大海人皇子と鸕野皇女の推理
鸕野皇女の口調が若奥様風に変わりました。
∽∽∽∽ 大海人皇子視点によるお話が続きます ∽∽∽
「旦那様、父上のお話をどうお感じになりましたか?」
「いや、まだ頭の整理がついておらぬ。
鸕野の知恵を借りて頭を整理したい」
こんな時、一番の相談相手であり理解者は他でもない、鸕野なのだ。
「そうですね。
妾には父上の話を聞いて奇妙に思える事が三つありました。
一つは、筑紫様との和解について明言を避けた事。
一つは、帝であるお祖母様が山奥の朝倉宮に少人数でいた事。
そして最後に、此度の百済への出兵をお祖母様のご遺志としている事です」
「そうだな。
最後のは私も強く感じた。
そもそも百済救済は兄上が強硬に推し進めたことであり、母上はあまり乗り気には見えなかった。
百済救済が母上の悲願としなければらない理由。
それが一体何なのか?」
「旦那様には申し上げましたが、かぐやは大きな戦で万を超える死者を出すであろうと申しておりました。(※)
それも百済が新羅に敗れる前に、和国は唐と新羅を相手に百済の地で戦うと予見しました。
お祖母様もそれを聞いて、何とかしようと仰っておりました。
つまり父上はお祖母様の反対を押し切ってまで、推し進めようとしていたのではないのでしょうか?」
(※第341話『かぐやの独白・・・(2)』にて)
「その通りだ。
兄上は強引に母上に迫り、母上が兵を引くのは帝の権限で決めるという約束を取り付けた上で百済へ出兵を決めた。
おそらく母上としては、余豊璋殿が王に即位し、百済の再興の芽が出たところで兵を引き揚げさせるつもりだったのだろう。
かぐやの助言を受けたのなら尚更だ。
しかし母上が亡くなったことで、引き際が難しくなっただろう」
「聞けば聞くほど、利の無いお話に思えます」
「私も同感だ。
考えられるのは、百済を救済することで何かの益を得たいのか?
はたまた百済の救済を失敗することで別の目的を果たしたいのか?
の、どちらかだな」
「旦那様から見まして、百済を救済することは叶いますでしょうか?」
「ふ……む、正直言って難しいな。
新羅だけならば何とかなる。
しかし唐が出てきたとなると和国の全兵力をつぎ込んでも勝てる気がしない。
同じ数の兵であっても使う武器が違う。
何より唐の将と兵士らは長きに亘る高句麗との戦で戦い慣れている。
それに和国が穴に藁を被せただけの粗末な建屋に住んでいた太古の昔から、唐は大軍を指揮して戦をしてきた経験を持つ故、戦に特化した兵法という学問が成立している。
私も兵法の書を数冊か読んだが、あまりの理論整然とした内容に感動すら覚えたくらいだ。
自分で言っていて何だが、新羅と唐に味方した方が余程得になるんじゃないかと思えてきた」
「そうですね。
旦那様がそう思われるのなら、父上も同じように考えるでしょう。
それでも兵を出すというのなら、父上は百済の救済を失敗する事を承知の上で何らかの目的を果たすお積もり、という事になります」
「兵を出して……、百済の救済を失敗して……、唐と新羅を敵に回して……。
それでも兄上が得たいものか……。
兄上に限って言えば、百済が気の毒だから助けたいなんて理由は絶対にないだろう。
『敵の敵が味方』であるとするのならば、次に味方となるのは高句麗ということになる。
しかし和国と高句麗とは離れすぎている。
新羅の向こう側なんだぞ。
それでなくとも高句麗は百済という味方を失って劣勢のはずだ。
新羅という足場が出来たのだから、挟み撃ちになっているさ中だろう。
どう考えても高句麗が味方になっても得な事はあるとは思えぬ」
「旦那様、父上の人生で一番の目的とされているのは何なのでしょう?」
鸕野の急な話題変更は、話が煮詰まると時々あるのだ。
鸕野の柔軟な考え方の一つだ。
「それは帝を中心とした国造りだ。
唐にも負けぬ強靭な国へと生まれ変わらせたいと、常々言っていた」
「つまり大王以外の国を支配するのですよね?
それを目的とするなら、此度の遠征で都合の良くなる事とは一体何でしょうか?」
!!!
「そうか、兄上は百済の役を利用して、他国の国力を削るつもりなのか?!」
「つまり出兵そのものが目的?」
「そうだ。
諸国から兵を集め、百済へと送り込ませることが目的ではないかと考えられる。
そうすると筑紫殿との妥協案もそれに準じたものだと考えられる。
早速、筑紫殿の行動を探ってみよう」
「旦那様が直接動かれると父上は怪訝に思うかもしれません。
妾が付きの者を使って女子どもから聞き出しましょう」
「助かる」
鸕野の行動力は誰にも真似の出来ぬほどだ。
この様なときには本当に頼りになる。
「となると、残るは母上だけが朝倉宮へ行った理由だな。
先ほどの兄上の態度で気になったのが、鸕野の同席を許したことだ。
秘密主義の兄上は人に率先して話をすることは少ない。
それをするのは、大体聞かせたい話があるという事だ」
「聞かせたい話とは……先ほどの話の何なのですか?」
「母上が筑紫の者によって殺されたという事だろう。
本来、公にするつもりがない事案であれば鸕野にも黙っているはずだ。
鸕野にも話をしたという事は、他の皇女にも話しているかも知れぬ」
「お祖母様が他の者の手で殺されたという内密にしたい事件を喧伝したかった?
そう考えますと奇妙に思わます。
つまりは別に真意があるという事でしょうか?」
「そう、それが母上が山奥の朝倉宮に少人数でいた事に繋がるのだと思う」
「それにしましても、父上は人の命を軽々に考えすぎてはおりませぬか?」
「そうだな。
兄上にとっての大義というのは、民草の事を考えての事だとはとても思えぬ。
殺されるために万を超える兵士を海の向こうへ行かせるなんて、正気ではない。
人の道を外れ、君主の心得である五常(仁義礼智信)に反する」
「そうですね。
私もそう思います。
そして人の道を外れた者が、お祖母様の死の真相を隠そうとしているのです。
それこそ只事ではないかも知れません」
「まさか?!」
考えもしなかった鵜野の指摘に心が冷えた。
「まだ推測の範疇です。
しかしその真相を知る者が少なくとも一人おります」
「……かぐやか!?」
「はい。私はかぐやの並外れた呪術の力を知っています。
お祖母様が亡くなられるのを黙って見ているはずがありません。
建を命がけで護って、逃げ出している姿が妾には目に浮かぶのです」
「そうだな。
確かにかぐやの遺体があったとは明言していなかった。
もし生きて逃げているのなら、兄上も放ってはおかぬだろう。
全力で探し、匿ってやらねばならぬな」
「そうです! お願いです!
お婆様が亡くなられてひと月が過ぎております。
筑紫にいるとは思えません。
今頃は難波か河内か飛鳥にたどり着いているかも知れません」
鵜野はかぐやから学んでいるため地理にはめっぽう強い。
おそらく頭の中に地図を描いて、かぐやの居そうな場所を判断したのだろう。
「私がこれまで培ってきた人脈を使う時が来たようだ。
方々へ内密の便りをだそう」
「ありがとうございます、旦那様」
「いや、礼を言うのは私の方だ。
私一人ではここまで思いつかなかった。
やはり鵜野は頼りになるな」
私はポンっと鸕野の肩に手を置いて礼をした。
すると鸕野は私に撓垂れてきてこう言ったのだ。
「あらそんな、嬉しい事を。
お礼なら、旅のお疲れをお湯に浸かって綺麗さっぱりと洗い流した後にお願いします。
だ・ん・な・さ・ま」
「ははは……、分かった」
そうなのだ。
鵜野がかぐやから教わったのは学問だけではなかったのた。
『薄い書』といわれる後宮で流行りの風俗書を余さず目にした鵜野は、そちら方面の知識も豊富なのだ。
豊富なのが知識だけでなく、好奇心もだが……。
次に会う時には文句を言わせて貰うぞ、かぐやよ。
ドラマ『刑事コロンボ』は冒頭シーンが犯行現場で、一見完璧に見える犯行の粗を飄々としたコロンボ刑事が次々と切り崩していくというスタイルで、いつ見ても斬新です。
そのスタイルを少し真似てみました。
「あ、もうひとつだけいいですか?」




