磐瀬行宮(いわせのかりみや)
主人公、実は鉄ヲタ?
三ヶ月にも及ぶ旅を経て、ようやく那大津へと到着しました。
現代でしたらN700系新幹線のぞみに乗れば新大阪から二時間半で着く場所です。
4列シートでゆったりできる800系新幹線さくらに乗っても二時間四十分です。
デザイン秀逸、乗り心地??? な500系新幹線こだまに乗れば四時間半で着きます。
1400年も時代が違うとは言え、交通事情が全く違う事に改めて考えさせられます。
本当に恵まれた時代に生まれ育ったのですね。
ところで、元カレの話に寄りますと500系新幹線の正面が、とある打ち切りになったアニメに出てくる人型ロボットに似ていると言ってましたが、実際はどうなんでしょう?
【天の声】80年代のアニメを知っている元カレは何歳なんだ?
現代でも博多に来たのは、九州旅行の時に太宰府天満宮ははじめとして九州各地の神社巡りをした時だけです。
飛鳥時代からすれば菅原道真公は二百年先の未来の方なので、太宰府はありますが天満宮はありません。
菅原道真公が中央での政争に敗れて左遷された先が太宰府でした。
つまり中央から筑紫国への左遷とは、悲嘆に暮れて嘆き悲しみ、挙げ句に日本三大怨霊と成り果ててしまうほどの最果ての地という価値観なのです。
【天の声】別に太宰府が嫌で祟った訳ではないぞ。
しかし皇太子様は自らが進んで筑紫を都にするあたり、もしかしたら柔軟な思考の持ち主なのかもしれません。
柔軟な考えの持ち主ならば唐を敵に回しての百済の役が如何に無謀である事に気付いて早々に撤退して欲しいと強く思います。
白村江の敗戦でいい事なんて何一つ無かったのですから。
◇◇◇◇◇
娜大津(※現在の博多港)に着いた私達は山の方へ入った磐瀬行宮(※現在の福岡県福岡市南区高宮あたり?)へと向かいました。
海の向こうは新羅が支配する朝鮮半島です。
ここからは半島は見えないみたいですが、今後、兵士達が彼方へと渡るのです。
大勢が二度と帰ってこられないと知らずに。
一人でもいい。
百済へと赴く兵士達に非業の死を迎えさせないため、自分の正体を明かしてまでして帝には被害を食い止めて欲しいとお願いしたのです。
帝も何か考えておられるご様子です。
歴史がどう変わるのか分かりませんが、良かったと思える結果になることを願わずにはいられません。
「皆の者、宮の完成までにはまだ少し掛かる。
それまでの間、不便ではあるがここ磐瀬に留まり、来るべき日に備え準備を進めよ」
皇太子様が到着した官人、采女達を前に檄を飛ばします。
来るべき日って何?
私達も戦場に送られるんじゃなかろうかって心配になるよ。
「新たな宮の名は朝倉宮という、ここより南の山に入った場所だが、北に下りれば長津(※前述の娜大津の事)に近く、東へ向かえば豊国へ出られ、西に向かえば有明の海へと抜ける。
つまり攻めるに易く、守るに固い宮だ」
いえ、『戦場に近いが逃げ道は用意した』の言い間違いじゃない?
「各々、仕事に励め!」
「「「「「「はっ!」」」」」」
行宮に入れる人は限られているので、大抵は近隣に寝泊まりするか、建設中の宮へと向かいました。
ちなみに私は帝付きの采女なので行宮で過ごすことになります。
しかし……。
筑紫国に着いてからずっと気になっていたのですが、周囲の人の目があまり歓迎モードではない感じがします。
いえ、ハッキリ申しましょう。
悪意というか、害意というか、敵意というか、強い負の感情を向けられているのを感じます。
これがミウシ君が言っていた、筑紫の人達の帝に対する悪感情というものでしょうか?
それにしても100年もの昔の事とは思えないくらい、明瞭な感情をヒシヒシとします。
不思議に思っていると、後日その理由が分かりました。
◇◇◇◇◇
それは帝から皇太子様への苦言からでした。
「葛城よ、皆に伝えよ。
あまり筑紫の者への配慮を怠らぬ様、気をつけよと」
「恐れながら筑紫の者らはここへ都を置くことを喜んでおります。
これ以上一体何を配慮すれば良いのでしょうか?」
「ワシのところへは先祖代々大事にしていたご神木を根こそぎ切り倒したと苦情が来ておるぞ」
「さて……私の元にはそのような話は来ておりませんな。
確かめておきましょう。
しかし切って良い木と切らない木を分け隔てるのは少々難しいかも知れません。
この不毛の地に宮を造るのです。
いくら木があっても足らないでしょう。
配慮はしますが、取りこぼしがあることまでは責任が持てませぬ」
「これから戦へと赴くのじゃ。
士気を高めるためにも、筑紫の者らへの配慮は必要ではないのかえ?」
「木の一本や二本で挫けるような士気に何も期待できません。
そのような軟弱な者は阿曇に切り捨てさせるよう言っておきます。
そうすれば嫌が応でも士気は高まります。
戦の事は私にお任せ下さい」
そう言うと皇太子様はさっさと退室して、百済の王子・豊璋様の元へ行ってしまわれました。
(ふぅ…)
帝の深いため息が零れます。
「いかんな。これでは」
帝の溢した言葉に、思うようにいかない現実に苦悩しているご様子が透けて見えます。
「お飲み物をお持ちします」
「ああ、頼む」
最近は帝の傍にいる私が雑仕女みたいな役割を担っております。
雑仕女の数が足らない上に、お姫様育ちの氏女、采女さん達は家事が今一つです。
必然的に私にその役割が回ってきております。
もっとも好きでやっているので全然気にしておりませんが。
「お飲み物です。どうぞ」
「すまぬの」
疲れた帝は穀物茶をクピクピと飲み干しました。
本当にお疲れのようです。
「ワシももう歳かの。
長旅が身体に応えよるわ」
「いえ、若い私も疲れが溜まっております。
出発したのが正月でしたから、季節が一つ進みました。
本当に長い旅でした」
明け透けに言うと皇太子批判になるので、言い方を考えながら帝の言葉に迎合します。
「それもそうじゃが、筑紫だけではなく行く先々がワシらに好意を持っているとは言えぬ相手ばかりじゃった。
そこへきてこれじゃ。
敵に囲まれては心が休まらんわ」
「それほどまでに筑紫の方はお怒りだったのでしょうか?」
「本当に根こそぎ切り倒したようじゃ。
木の切り方にも順序というものがあるだろうに、それも守らぬ。
このままでは山がお怒りになると言うておる」
ああー、無計画な伐採は土砂災害の原因になりますからね。
この時代の林業がどれくらい計画性を以て行われているのか分かりませんが、はげ山は駄目でしょう。
はげ山は。
「木は山の保水力を保つ事で、山崩れを防ぎ洪水や渇水を緩和したり、川の水量を安定させたりするなどの役割を果たしています。
無軌道な伐採は自然の理に反します。
筑紫の方がお怒りになるの無理からぬ事かと存じます」
「なるほどのう。そうゆう言い方があるのかえ。
葛城に言ってやればよかったわ」
「ええ、聞く耳をお持ちでしたら……」
「ふ……、それもそうじゃの。
ワシも宮の場所を相談しようとしたら、もう決めてあるとワシの知らぬ間に建設が始まっておったわ」
「え、皇太子の独断で宮を造って良いものなのですか?!」
驚きのあまり、少し声が大きくなってしまいました。
「異例中の異例じゃ。
帝が宮の建設に携われぬのも…、
こんな離れた場所に宮を造るのも…、
敵地の真ん中に宮を造るのも…、
皆、異例なのじゃ」
「それって……」
これはいよいよ只事ではありません。
完全に帝を蔑ろにして、皇太子様の暴走にいよいよ歯止めが掛からなくなっています。
このまま黙って見過ごしていたら皇太子の悪意に飲み込まれ、大変なことになってしまう……そんな不安な気持ちになるのでした。
磐瀬行宮の場所を福岡県福岡市南区高宮あたりとしましたが、福岡県中間市の中間駅付近という説があります。
ただし、中間市だと博多湾から遠くなり過ぎるので福岡市内としました。




