新たな職場
章の書き出し部分はいつ書いても難しいです。
少し短いですが区切ります。
本日より私は帝付きとなりました。
表向きは書司の女嬬のまま、書記官としての採用です。
ちなみにこの時代の後宮では書記官なる役職はありません。
後宮はあくまで帝の個人的空間のお世話をするための集団です。
多少の執務はするものの、執務能力はさほど求められていないというのが実情です。
もっとも最近の後宮の采女達の認字率は右肩上がりに上がっております。
理由はもちろんアレです。
五日に一冊回覧される薄い書のおかげです。
きっとこの社会的動向が、後の世の紫式部や清少納言、和泉式部、赤染衛門の女流文学へと行きつくのではないでしょうか?
【天の声】古代浪漫を壊すな!
◇◇◇◇◇
始業前の事です。
「かぐやよ……。
ワシは、あまりピカピカ光らせぬ様に、と言っておらなかったかえ?」
「はい……、なので流れ星に擬して一つだけ光らせてみました」
「あれを擬したと言うか?
一つが大き過ぎるわ。
おかげで宮中が浮ついてしもうておる。
はぁ……」
「なんか、申し訳ございません」
「其方のことは其方の母からもくれぐれも頼むと言われておる。
やり過ぎるかもしれないが、本人は全くそのつもりはないともな」
「なんか……申し訳ございません」
初日、帝のお小言からのスタートです。
案の定と言うか、やはりと言うか、昨日の流れ星に似せた光の玉がちょっと大き過ぎたようです。
次やるときはもう一回り小さいのにしましょう。
「かぐやよ、一応言っておく。
大きさの問題ではないからの。
自重せよと申しておるのじゃからな」
うっ、バレてます。
「肝に銘じておきます」
「肝にも頭にも精神にも命じておけよ。
でなければ次は身体に言い聞かせるからの」
……すごく物騒な脅しに聞こえます。
さて無駄話はここまでにして、今まで私が執務していたのは内裏の中にある後宮、つまり帝の個人的空間の奥の奥です。
しかし日常、帝が執務するのは外廓に近い庁(朝堂)になります。
本来、采女が踏み入れる場ではありませんが、本日からは帝の付き人として男性に交じってお仕事になります。
男子社員に交じって仕事をしていると、現代での職場を思い起こします。
事務所では女子社員も多いのですが、業務で行く先々はほぼ男性ばかりの職場でした。
違う事といえば……臭いです。
この時代、風呂に入る習慣は一般的ではなく、川で水浴びするかせいぜい体を水拭きする程度です。
負担の私は湯あみで清潔にしているだけに、周りの臭いが気になります。
なので二日目からはお香袋を持参しました。
現代でもスメハラは問題です。
今のところ私はスメハラ被害者ですが、匂いのきつい香水をプンプンさせて歩き回っていた加害者みたいにはなりたくありません。
警察犬でなくても、その子の歩いた跡を嗅ぎ分けられるレベルでした。
とりあえず半径50センチくらいを誤魔化せる程度に、自然で控えめなお香袋を準備しました。
苦情が来ましたら、その時また考えましょう。
【天の声】一応、顛末を言っておくと……女性の少ない職番でほのかに良い匂いをさせて執務するかぐやは高官たち(既婚者、独身問わず)の憧れの的となり、評判は爆上げとなるのであった。
◇◇◇◇◇
本日の朝貢は阿部引田比羅夫様です。
久しぶり~。
生駒山でご一緒して以来です。
慣れない職場で見知った人が居るというのは心強いものです。
「引田よ、ご苦労じゃった。
此度の蝦夷の征伐も満足のいく成果を上げたようじゃな」
「蝦夷は交戦を望まず、我らが船を見ただけで降伏しました。
我々百八十隻の船団の前では如何なる者も屈しましょう」
「被害が無かったのは何よりじゃ。
蝦夷地の統治はどうなっておる?」
「城柵を設け、交易を行なっております。
蝦夷の地は米が育ち難く、我らの米が重宝されております。
代わりに獣肉、皮、雑穀などと交換し、有効な関係を築けております」
「蝦夷の民は我らに反旗を翻す恐れは無いのかえ?」
「此度、恭順の意を示すべく、蝦夷の地より二百余名が献上品を持って参っております。
また、私からは蝦夷で捕らえた熊二頭と熊の皮七十をここに献じます」
「随分と大勢がやってきたのじゃな。
後ほど場所を変え、歓待しよう」
「有難きことに御座います。
彼らも慶びましょう。
是非、彼の者らには厚遇の程、御願い申し奉ります」
相変わらず比羅夫様は戦わずして勝つという孫氏の兵法を地でいくような名将ぶりです。
「毛の色が少し薄いようじゃが、これは本当に熊なのか?」
「蝦夷の熊は毛の色が黒くなく、種が違っております故」
「かぐやよ、其方は蝦夷の熊を知っておるか?」
突然の無茶ぶりです。
完全に油断しておりました。
慌てた私は、熊被害を報道した番組で見た豆知識を一気に話します。
「畿内で見られる熊は毛の色が黒く首の周りに三日月のような白い毛が生えておりますが、蝦夷の熊は体全体がこのような薄い色をしております。
畿内の熊は両足で立ち上がりますと四、五尺(120~150cm)ほどの背丈になりますが、蝦夷の熊は六尺(180cm)を超えます。
性格は臆病ですが、いったん戦闘となるととても狂暴で、爪は鋭く一撃で肉をえぐられます。
しかも馬と同じ速さで走るので逃げることも叶いません。
おそらくは虎でなければ叶うことのできない生物かと思われます」
まるで見てきたかのような報告に、周りの人たちはポカンとしております。
「ひ、引田よ。
後ほど其方の献上した蝦夷の熊とやらを見させて貰おうかの。
危険な熊の毛皮をこれだけ献上したのじゃ。
恭順の意、確と受けとめた。
後日、相応の冠位を授ける」
「有難きことに御座います。
隔てなき恩賞を頂けると聞けば、帝に就中忠誠を尽くすことでしょう」
去り際、比羅夫様は私の方を見てニカっと微笑んでくれました。
私のやらかしがいい感じに後押しとなったみたいです。
視界の隅では中臣様が苦々しい顔つきをしておりましたが、見て見ぬふりです。
その晩、歓待の席で舞を舞いました。
帝からは自粛するようにときつく言い渡されたので、光の玉は無しでした。
◇◇◇◇◇
仕事が忙しくても建クンの相手は手を抜きません。
大きくなったとはいえ、建クンはようやく十歳です。
数えで十歳は満年齢で八歳、小学三年生です。
母親に甘えてても不思議ではない年齢です。
乳母代わりとして、建クンにはしっかりと私に甘えて貰います。
でなければ私が甘えます。
仕事中一緒にいられない分、一緒にいる時間がアマアマフマフマに甘えます。
でも最近の建クンは益々冷たいです。
反抗期?
いつぞや帝のご相談した時には気にするなと言われましたが、本当に嫌われていないよね?
建クンに「んっ!」と拒否られるたびに心配になってきます。
建ク~ン、カンバーック!!
阿倍比羅夫は658年より数次に渡って蝦夷地への遠征を行い、659年に蝦夷の首長である飽田蝦夷恩荷が小乙上の位(※19階中17位、下から三番目)を授けられ、能代郡と津軽郡の郡領として認められた、と日本書紀にあります。




