大田皇女の出産
今回は出産シーンは省略しました。
書いたとしても過去のコピペになりますが……。
お待たせしました。
いよいよ出発です。……とはいきませんでした。
大海人皇子の后で中大兄皇子の娘でもある大田皇女様が妊娠しているというのは、御前会議でも話されておりました。
そして私が皇女様の出産の面倒を看るというのは、勝手に決められてしまいました。
しかし、臨月であるとは予想しておりませんでした。
聞いてないよぉ〜。
筑紫国までの行程は、難波津まで大和川を船で下るか、または陸路で向かいます。
そこから船団を組んで出港します。
途中、淡路国、播磨国、吉備国、阿岐国、伊予国、 周防国に立ち寄ります。
特に伊予には帝の行宮があるので、筑紫国の受け入れ準備が整うまでそこに滞在して時間調整を行う予定です。
ならば準備ができてからでと思うのですが、立ち寄る先々で武器や兵士を徴兵し掻き集める腹づもりらしいので一刻も早く出発したいらしく、上手くいくのかは分かりません。
結果を知る私としましては、戦場へ行くのは一人でも少なくあって欲しいと願うばかりです。
話を元に戻しますと……、大田皇女様の船旅は断固反対しました。
皇太子様は一緒に連れて行くと仰ってましたが、動かせないものは仕方がありません。
船上では水すら満足に準備できず、お湯も沸かせません。
天候が荒れている中、激しく揺れる船の中で出産なんてなりましたらトラウマものです。
そこで大田皇女様には療養先の吉備に待機して頂き、そこで出産する事にしました。
どうせ筑紫国へ到着するのは数ヶ月後です。
出産した後、合流すれば良いでしょう。
帝には予め話を通しておきました。
元々が大田皇女の帯同に反対しており、大田皇女を吉備に滞在させていたのも帝でしたので、皇太子様に黙って難波で出産する事を強行します。
それに今回の筑紫国行きには額田様がご一緒なので、口裏を合わせるのも容易いはずです。
額田様には施術所のスタッフを借りて、吉備で出産準備をお願いしました。
こうして出産の準備を密かに、こっそりと、内密のうちに進めていったのでした。
◇◇◇◇◇
目的地の備前国の邑久評までは船と歩きです。
皆さんが出発する三日前に飛鳥を出発し、五日間かけて到着しました。
大田皇女様が居るというお屋敷に向かうと、鵜野さまよりお姉さんのお腹の大きな女性がお出迎えしてくれました。
「遠路はるばるありがとうございます。
貴女がかぐや様ね。
妹の鵜野が大変お世話になったと聞いております。
此度は私も世話になります」
皇女様とは思えないくらい腰の低い方です。
「かぐや”様”はご勘弁ください。
畏れ多い事です」
「妹からはかぐや様の事を沢山聞いたわ。
妹とは大きくなってから顔を合わせるようになったけど、貴女の事を本当に楽しそうに話すのだから私もご友人になったような気になってしまうの」
「それは嬉しいお言葉ですが……」
「それに父は本気で私を船に乗せて出産させるつもりでいたみたいだったそうです。
私もそうなるのかと諦めていましたが、かぐや様が裏で手を回して下さったと伺っております。
感謝してもし足りません」
「手を回したというより皇太子様に黙ってその様に手配してしまっただけで、後でこっぴどく怒られるかもしれません」
「それでも構いません。
私は皇子様の后です。
父の物ではないのですから」
言葉の端端に皇太子様に対する嫌悪感の様なものをそこはかとなく感じます。
実際に船の上で出産させようとする父親が尊敬されるハズはありませんけど。
「とりあえずお身体を休めまして、出産に備えましょう。
ここに居る者たちは額田様がご手配して下さいました。
食事につきましても、彼女達が準備をして下さいました。
少なくとも帝は皇女様を軽んじてはおりません。
ご安心して出産にお臨み下さい」
「ええ、宜しくお願いします」
大田皇女様は初産だとは聞いておりますが、見た感じお身体は十分に成長されているのでこの時代にありがちな若年出産のリスクは少なそうです。
流石は大海人皇子、女性尊重者ですね。
到着した私達は、テキパキと出産に備え、準備を始めました。
秘密兵器の分娩台も人足さんに運んでい貰いました。
清潔な布、きれいな水、機器、針と糸、などなど。
お屋敷の人達はこれまでの出産のやり方とあまりの違いに付いていけず、呆然と見守るだけでした。
しかし、予想外はまだまだ続くのでした。
その夜、大田皇女が産気づいたのです。
早い!
長旅で疲れているとは言えません。
疲労回復、栄養飲料の光の玉!
チューン! チューン! チューン!
チューン! チューン! チューン!
スタッフ全員に光の玉を当てました。
皆、元気溌剌です。
これから女にとって長い命がけの戦いが始まるのです。
<中略>
おぎゃーおぎゃーおぎゃー
丸一日の難産の末、女の子が産まれました。
これが船の上でしたらどうなっていたのでしょう?
大田皇女様はぐったりです。
深窓のお姫様なので体力が今一つだったようです。
このままでは船旅は無理ですね。
私達もヘトヘトになっておりますと、お屋敷の方が飛び込んできました。
「今、沖合いに船団が見えました。
おそらく帝をお乗せした船かと思われます。
こちらの方へ向かっております」
こちらも予想より早い到着です。
まずは見に行きましょう。
津ではこの地の評造を始め、たくさんの人が船の到着を待ち構えておりました。
おそらく船は水と食料を補給して、潮の向きが良くなったら出港すると思います。
その間に、帝に無事の出産と大田皇女様の様子をお伝えしなければなりません。
文では検閲があるでしょうから、私が直接お伝えするしかありません。
どれが帝の船か分かりませんが、船旅のお客さんが数日ぶりの陸を見て降りないはずはありません。
皆さん、ぞろぞろと船を降りてきました。
……あ、額田様だ。
私はそそくさと額田様に近づいていきました。
途中、護衛さんに止められそうになりましたが、額田様に手を振ると気付いて貰えて、事なきを得ました。
「額田様、ありがとうございます」
「かぐやさんもご苦労様。
ここまで歩きで来たのでしょ?」
「ええ、一昨日到着して、昨夜赤子が産まれました。
元気な女の子です」
「そうなの!
もう生まれたの!?
おめでとう!
大田皇女はご無事?」
「はい、母子共にご無事です。
ただ皇女様はあまり体力がなく、憔悴しきっております」
「そう……、帝にご相談してみるわ。
まだ大田皇女が船に乗っていない事はバレていないの。
ここで下船した事にして療養するよう進言してみます。
そのためにも赤ん坊を連れてくることは出来ます?」
「この寒空に外に出すのは気が進みませんが、連れてきます」
「お願い」
こうして赤ん坊を連れて乗船することにしました。
そして額田様と共に帝と皇太子の前へ進み、赤子を披露することになりました。
おぎゃーおぎゃーおぎゃー
「かぐやよ、ご苦労じゃった。
元気な赤子が産まれたようじゃな。
大田は大丈夫かえ?」
「あまりに酷い憔悴ぶりなので、船を降りて屋敷を借りてお休み頂いております」
「どれ、私にも見せてみよ」
皇太子様が興味深げに赤ん坊を受け取ろうとします。
赤ん坊は帝の息子である大海人皇子様の子であり、孫である大田皇女の子でもあります。
つまり帝にとって赤ん坊は孫であり、ひ孫です。
そして皇太子様にとって赤子は孫であり、姪でもあります。
近親婚の弊害ですね。
赤ん坊を覗き込むと嬉しそうな顔をするあたり、皇太子様も人の子らしくあり、意外な気持ちになります。
「かぐやよ、この子は女子か?」
「はい」
「そうか……、大田はこの先船旅に耐えられそうか?」
「それは控えて頂きたく存じます」
「分かった。
それでは母子と共にこの地で療養させよ。
快癒した後に我らの後を追うが良い」
あれ?
あれほど大田皇女に同行を強要したのに、赤ん坊を見た途端に休めとはどうゆう風の吹き回しでしょう?
しかし、望ましい事ではあります。
気が変わらないうちに返事してしまいましょう。
「はい、承りました。
産まれた子も帝、皇太子様に抱かれ、僥倖にございましょう。
皇女様の快癒までご面倒を看まさせていただく所存です」
「いや、其方は船に残れ。
出産が済んだのだ。
もう用はないであろう」
えぇ~!?
反論したいですが、下手に反論して大田皇女様にも船に乗れとか言われたら大変です。
素直に言う事を聞いた方が得策でしょう。
「はい、承りました。
赤子を皇女様の元にお返しに上がり、船に戻ります。
皇女様お一人というわけには参りません。
信用のおける者を皇女様の傍に付けさせて下さい」
「私の孫なのだ。当然だ。
それと赤子の名は産まれたこの地に肖り『大来』だ。
大田にそう伝えておけ」
「はい、承りました」
こうして大田皇女の出産は綱渡り的ではありましたが、無事に終わらせることが出来ました。
でも急な皇太子様の心変わりに何故か引っかかるものがありました。
日本書紀によりますと、大田皇女様は船の上で出産したそうです。
その場所が、邑久(※現在の岡山県瀬戸内市)の海の上で生まれたので、皇女の名前が大来皇女になったとか。
流石にこれを史実の通りとはしたくなかったので、ストーリーを考えてみました。




