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熟田津に……

歌が多いですが、元ネタ分かりますか?


ちなみに新作の方(宇宙戦艦ヤマト2199)では、地球からイスカンダルまでの距離が16万8千光年に伸びております。

 ♪ さらばぁ〜 飛鳥よぉ〜 旅立ぁ〜つ船わぁ〜

  急造戦団〜 か〜ぐ〜や〜

  ちゃんちゃちゃーん ♪


 私は吉備国から途中乗船して、帝達の筑紫国への船団に合流しました。

 もちろん、帝が乗る豪華な船とも、皇太子様が乗る大きな船とも違う小さな船です。

 下賤(しもじも)の者達が乗るボロ船です。

 本気マジ下船したい。


 少々荒っぽい船乗りさん達が操船するこの船には建クンが乗っています。

 ですが、世話係として亀ちゃんとシマちゃんは居ません。

 今回の筑紫国行きは人数に限りがあり、同行する雑司女の数を絞られました。

 必要だったら現地で調達せよとのお達しです。

 私は一緒に乗船できるつもりでいたのですが、一緒に吉備まで付いてきてくれた二人は乗船拒否され、吉備に残る事になってしまいました。


 一行が飛鳥を出発する時には、私達はすでに吉備へ向かっていたので知らなかったのです。

 聞いてないよぉ~。

 その辺のズボラというか、連絡の不徹底さというか、いい加減さは、古代ならではですね。

 仕方がなく二人には大田皇女の産屋に戻って貰い、一緒に来た施術所のスタッフさん達と共に飛鳥へ戻る様、申し付けました。

 そして飛鳥に戻ったら忌部氏宮へ行く様、木簡を持たせました。

『この二人を無事、讃岐へ戻して頂けないでしょうか? 何卒宜しくお願いします』


 突然の事ですが、二人とは暫くのお別れです。

 で、冒頭の歌となった訳ですが……、筑紫国(イスカンダル)は遠い。

 14万8千光年くらいありそうです。


 さて次の目的地は阿岐国(あきのくに)です。

 これまで淡路国あわじにくに播磨国はりまのくに、と来て吉備国きびのくにを発ちました。

 そして阿岐国あきのくに伊予国いよのくに周防国すはうのくに、そして筑紫国つくしのくに、すべて有力な豪族が支配していた地域です。

 これで出雲国があれば完璧コンプリートです。


 ヤマトタケルの西征ルートにも近い気がしますが、その辺は後で調べてみましょう。


 ◇◇◇◇◇


 おろろろろろろ♪


 人生、晴れの日もあれば雨の日もあります。

 そして本日は時化しけの日です。

 小さなボロ船は良く揺れます。

 外洋と違って瀬戸内の波は静かなはずですが、安定感抜群な巨大フェリーの様な乗り心地は期待できません。

 ホンのちょっと風が強くなっただけで、船内はゆらんゆらんします。

 采女さん達のお胸も揺れます。

 たゆん、たゆん。


 乗り物に慣れていない采女さん達は、恥じらいを忘れて朝ご飯を海の魚さん達に撒き餌(ごちそう)しております。

 建クンもまた例外ではありません。

 真っ青な顔でオエオエとやっております。

 人一倍ストレスを溜め易い建クンには乗り物酔いは辛いみたいです。


 けれど、現代にいるときから乗り物酔いとは無縁だった私は全然平気です。

 なので乗り物酔い止めの薬を服用したことが一度もなく、その効果を実感できません。

 つまり光の玉(チート)が使えないのです。

 イメージが出来ませんから。

 仕方がないので、何かの足しになればと二日酔いの時に飲んだお薬をイメージして光の玉を当ててあげました。

 谷山浩子さんの歌が耳の奥で繰り返し流れます(リフレイン)


 ♪ そらに~ うつれ~ ♪


 そんな状態ですので、おかに着くと皆さんは我先にと下船します。

 私は折角なので建クンに広い海を見せてあげようと外へ連れ出しますが、建クンは海よりも船の方に興味があるらしくずーっと船の絵を描いて過ごしました。


 一方、帝は阿岐国あきのくにの有力者に出迎えられ、外交に大忙しです。

 私も書記官として同行します。

 現代において阿岐国、即ち安芸国を代表する神社と言えば厳島神社ですが、この時代の代表的な神社は速谷神社はやたにじんじゃです。

 幣帛へいはくを奉って名神祭を行うことができる霊験の優れた名神を祀る格式の高い神社で、此度も帝より幣物が奉られました。

 もっとも話の中心は船を寄越せ、兵士を寄越せ、武器を寄越せ、の催促の嵐だったのですが……。


 翌日、天候の回復を待って中継地の伊予国いよのくににある行宮あんぐうへと向かいます。

 ただし船団の半分はそのまま筑紫へ向かうそうです。

 行宮の収容能力にも限度がありますし、筑紫国の受け入れ側の準備もあるのでしょう。


 行宮とは帝を始めとして、皇太子様、皇子様、皇女様、そして后様らが滞在する場所です。

 造りはそれなりに高級ですが、やはり手狭感はあります。

 仮住まいならばそれも仕方がないでしょう。


 だけど、ここに二か月間滞在することになるとは……。


 ◇◇◇◇◇


 伊予国の石湯行宮いわゆのかりみやでは温泉三昧の毎日でした。

 道後温泉と言えば現代でもメジャーな温泉です。

 とっても気持ちの良いお湯加減です。

 ただし、毎日でなければ……。


 それにしましても何故こんなに長く伊予で足踏みしているのか分かりません。

 毎日退屈な毎日を送っていると、だらけた雰囲気が行宮の中に蔓延してきます。

 今回の船旅は戦争の前線基地となる筑紫への遷都だというのに、どうしてこんなに待ち時間が出来るのか?

 どうしてもっと出発を遅らせられなかったのか?

 遷都が決まって半年近くなるのに、準備にそんなに掛かるの?

 そこはかとなく皇太子様に対して、声にならない不満が溜まっている感じがします。


 そんな中、額田様は率先して歌合せを執り行ったり、梅の花を愛でる花見の会を行ったりして皇太子妃として頑張っておりました。

 私も額田様のお手伝いをしたり、歌の会のオチ担当を(心ならずも)やったりして、少しでも雰囲気が良くなるように努めておりました。


 肝心の皇太子様は一足先に筑紫国へ行って、あれこれとやっているみたいです。

 中臣様が飛鳥でお留守番なので、心なしか余計に張りきっているみたいに見えます。

 ひょっとして皇太子様にとって中臣様はわずらわしい爺やサンだったりするのかな?

 逆に考えると、防波堤ストッパ役が居なくなった皇太子様が更に暴走(パラリラ)しそうで少し不安です。


 そんなこんなで、三月やよい

 やっっっと筑紫への船出が決まりました。

 仮暮らしに嫌気がさしていた皆さんはだいぶ浮かれております。

 出港は潮の関係で夜となりました。


 そこで額田様の口からあの歴史的な名歌が歌われたのです。


 『熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな』


 ※現代語訳:熟田津で船に乗って旅立とうと、皆、月が満ちるのを待ち焦がれています。

  潮の状態もよくなりました。さあ、今すぐ出発しましょう!

 ※意訳:今か今かと船が出るのと待ちわびて、もう熟田津は飽きました。

  月も出たし潮も良いし、とっとと出港しましょう!


 ……もちろん、意訳は私の心の短歌です。



日本書紀による航海日誌は以下の通りです。

少し船足が早い気がしますので、正確性は????です。


1月6日 難波津なにわのつ出発

1月8日 吉備大伯海きびおおくのうみ(※岡山県邑久郡)沖で大伯皇女誕生

1月14日 伊予熟田津いよにきたつ(※愛媛県松山市)着

→ 石湯行宮いわゆのかりみや(※道後温泉)に滞在

3月25日 那大津なのおおつ(※福岡県博多)到着

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