砦が、余豊璋殿に賛同し、新羅に反旗を翻したとか。
このままいけば新羅を追い出すことも可能ではないかという話でした」
へぇー、私が現代で受けた社会科の授業では和国軍が百済に出兵したら即座に負けたというイメージでしたが、豈図らんや拮抗していた時期もあったのですね。
「それがいい事かどうかは分かりません。
百済の冬はこちらに比べると厳しいそうです。
兵を消費しなければいいのですが……」
「どうして百済はこちらより寒いのですか?
大和の冬も寒いですが、それよりも寒いという事なのですか?」
でた、何でもかんでもナンデ君。
「必ずしもではありませんが、北に行けば行くほど冬は寒く、夏は涼しいという事です。
筑紫よりも百済、百済よりも高句麗はもっと寒いでしょう」
「では北の果てはどうなっているのですか?」
「北の果ては海なのですが、一年中海の上を氷が覆っていて、冬の間は一日中夜なのです」
「そんな事があり得るのですか?」
「大和だって夏よりも冬の方が日が短いでしょ?
北へ行くとそれがもっともっと短くなって、北の果ては日が登らなくなるの。
代わりに夏の間は一日中、日が登っていてそれを白夜と言うのだそうです」
「信じられませんが、かぐや様がそう仰るのでしたらそうなのでしょう。
その事を出兵した兵士達や将はご存じなのでしょうか?」
「大抵の人は知らないと思います。
しかし阿倍引田比羅夫様はご存じだと思います。
蝦夷地への遠征で、北の気候の厳しさを身に染みてご存じのはずです」
「かぐや様は阿倍比羅夫様をご存じなのですか?」
「ええ、お髭が立派な殿方ですよね。
何度か同行したり御持て成しをする機会に恵まれました」
「や……、やはりかぐや様は比羅夫様のような逞しい方が好みなのでしょうか?」
何で私の好みを知ろうとするの?
求婚でもしようものなら、龍の玉を持って来いって言うからね。
私は性格最悪な悪役令”姫”、かぐや姫なのですから。
求婚者を絶望の淵に追い詰めてほくそ笑むのが趣味の性悪女なの!
「そうですね。
私が重んじるのは『五常』に更に『忠・孝・悌』を加えました『八徳』の心得です。
つまり『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』ですね。
比羅夫様は少なくとも『仁・義・礼・智・信・忠』に秀でた殿方です。
また私のような取るに足りない女子の約束を守って下さり、とても誠実なお人柄とお見受けします」
「わ、私は……いえ、私には足らない事ばかりです」
その通りですね、とは言えません。
「好みなんて考えても仕方がない事です。
実際に人を好きになると、そのような事は些末な事に思えますから。
女子の中では『恋は盲目』と言うのですよ。
御行様にもきっと盲目となって御行様をお慕いする女子が現れますから」
……イケメンだし。
「いえ、女子に慕われたことは多々あります。
ですが、私は自分が好いた女子に慕われたいと思っております」
リア充め! 爆ぜろ!!
「なれば、頑張ってもっとご自身を磨いて下さい。
元は良いのですから、きっと意中の女子が現れますよ」
「いえ、私としましては……」
「が・ん・ば・っ・て・ね!」
「……はい」
ふぅ、また一人迷える子羊を救って差し上げました。
じゃ、寝ましょ♪
こうして、一日中小屋の中に居たはずなのに目まぐるしかった一日が終わりました。
◇◇◇◇◇
翌朝、いよいよ美濃に向けて出発です。
到着までの道のりは五日から七日を見込んでおります。
関ヶ原を超えるので、プラス二日かな?
これまでもそうでしたが、この先も大変です。
食料も十分あるし、防寒もバッチリ。
気合を入れて先ずは山背国、現代の京都を目指します。
後に千年の都となる京都は、まだこの時代では京でも都でもありません。
泣くよウグイス平安京、つまり山背国が都となるのは100年後です。
そもそも山背というのは首都の飛鳥からみて山の背ろという意味らしく、現代の京都と奈良の格差を鑑みるとちょっと信じられないというのが正直な気持ちです。
でも地元民としてはちょっとだけ優越感を感じます。
むふふふふ。
しかし実際に山背国を歩いてみますと、意外に開けていました。
様子からしますと、渡来人が多く住んでいるみたいで、何となくですが生活の様子が少し異なっております。
鳥居のある神社よりもお寺の方が目立つ感じで、私のイメージする純日本的な京都とはだいぶ様相が違っておりました。
飛鳥時代の京都を横目に見ながら、旅はまだまだ続くのでした。
(つづきます)
飛鳥時代の山背国(京都)について
山背国は秦氏や高麗氏といった渡来人を祖とする氏が多く居たみたいです。
多くの渡来人と共に大陸からの技術や導入することで農業や土木が発展しており、かなり栄えていたものと思われます。
都が出来たから突然開けたという訳では無さそうです。




