物部氏の歴史
古代の話は日本書紀の神武東征をベースにして話をしております。
日本磐余彦尊とは神武天皇の事で、生誕が紀元前711年→紀元前585年に死去され127年生きたとされております。
ちなみに神武天皇が即位されたと言われる紀元前660年2月11日が現代の建国記念日ですね。
作者的には神武天皇は実在されたと思われますが、活躍された内容はかなり脚色が入っていると思います。
(※ここは筑紫国にある物部宇麻乃が諜報に使う隠れ家。無事逃げ込んだかぐやと宇麻乃は物部の真実に迫るのであった)
「お嬢ちゃんは物部とはどのような立ち位置の氏族なのか知っているかい?」
「今の大和において国の祭祀を承る氏ですよね?
私が知るのは、百年ほど前に権勢を誇っておりました事。
そして渡来の宗教である仏教を信望する蘇我氏と対立して滅ぼされたと聞いております」
「見事なほど大王と蘇我にとって都合の良い解釈だね。
その通りだけどそうでは無い部分が多い」
「申し訳御座いません。
私なりに自社仏閣の方々にお話を伺っているのですが、物部氏に関して不自然なほど話が伝わって来ないのです」
「その通りだ。
今伝わっている事は全て勝者によって都合よく書き換えられた話だ。
都合の悪い事は一切表には出ない。
物部の一族と大王以外はね」
「少し気になりましたのは、生駒山に居た蝦夷の人に物部に関して口伝が残っておりました。
何でも蝦夷の長の長髄彦様を打ち滅ぼしたのは饒速日命だったと。
生駒の山のすぐ近くにまで海が面していた程の昔の事だそうです。
饒速日命様とは確か物部氏の先祖とされる御神格ですよね?」
(※第291話『かぐや先生の個人授業・・・課外授業』ご参照)
すると宇麻乃様は少し驚いたかの様な表情になりました。
「へぇ、それは私も初めて耳にした事だ。
そうなのか……。
ふむ、そうなんだね」
そして何故か宇麻乃様の中で独り問答が始まってしまいました。
「いや、私も親の親のさらにずっと前の代からの言い伝えがどれだけ正しいのか分からないんだ。
確かめようが無いからね。
しかし今の話はそれが本当であったと裏付ける話であった事に些か感動している。
そして我が一族に伝わる不愉快な話が真実である事に些か腹が立っているよ」
和かに腹が立っていると言う宇麻乃様。
何だか勿体付けられているみたいな気分です。
「物部氏が権勢を誇ったという事は事実ですよね?」
「ああ、元々畿内一帯は物部が最大の勢力を誇っていた。
しかし高千穂からやってきた来たと言われる大王の一族によって物部は制圧されたんだ」
「それは日本磐余彦尊の代のお話ですか?」
「よく知っているね。その通りだ。
要は大王に負けて、取り込まれたのだ。
だからといって大王が物部に無体を働いたわけではない。
彼らは勢力の均衡を崩すようなことをしない。
だからこそ大和を基盤とする大王は畿内において一番の力を有したのだよ」
大学の授業でも諸説の中の一つとして習った内容とさほど違いはありません。
このついでに以前から気になっていたことを聞いてみましょう。
「私が知る物部氏でもっとも有名な方は物部守屋様というお名前です。
宇麻乃様とはどのような間柄の方なのですか?」
「話が飛ぶねぇ。
まあ守屋様が今の体制下で最も大きな勢力を持ち、最も堕ちた方だった。
あれによって我が一族の苦難が始まったんだ。
お嬢ちゃんの質問に答えれば、私の祖父は守屋様の兄だった。
私の祖父はどちらかと言えば祭祀を生業としていた。
守屋様は軍事に長けていて、蘇我氏と衝突することが多かったそうだ」
歴史の教科書では丁未の乱で物部守屋が蘇我馬子に敗れて物部氏が滅んだと習っていたはずですが、実際には物部の名は残っています。
歴史の授業も必ずしも正しいとは限らないみたいです。
乙巳の変でも蘇我は滅亡してませんでしたし。
赤兄とか、赤兄とか、赤兄とか。
「私が知る限りでは丁未の年(西暦587年)、今から八十年ほど前に大きな戦があり、守屋様が討たれたと聞いております。
それからが物部氏の凋落の歴史という事になるのでしょうか?」
「私の話をここまで理解できる人が居るとは思わなかったよ。
お嬢ちゃんが二人目だね。
……大体その通りだけど、その理由は少し違う。
お嬢ちゃんは、我々が渡来の宗教である仏教を信望する蘇我氏と対立したと言ったけど、実際は蘇我氏が渡来人の流れを汲む一族であるんだ。
その渡来人が向こうの生活をそのまま我が国へ取り入み、代々伝わる神々への祭祀や風習を廃することを目的としていたんだ。
早い話が武器を使わずにこの国を征圧する事が目的だった訳だ。
それを阻止することは祭祀と軍事の要職である物部をおいて他にはないという事だったんだ」
「単なる宗教を巡る対立ではなかったわけですね」
「当然さ。
愚かにも大王一族は蘇我に日和った。
物部は四方を囲まれ孤軍奮闘だったそうだ。
そして蘇我氏にあって我々に無いもの、それは武器。
優れた武器が蘇我にはあった。
弓一つとっても性能が違う。
同じ鉄なのに強さがまるで違う。
守屋様はその優れた矢によって撃たれてしまった」
「その後の物部はどうなったのでしょうか?」
「そうだね。
分かり易く言えば奴婢だ。
戦では数百の者が殺され、残った者は奴婢として大王や蘇我によっていい様に使われてきた。
滅ぼされなかったのは我々の持つ呪術を恐れたのと、石上神宮に神器があったからだろう。
仏教を至上とする蘇我にはその資格はないからね」
「宇麻乃様を見て奴婢とは思えないのですが?」
「表向きはね。
だけどお嬢ちゃんが言っただろう?
私は仄暗い役目を負っていると。
つまり物部は帝の汚れ仕事を請け負う下賤の氏に成り下がった訳だ」
「汚れ仕事……ですか?」
「そう、いざ政敵を討つとなれば敵の首を古来の作法に従い切り落とす役目も我々だ。
お嬢ちゃんを追いかけている鮪も他人に知られたくない仕事を押し付けられる実に物部らしい役目だ」
「宇麻乃様はそんなに戦場に出られているのですか?」
「いや、どちらかと言えば私は暗殺を請け負う役目だ
政治信条などはない。
帝に命じられたまま、呪術をもってその対象を廃するだけだ」
「呪術でですか?」
「そう、呪術だよ。
結果として呪術に見えれば、手段は何でもいい。
私の場合は毒が多い。
毒というのは先代から伝えられた知識の賜物だ。
平時は薬として役に立つ」
「では何故孝徳帝を?」
この質問は宇麻乃様も聞かれたくなかったらしく、口元が歪みます。
「あれは良くなかった。
……帝に害するということは次の帝にとって敵とみなされるのだから。
しかしその様な暗黙の了解も、あの方には関係ない様だ。
ご自分が絶対なのだろう」
「その後もずっと……?」
「いや。あれ以来、中大兄皇子から声が掛からなくなった。
おそらくは命じられれば帝をも廃する私は警戒対象として見做されているのだろう。
今回、朝倉宮の調査で呼び出された時には驚いたよ」
「朝倉宮を調査したのは宇麻乃様でしたのですか?」
「ああ、鶴見岳が噴火して、山から噴き出したその毒の中を調査したんだ。
検分したけど、帝が安らかに亡くなられていたのはお嬢ちゃんのお陰かな?」
その言葉に一瞬帝の最後の様子が脳裏に浮かびました。
とても辛い記憶です。
目元にじんわりと涙が浮かびます。
「……はい。
帝には燃え盛る炎に苦しまぬよう、たとえ切り刻まれても痛みを感じない程の深い眠りについて頂きました」
「それはすごいね。
私も痛みを感じなくさせる薬を探しているのだけど、そこまで完全な物はない」
ふと見せた宇麻乃様の表情は、らしくもなく少しだけ興味深げです。
もしかしたら薬草の研究が宇麻乃様にとって心の拠り所なのかも知れません。
「有用ですがフグの毒並みに危険な物でもありますよ。
痛みとは生命活動にとって必要な物ですから」
「その通りだね。
だからこそ孝徳帝には私の持つ一番の毒をもって苦しみを与えず処した訳だ。
それが私にできた唯一の抵抗だった」
そう言えば、朝倉宮で皇太子は確か……
『古人、倉山田、内麻呂、有間、叔父上』って言ったはず。
叔父上が孝徳帝で、有間は有間皇子、倉山田って右大臣だった方です。
内麻呂ってもしかして?
「あの……皇太子は帝を朝倉宮に軟禁する時、いろいろな事を自慢げに話しました。
その際、宇麻乃様が孝徳帝の最期を看たと話していました。
その言葉に帝はひどく驚いておりました」
「……あの馬鹿が!(ぼぞ)」
ふと溢した言葉に本音が垣間見れます。
「そして皇太子はこうも話しました。
『古人、倉山田、内麻呂、有間、叔父上、邪魔な者には全て居なくなって貰った』と。
内麻呂様って阿部倉梯内麻呂様、つまり御主人様のお父様ですよね?」
宇麻乃様はその言葉を聞いて頭を抱えてしまいました。
「あの男は本当にそう言ったの?」
「はい、聞き間違えようがないと思います」
「はぁ~、お嬢ちゃんの想像通りだよ。
当時の右大臣、左大臣がご自分の言う通りに動かないことに業を煮やして、命じたのさ。
今思えばあの頃から様子がおかしくなっていた。
それまでは多少の危うさがあったが、まっすぐな青年だったはずだ。
鎌足様を遠ざけた隙に二人とも処分してしまった」
あまりの事に私は次に続く言葉が見つかりませんでした。
御主人君がこの事を知ったらどう思うのだろう?
(つづきます)
歴史の上では敗者扱いの物部氏は現存する記録が少なく謎に満ちております。
教科書では蘇我馬子と物部守屋が争った丁未の乱に敗れ、物部氏は滅亡したと習っておりますが、実際は滅亡せず血脈は保たれておりました。
有名どころでは弓削道鏡が物部氏の末裔だったりします。




