【幕間】鎌足の苦悩・・・(14)
第八章の前半部分の、鎌足様視点によるお話です。
蘇我倉山田石川麻呂。
いつ見ても奇妙な名前に思えます。
どこから名字でどこから名前なのか?
※ 前話に引き続き鎌足様視点のお話です。
『孝徳帝帝の息子について事細かに調べよ』
葛城皇子の命に従い有間皇子について調べてみたが、あまり良い評判は得られなかった。
平たく言えば、癇癪持ちの変わり者であるというものだった。
確かに婚礼の儀で見せたあの態度が素なのなら、誰も近寄るまい。
本来、皇子という立場だけで人は寄ってくる。
帝やその親族への橋渡しも期待できる。
皇子とは帝になる資格を有した者であり、特に有間皇子は先帝の嫡男でもある。
将来の帝に恩を売っておきたいと考える輩は掃いて捨てるほど居るだろう。
しかし同時に面倒ごとに巻き込まれる事もあり得る。
魑魅魍魎の政の世界の中でお人好しは通用しない。
理想ばかり語る青臭い俄かの施政者は害にしかならぬ。
現実を見据え、清濁併呑む覚悟を持ち、その上で人望が伴なう事を期待されるのだ。
そんな者は存在し得ないことは分かっている。
しかしそう思わせてるだけの何かが無ければ、孝徳帝の様に傀儡でしか生きてゆけぬのだ。
優秀な家臣を従え、その上で家臣に操られぬだけの実力。
それが有間皇子には無いのだ。
あの底の浅い、如何にも騙し易そうなあの性格は格好の餌食であろう。
葛城皇子には脅威にも成り得ない若造である旨を書き加えて、報告したのだった。
◇◇◇◇◇
最近、川原でよく見る顔がある。
蘇我赤兄だ。
私にとって仇敵 であった蘇我入鹿の従兄弟であり、入鹿亡き後盟友であった右大臣・蘇我倉山田石川麻呂殿の弟、更に言えば石川麻呂殿を陥れた蘇我日向の兄だ。
この十年で蘇我一族の凋落は著しい。
その原因の張本人が言うのも考えものだが、この先、蘇我の世が再び訪れることは無いだろう。
しかし、石川麻呂殿の見事な最期を知る者として蘇我氏というだけで嫌悪するわけでは無い。
要はこの先、帝を中心とした政に賛同出来るかどうかだ。
帝を蔑ろにする様な家臣は害悪にしかならぬ。
その様な輩は私が力尽くで排除する。
例えそれが私の子孫であってもだ。
【天の声】……預言者か?
その様な中、葛城皇子から呼び出しがあった。
「只今参りました。何に御座いましょう」
「鎌子よ、来年我々は紀国へ行く事になった。
そのつもりで準備を頼む」
「御意。
それはいつ頃か分かりますでしょうか?」
「今から紀国にある牟婁の湯の近くに行宮を建設する予定だそうだ。
それが完成した後となると、来年の中頃で無いか?」
「まだ日程にはゆとりが御座いましょう。」
「まあそうだな。
だが此度の湯治では紀国国造の紀直氏との親交を深めたいと考えておる。
其方にはその役目を任せたいのだ」
それは確かに重要だ。
紀直樹氏は今だに強力な軍備を備えており、紀国との友好な関係を築いておかねばならない。
葛城皇子が即位した後、紀国が味方であるか敵であるかで、政権の安定がまるで違うであろう。
「承りました。
なれば私が現地へと赴き、根回しをしておきます。
紀国へ参られる際には、先方から諸手を挙げて歓迎される様、力を尽くします」
「頼むぞ。鎌子よ」
ふと横に目をやると蘇我赤兄が居た。
何故赤兄がここに?
そう訝しんでいると、葛城皇子が私の疑問に答えるかの様に話し始めた。
「鎌子は知っているだろうが、此奴は蘇我赤兄。
倉山田の弟だ。
倉山田には要らぬ嫌疑の末に死なせてしまった負目がある。
そこで兄の赤兄を取り立てようと考えておる」
「何かの役職に就くのでしょうか?」
「まだ正式では無いが、我々が紀国へ行っている間の留守官に任命するつもりだ」
留守官?!
名前は低い地位に思われがちだが、留守官は帝や葛城皇子が不在の岡本宮で帝と同等の権限を与えられるのだ。
これまで大した功績を残していない赤兄には過ぎた役職に思える。
「いきなりの抜擢ですな」
「まあ、倉山田の弟だ。
決して能力が劣るはずが無い。
無論、我々が留守の間、何も無い事が一番ではあるがな」
……?
何も無いとは、つまり何かが起きるやも知れぬという事か?
「そう訝しむな。鎌子よ。
紀国行きはまだ先だ。
その間、赤兄には私から雑務を頼むつもりだ。
私とて能力が分からないまま登用するつもりは無い。
安心してくれ」
「私は葛城皇子様の行動に心配しては御座いません。
ご随意に」
しかし後になってからこの時に手を打たなかった自分が情け無く思えてくる。
まさか赤兄と葛城皇子があの様な暴挙に出るとは思いもしなかったのだった。
◇◇◇◇◇
翌年、我々は紀国へと出発となった。
牟婁へは川を舟で下り、難波津で帆船へと乗り換えて一路、牟婁津へと向かう段取りになっている。
ご高齢の斉明帝の体力を考えての交通手段だ。
この準備のためだけに一ヶ月半を要した。
潮の流れの速い難所を通るのだ。
安全には十分に気を使った結果だ。
しかし旅というのは予想外の出来事が付き纏うものだ。
葛城皇子の第二子、建皇子が高熱を出して動けないのだという。
帝は延期を申したが、風待ちで数日遅れるのなら兎も角、日程を大きく変えると潮が変わってしまう。
計画のやり直しになるため私は反対した。
そして子供一人にために日程を変えるわけにはいかぬと、実の父親である葛城皇子が私以上に反対した。
斉明帝にすれば、建皇子のために此度の湯治を計画したのだ。
あの癇癪持ちの変わり者皇子の性格が治るほどの効用だからと、行宮の外れにかぐやが監修したという湯治場まで備えたという程の入れ込み様なのだ。
結局、建皇子はかぐやが看病し、治り次第陸路で後を追う事で、帝には納得して頂けた。
帝の横には常に額田殿が侍り、帝を支えるとの事だった。
しかし建皇子の病気は一向に快癒せず、帝の様子も日に日に憔悴していくのが目に見えてきた。
かぐやよ、しっかり看病してくれ!
其方ならば出来るであろう。
心の中でかぐやならどうにか出来るという謎めいた信頼を向けていた。
だが、飛鳥から送られてくる木簡を検閲する限り、状況は芳しく無い様子だった。
そしてある日、奇妙な便りが届いた。
『此度、神託を受けました。
此度の建皇子を襲う病魔は、皇子様を帝にする事を阻もうとする何者かの意思が働いております。
それが神なのかそれに近しいものなのかは私には分かりません。
しかし建皇子様が帝になる将来が無くなれば、命を失う危険は去ると申されました。
帝のお力を以て解決への道筋をつけて頂きたく、伏してお願い奉ります』
何だ、これは?!
何を言っているのだ?
私は自分の目を疑いこの木簡を何度も見返した。
神託?
かぐやは神託を受ける能力があったのか?
神に会ったのか?
継承権を破棄すれば命が助かる神託だと?
采女が皇子の継承権に口を挟むなど言語道断だ。
この頭の痛い木簡を帝にお見せするのは気が進まぬが、そもそも帝宛の便りを検閲する事が極秘なのだ。
やむ無く、帝へとこの木簡を受け渡した。
するとその直後、帝は額田殿を伴ない葛城皇子の元へとやって来た。
「葛城よ、お願いがあるのじゃ。
建が帝となる事を反対しておくれ。
そして臣下降籍させ、帝となる道を閉ざして欲しいのじゃ」
側から聞くと異常な光景だった。
孫思いの帝が、その孫が帝に成れぬようにと相続権を放棄させる様、息子に迫っているのだ。
「ならぬ!
建は私の皇子だ。
当然、建には帝となる資格がある。
何故好き好んでその資格を失わなければならないのだ!」
「この木簡にもあります通り、かぐや殿が神託を受けたからです」
「ふん!
正規の神託で無いではないか。
神託とは古来より定められた儀により、多くの祭司らの呪力を以てもたらされるものだ。
いち采女が易々と受け取れるものではない」
「しかしかぐやさんは『神降しの巫女』として名を馳せた采女です」
「かぐやが神降しの巫女だとして、何故に建が帝となる将来を閉ざせは命が助かるというのだ?
私には私の子孫が繁栄するのを邪魔する企みにしか思えぬ。
それでなくとも私には娘は多いが男子の皇子は三人しか居らぬのだ。
大友、建、そして生まれたばかりの川島の三人だ。
そのうちの一人を帝にするな、だと?
もし大友に何かあったらどうするのだ?
あり得ぬ!」
「しかしその建皇子は今、生死の瀬戸際におります」
「もちろん知っておる。
だがもう少しマシな神託を授けよと、かぐやに言っておけ。
采女が帝の継承権に口を挟むなぞ、首を刎ねられても文句は言えぬ程の不敬だ」
厳しい言い方だが、葛城皇子の言い分は至極真っ当だ。
しかしこのままでは要らぬ禍根を残す事になりかね無い。
やむを得ず、助け舟を出す事にした。
「恐れながら……、
かぐやはずっと建皇子様の看病に明け暮れており、疲れ果てております。
その際に都合の良い夢を見て、神託と思い込んだのでしょう。
建皇子様のため懸命になっている者を罰するのは外聞が悪いかと思います」
「そうだな。
この話は聞かなかった事にしてやる。
それが私からの慈悲だ!」
「皇太子様……」
「もうこの話は終わりだ!」
申し訳無いが、問題はかぐやが神託を受けた受けなかったでは無いのだ。
采女が帝継承に口を挟む事が間違いなのだ。
その結果、建皇子が亡くなったとしても道理は変えられぬ。
そして何故か、葛城皇子もそれを望んでいる節があるのだ。
私にはどうしようも無いのだった。
(つづきます)
次話は有間皇子の変と鎌足様のお考えについての予定です。
少し幕間が冗長的になっているため、出来るだけ足早に話を進めたいと考えています。
そう思ってはいるのですが……。




