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【幕間】鎌足の苦悩・・・(16)

幕間はこれにてお終いですが、あと数話続きましたら第九章に入るつもりです。

 ※ 鎌足様視点のお話が続いております。



 有間皇子の一件は私の中に重苦しい記憶となって心に残った。

 しかし私以上に有間皇子の死に衝撃を受けている者がいた。


 与志古だ。

 表向き、真人は私の嫡男となっているが、その実、即位前の孝徳帝と与志古との間に生まれた皇子なのだ。

 つまり有間皇子とは腹違いの兄弟である。

 これまで数多の皇子が非業の死を遂げた。

 それはとりもなおさず後継者争いの当事者であったり、それを後押しする勢力にとって邪魔であったからだ。

 しかし有間皇子は違う。


 蘇我の様な政敵の血筋を引く皇子ではない。

 元服すらしていない若造に人望などあるはずが無く、脅威になるとは思えぬ。

 何よりも葛城皇子が帝となるのに障害となる者はもう誰も居ないのだ。

 にも関らず葛城皇子は有間皇子を処した。

 つまりは自らの血を引く皇子以外の存在を認めぬという事を公言した様なものだ。

 皇子と名の付く者達とその周りの者らは今頃震え上がっている事だろう。


 この先、強い反感が予想される。


 ◇◇◇◇◇


 こんな刻に……と言っては語弊があるが、与志古が妊娠している事が分かった。

 誰が見ても体調が良いとは思えぬ。

 このままではお腹の中の子に差し障りが出てしまう。

 それどころか与志古すら危うい。

 黙っていられず、与志古と話し合いをしたのだった。


「与志古、体調はどうか?」


「身体は大丈夫だと思います。

 しかし、精神(こころ)はいつも張り裂けそうです」


「そうか……」


「いいえ、鎌足様に何一つ悪い事が無いのは存じております。

 悪いのは私です。

 孝徳帝の子をこの身に宿した日から、こうなる運命だったのでしょう」


「私も知らず知らずのうちに悪事の片棒は担いでいるのかも知れぬ。

 何もしないという事が善行とは言わぬのと同じだ」


「鎌足様はいつもそうやってご自身を追い詰めようとなさいます。

 私はそれに甘えてばかりですのね」


「仕事以外に取り柄のない男だからな」


「取り柄などいくらでも御座います。

 私には過ぎた再婚相手に御座います」


「そう言うな」


「一つだけ……鎌足様の優しさに甘えさせて下さい。

 お願いしたい事が御座います」


「何だ? 何なりといってくれ」


「真人に……。

 直人に便りを届けさせて下さい」


「便り? 唐にいる真人へか」


「はい。和国(わのくに)へ戻って来ぬ様伝えたいのです。

 帰って来れば命が危ういと」


 本当は今すぐにでも帰って来て欲しいのだろう。

 唐へ渡る時も反対していたのだ。

 真人が二つ返事で行きたいと言ったが、元を辿れば私が言い出した事なのだ。

 与志古には申し訳ない事ばかりだ。


「分かった。

 百済へ渡る者に金子を持たせて、唐へと届けさせよう。

 思いの丈を文に載せると良い。

 紙はいくらでも用意する」


「あ、ありがとうございます」


 そう言って与志古は涙を流し、礼を言ってくれた。



 ……さて、唐に居る真人への便りをどうやって送るか?

 一番確実と思う得る方法は、百済の王子・余豊璋ふよほうしょう)(ヨ・プンジャン)一行が百済との定期連絡に乗せて、唐へと持って行って貰う方法だ。

 しかし今の新羅は危険だ。

 百済と新羅が係争中である事も去ることながら、今の我が国は新羅と国交断絶状態に近いのだ。

 いつぞや新羅から来た使者が唐風の衣を纏っているからと左大臣の巨勢徳太が追い返した事があったのだが、今思えばあの頃から新羅は唐との距離を詰めていったのだろう。

 このような状況で百済の者が無事に通り抜けられるとは考え難い。


 しかし都合が良いことが一つ”だけ”あった。

 今年の七月に唐へ使節を送るのだ。

 孝徳が帝であった以来、六年ぶりの使節の派遣となる。

 第一船、第二船、それぞれの大使に文を持たせればどちらかは届くであろう。

 心配なのは、今回の航路も新羅を経由できないため南側の海路を取る事だ。

 真人らの遣唐使船がそうだった。

 そして二隻のうち一隻が薩摩沖で沈没したのだった。

 孝徳帝の話では、人の手によるものであると言っていたが……。


 なので与志古には同じ文を二通用意させた。

 人に複製を頼めば易いだろうが、受け取る真人にしても代筆よりは母自らの筆による文が良かろう。

 これで与志古の気が晴れればと思ったのだが……見通しが甘かった。


 更に(やつ)れていく与志古を見て、このまま何もせずにいたら与志古も危うく思えた。

 もし出産に漕ぎつけたとしても子供が無事であるとは思えなかった。

 何か手はないか?

 逆子だった耳面刀自(みみもとじ)の出産よりも困難に思える。

 耳面刀自が無事産まれたのは……かぐやか。

 あのかぐやの『呪術』の力があれば。

 与志古もかぐやには全幅の信頼を置いている。

 これ以上ない妙策に思えた。


 だがしかし、今の私はかぐやには相当に嫌われているであろう。

 私の手は余りにも汚れ過ぎている。

 それに帝付きの采女として後宮に傅いているかぐやに、以前の様に気軽な頼み事は出来ぬのだ。

 こちらに来てそのままになる事もあり得るのだ。


 丁度そんな刻、帝が与志古の元へとお越しになった。

 フラリと世間話をするつもりだったと言うが、今の与志古の窮状を見て大層驚き、すぐさまかぐやを貸し出すと約束してくれた。

 何て運がある子なのだ、と心密かに私はお腹の中の強運に驚いた。


 帝が一家臣の妃のために、お気に入りの采女を貸し出す事はまずあり得ない。

 謂わば私の妾として貰い受ける様なものだ。

 少なくとも周りからはそう思われてしまう。

 そこで間に葛城皇子に入って頂いた。

 皇太子からの要望(リクエスト)に応える形で、半年間だけかぐやを借り受けるのだ。

 帝と皇太子の約束だ。

 借りっぱなしになる事はない。


「鎌子のためだ。

 母上には私からお願いする事くらいなんて事はない。

 鎌子の世継ぎかも知れぬのだからな」


 葛城皇子には快く引き受けて頂けた。

 だが、与志古のお腹の中の子を『世継ぎ』と言ったのが気になった。

 次に産まれるのが男子だったら次男なのだが、どうやら葛城皇子の中では真人は私の子として勘定に入っていないらしい。


 ◇◇◇◇◇


 帝からかぐやへの説明がつき、かぐやが与志古の出産を手助けする事が正式に決まった。

 与志古の心の安寧を第一に考え、讃岐の離宮で療養する事にした。

 ここ大原の屋敷は私の生家ではあるが、何かと不自由だ。


「お待たせして申し訳ございませんでした」


 与志古の元へとやって来たかぐやは開口一番、目上の我らを待たせた事を詫びた。

 いや、待たせたのではない。

 待ち侘びていたのだが。


「いや、構う事はない。

 こちらから呼びに行って、来て貰ったのだからな」


 出来るだけ穏やかに受け答えをする様に気をつける。

 かぐやにヘソを曲げられては大変だからな。


「私が居ない方が話がし易いだろう。

 席を外すから、かぐやよ、与志古の話を聞いてくれ」


「はい、承りました」


 私がいると話し難い事があるだろうと思い、娘二人と共にひとまず退室した。

 そう言えば、この子らの事をかぐやは知っていただろうか?


 暫く離れた部屋で待っていると、与志古の笑い声が聞こえてきた。

 ここ久しく聞いていなかった与志古の張りのある声に喜ぶ以上に驚いた。

 まさかもう治ったのか?

 少ししてかぐやが与志古の寝所から出て来た。

 かぐやは私に気が付き、こちらへとやって来たので一番気になっていた事を聞いた。


「かぐやよ。

 与志古の具合はどうだ?」


「そうですね。

 ここでは話が聞こえてしまいそうなので、少し外しませんでしょうか?」


「ああ、そうだな」


 与志古に声が届かぬ場所となると私の執務室しかないのでそこへ案内した。

 そして質問を再開した。


「ご存じかと思いますが、与志古様は有間皇子様の件にひどく動揺しておりました」


「ああ、私も知っている。

 何故なのかもな」


「なので私は味方となる人の存在を示して、与志古様を励まして差し上げました」


「味方か……、居るのか?」


 誰だ?

 額田殿か?

 帝は味方とするには位が違いすぎる。


「中臣様にはいらっしゃらないのですか?」


「ああ、そうだな。

 居ると言えば居る。

 だが盟友とも言える存在となると難しいかも知れぬ」


 不意にかぐやに聞かれて、記憶の中から友と呼べる者を探した。

 葛城皇子?

 物部宇馬乃?

 阿部倉梯内麻呂殿?

 忌部首麻殿か?

 何も政策を共にして来た盟友だが、心から親しいとなると葛城皇子しか思い浮かばぬ。

 だがしかし、自分の息子の命を危ぶまねばならない盟友なんてあり得るのか?


 だがかぐやの見立ては違っていた。


「私はお腹の中の子こそどんな逆境にも負けない真の天才であり、心強い味方となると申しました」


「まだ男から女かも分からぬのだぞ」


「お腹の子はおそらくは男の子です。

 そして歴史に名を残す偉人となる器を持つ子です」


 何故なのだろう?

 かぐやが自信ありげに言う言葉には妙な説得力があるのだ。


「随分と自信ありげに言うのだな」


「はい」


「………分かった。

 それで与志古が納得したのならな」


「それだけでは御座いません。

 もうひと方、心強い味方が居ると教えました」


「其方か?」


「いえ、中臣様です。

 中臣様ならば味方を最後の最後までお見捨てになりません。

 相手の裏をかき、どんな不利な状況でもどうにかしてしまえる方だと申し上げました」


 確かに当たっている部分はある。

 しかしどうにかしてしまえるのなら、こんなに苦労はしておらぬ。


「それは買い被り過ぎだ。

 私はいつも自分の無力を感じておるよ」


「それは中臣様が妥協しないからでは無いのですか?

 妥協しないからこそご自身で全てを片付けてしまおうと苦労を背負い込まれて、出来ないと思い込んでおられる様にお見受けいたします」


「私に信じられる盟友が居れば違っていたのかも知れぬな。

 与志古が私を頼るのであれば、私は精一杯その信頼に応えたい。

 だが、何をするにしても私は自分のした事に満足した事はない。

 むしろ失望することばかりだ。

 有間皇子の件も……」


 私はハッとして口を瞑った。


「いや、話し過ぎた。

 ともあれ与志古が快気に向かっているのならそれで良い。

 讃岐の離宮は其方が好きな様に使えば良い。

 以前は帝の兵が常駐していたが今は居ないはずだ。

 居たとしたら、連中も其方が好きな様に使えば良いだろう。

 讃岐の姫は其方なのだからな」


「はい、承りました。

 全力を尽くします」


「頼むぞ。

 ……それと助かった。

 礼を言う。

 ありがとう」


 他人に礼を言うのは久しぶりの様な気がする。

 かぐやの目は私の言葉に驚いている様だった。


「中臣様のお力に頼るしか御座いません。

 宜しくお願いします」


「精一杯やってみるさ」


 今は強がりでしか無いが、足掻いてみるつもりになるくらいには気持ちが前向きになっていた。



(幕間おわり)

さていよいよ第八章も終わりが近づいてまいりました。

第九章は時代考証が超難問レベルに難しい時代へと突入する予定です。

しかも十月はプライベートでも忙しくなる予定です。

それに備えてパソコンを整備しました。

6年前のCore i3、メモリ12GBのノーパソですが……。

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