新たな氏(うじ)
物部の裏設定、大放出の回です。
(※一度は絶体絶命のピンチであったが、宇麻乃の秘策が炸裂し、辛うじて逃げ仰せた三人。門司行きを諦め、敵の裏をかくため敵のど真ん中の長津へと逃げる決意をした。暫しの休憩中、宇麻乃は本当の目的を話すのであった)
「麻呂クンのため……ですか?」
私達を助ける事と麻呂クンのため、どう繋がるのか分からず、おうむ返しに聞いてしまいました。
「ああ。麻呂には物部の柵に縛られて欲しく無いんだ。
己の能力を以て仕えたいと思える方に役立てる、という衛部の仕事は大変だったけどやり甲斐があったよ」
「今は違うのですか?」
「残念ながら衛部は解雇になった」
「それは勿体無いですね。
中臣様にとっても大きな損失では無いですか?」
「仕方がないさ。
帝を暗殺する様な男が就いていい仕事ではないからね。
だけどあの方に頼られる事があんなにも幸福な事だったなんて、当時は思いもしなかったよ」
それって完全に社畜じゃない?
いえ、宮仕えだから公僕?
「今回の仕事の報酬は新しい氏の創設。
麻呂には物部の名を捨てて貰う事になる。
物部の名は重すぎるのだよ」
「麻呂クンはその事はご存知なのですか?」
「文に残して家内に預けてある。
家内もまた物部の巫女だった女性だからよく分かっているよ。
それに麻呂には唐へ渡る前に今生の別れは済ませてある」
「そんな寂しい事を……。
麻呂クンが帰国したら直接仰って下さい」
「もちろんそうしたいさ。
だが帝を手に掛けた瞬間から私は朝敵となったのだよ」
「だって依頼したのがアレなんでしょう?」
「そう、アレだ。
しかし政の頂点にいる男でもある。
帝を手に掛けた私を放っておくはずが無い。
例えそれが自分が命じたとしてもだ」
「そんな理不尽な……」
「ふっ……、この世は理不尽に満ち溢れているんだよ。
明日の食糧にも困窮している者から見れば、私なぞまだ恵まれている。
それに私へ理不尽な命を下したアレも、自分自身は理不尽な扱いを受けていると思っているに違いない。
上を向いても下を向いても、理不尽だらけだよ」
「そんな悟った様な事を仰らないで下さい。
何処かに、必ず、逃げ道はある筈です」
「そうだね。
お嬢ちゃんの居た讃岐の領民は理不尽さと言うものを感じさせなかったな。
天候とか人の手に余る物は仕方がないとしても、人による理不尽はなかった様に思う。
他と比べて特に恵まれていると言うわけでは無いのに……。
きっと規律があり、明日への憂いがなく、日々に生活を楽しんでいるからだろうな。
麻呂が幼い時期を讃岐で過ごせた事は、とても幸運な事だったと思うよ」
「そう言って頂けますと国造だった父様も報われます」
「不思議なものさ。
世の中の不条理を正したいという志を持ち、蘇我を討ち果たし新しい政を始めた青年が、今や理不尽の権化と化してしまったのだからな。
その点、讃岐国造殿は呆れる程全然変わっていない。
いい事だと思うよ」
「私としてはもう少し良い方に変わって欲しいですけどね」
「はははは、その辺はお嬢ちゃんの母君が居るから大丈夫でしょ?」
「ええ、母様は父様以上に国造らしいですから」
「麻呂が讃岐に居た頃は楽しかったなぁ。
お嬢ちゃんが居て、真人殿が居て、御主人殿が居て、衣通ちゃんが居て……。
仕事もやり甲斐があったよ。
もちろん表の仕事だ」
「本当に懐かしく思えます」
「あぁ……。
済まないけど御主人殿には申し訳なかったと伝えてくれ。
恨まれてもいいし、許されるとも思っていない。
それでも真実は知っておいた方がいいと思うから。
だが麻呂は何も知らないんだ。
麻呂には何の罪はないとも伝えて欲しい。
麻呂には物部が何たるかを全く教えていないからね」
「それは構いませんが、麻呂クンには全然何も知らないのですか?」
「ああ、私の息子とは思えなくらい真っ直ぐな子だからね。
私の様になって欲しくなかったというのもあって、麻呂には物部としての教えを一切していない。
精々剣の稽古をしてあげるくらいだった。
しかし例え私が居なくなったとしても、麻呂には唐で学んだ知識がある。
自分の人生を自分で切り開ける力がある筈だ。
麻呂の渡航を許してくれた鎌足様には感謝しか無い……」
「もし……。
私がその事を麻呂クンに伝えられる時が来たのなら、その事を話しますか?
それともずっと隠したままにしますか?」
「そうだね……………」
長い沈黙の後、宇麻乃様は黙りこくってしまいました。
「うん、お嬢ちゃんに任せるよ。
麻呂はいつまでも子供では無い。
辛い現実を受け入れる事ができるのであれば、真実を知っておいた方がいい。
だけど真実に押しつぶされるのなら知らない方が幸せでもあるからね」
「分かりました。
ところで新しい名というのはもう決まっているのですか?」
「いや、全然。
まだお嬢ちゃんを無事に難波へと送り届けていないし、そんな事を考えている余裕は無いよ」
「しかし宇麻乃様が考えなければならないのではないのでは?
それとも雇用主さんが下賜されるものなのでしょうか?」
「どうなんだろうね。
考えてもいなかったよ」
「ならばここで『讃岐の天女』らしいところをお見せしましょう。
今、ここで、私が、麻呂クンの新しい名を当ててしまいます」
「はははは、それは面白いね。
で、何という名かな?」
「ズバリ、『石上』です」
それは『竹取物語』に出てくる麻呂クンの名です。
そして物部の氏神様を祀る神宮の名です。
「ほぉ、石上麻呂か……、悪く無いね」
「これを聞いた以上は、本当にそうなったかどうかをご自分で確認して下さいね」
「ははは、手厳しいなぁ。
ではその時を楽しみにしておこう。
少し長話をし過ぎた様だ。
また交代で見張りをしよう」
「はい」
気がつくと、建クンはお粥を平らげてコックリコックリと船を漕いでいました。
私は慌てて建クンを床に横たわらせて、寝かしつけるのでした。
◇◇◇◇◇
その後、長津までの道中は拍子抜けするくらいスムーズでした。
やはり敵は私達が門司を目指していると踏んで、待ち構えているのでしょうか?
それともバイオガスによる爆発の影響で中大兄皇子が火傷して追跡どころではないのか?
……もしくは泳がされているのか?
疑心暗鬼に囚われながらも何とか隠れ家に到着しました。
慎重の上に慎重を期して、まずは宇麻乃様が隠れ家の中へと入りました。
…………。
暫くして、中から宇麻乃様が顔を出して、「中に入っても良いよ」と安全が確認できた事を伝えました。
「お邪魔します」
安全だと分かっていても恐る恐る入ってしまいます。
「それにしても人が入った様子が全く無いな。
私にしか分からない仕組みを残しておいたのだけど、触れられた形跡が無い。
遠賀の隠れ家を知っていたのに、この長津の隠れ家を知らないはずは無いだろうに……。
気味が悪いから出来るだけ早くここを引き払おう」
「はい、分かりました」
遠賀の隠れ家では油断した所をぐるりと包囲されました。
少しでも違和感がある様であれば、移動するのが賢明です。
「薬草はありましたか?」
「ああ、これだけあれば半月は持つだろう。
あとは船の手配だが、大丈夫だろう。
まさかあんな方法があるなんて驚いたよ」
「これも天女の技です。
神様からの有難い仕送りなのです」
実はここに来る途中、船を手配するための駄賃というか船主に渡す報酬が足りてないと言われたので、筑紫の竹藪の中から黄金を発掘したのでした。
チューン!
建クンと二人で逃亡している時は、金を持っていても食料と交換する伝手がなく、むしろ自分の身を危うくすると思っていたので、この方法は使えませんでした。
しかし宇麻乃様は金を布とか銀粒とかと交換する伝手があるとの事なので、採れたてホヤホヤの黄金をお渡ししました。
こうして長津(※今の博多港)から、船に乗って出雲へと向かう準備が整いました。
……あともう少しです。
(つづきます)
只今、プライベートではデスマーチの真っ最中です。
今月いっぱいまでギリギリです。
しかし本作の話も過去イチの大きな山場を迎えます。
何としてでも書き上げますので、ご支援のほど、宜しくお願いします。
m(_ _)m




