【幕間】鎌足の苦悩・・・(13)
第303話『鸕野様の輿入れ』、第304話『婚姻の儀にて』の裏側での出来事です。
※ 前話に引き続き鎌足様視点のお話です。
いよいよ、葛城皇子の娘、鸕野皇女様の輿入れの日がやって来た。
大海人皇子様のひょんな思い付きのおかげで、お輿入れの行列は飛鳥から峠道を通り吉野へと向かう道順となったため、少なからず道を整備せねばならなくなった。
道だけではない。
輿に乗っての移動なのだから一日では着くまい。
疲れが溜まる事を考慮して、峠に休憩するための屋敷を用意させた。
その結果、離宮の建設だけでも相当な人員を割いたが、更に負担が増えたのだ。
私自らが陣頭指揮を取る事はせぬが、皺寄せはどうしても私へとやってくる。
おかげでこの四ヶ月間殆ど休めておらぬ。
離宮の建設を勧めたかぐやといい、峠道を整備せざるを得ない状況に追い込んだ大海人皇子といい、私は相当に二人に嫌われたのであろう。
額田様の一件で私も共犯なのだから仕方があるまい。
しかし皇子様が吉野の離宮を守りに堅く攻めるのに易い山城にする事を目論んでいるのであれば、最大の協力者が私となるというのは考え過ぎか?
気のせいであって欲しいが、葛城皇子の命により動いている私には選択肢はないのだ。
まさかではあるが、そこまで考えてかぐやが吉野を推したとすれば、それは蜀の国に伝わる伝説の軍師並みの智慧者としか言う他ない。
あり得ないし、何よりかぐやを三顧の礼で我々陣営に招きたくはない。
さて、行列が出発した。
行列には一流の腕を持つ部民らを動員して作らせた家具一式が担ぎ上げられておる。
もちろん、鸕野皇女が乗った輿もだ。
正装をした担ぎ手や護衛らによる長い列が、大勢の見物人の前をゆっくりと練り歩いて行く。
周辺の者たちは何事かと人垣を作り、飛鳥に住む官人らは葛城皇子の娘と弟君に対する愛情と期待の大きさに驚くであろう。
これならば葛城皇子が娘を蔑ろにしているなどと噂する者はいまい。
これで目的は達成されたはずだ。
明日は馬に乗って吉野へと向かい、婚姻の儀が終わればとっとと帰ってくれば良い。
本来であればこれだけで済むはずであったのだ。
事実、他の三人の皇女らの婚姻は規模の違いはあれ至極簡単だった。
だが、かぐやが余計な事を言ったばかりにこの様な大騒動になってしまったのだ。
私が死ぬまでに、一度は面と向かい文句を言ってやりたい。
◇◇◇◇◇
婚姻の儀の朝、我々は吉野の離宮へと向かった。
昼前には着くであろう。
他には婚姻を祝う官人らも我々の後方をついている。
ただし我々の一行の中に大海人皇子は居らず、一足先に吉野へと赴いている。
一足先に行った者といえば、従兄弟の中臣金が既に現地入りしており、婚姻に関わる祭祀一切を取り仕切る事になっている。
今頃は前準備に追われているであろう。
我々は予定の巳の刻(午前十時頃)より少し前に到着した。
これまで離宮の建設のために、周辺の道はかなり良くなっていたおかげだ。
着いて早々に離宮の広い庭に設けられた祭壇の前で親迎の儀が執り行われた。
父親の葛城皇子と娘の鸕野皇女が待つ離宮。
そこへ大海人皇子様と母親代理の間人太后がそろりそろりと参上し、礼品を葛城皇子へ恭うやうやしく納めた。
二人が並んでいる姿を見るのは久しぶりだが、妙に大海人皇子が若々しく見えてしまう。
然程歳は離れていないはずなのだが、相応の責任を持つ皇太子として過ごす葛城皇子の顔付きが変わったのであろうか?
その後も祭祀は恙無く進んだ。
卜部による太占の結果が読まれたが、都合の良い占いの結果ばかりで白々しさを覚えた。
そうなる様にと何本もの鹿の骨が使われたのだから当たり前なのだが、真実を知る必要も無かろう。
宴ではようやく食事にありつけた。
太后様と並び一番の上座に座っている葛城皇子には悪いが、朝からろくに食べておらぬ故、空腹を満たさせて貰った。
今回の件の張本人であるかぐやは、宴には参加せず、ずっと鸕野皇女の側に控えていた。
何でも今回のかぐやの役目は鸕野皇女の護衛なのだそうだ。
何の訓練も受けておらぬ娘が護衛の真似事なぞ笑わせる。
しかしそうゆう役目を与えなければ、采女が後宮の外に出て婚姻の儀に出席はできぬだろうから、おそらく帝からの計らいなのだろう。
「かぐやよ、神降しの巫女として舞を披露してくれ」
かぐやを見つけた葛城皇子は揶揄うかの様にかぐやに舞を舞う事を命じた。
それを側で聞いていた者達は、帝の即位の儀で見せた神降しの術を見られるのではないかと期待する節があったが、結局何も起こらなかった。
何故かぐやがあの様な事が出来るのかは知らぬが、私としてもあまり悪目立ちはして欲しくないと言うのが本音だ。
一連の事でかぐやには嫌われているでいるだろうが、真人の想い人でもあるのだ。
心配くらいはさせて欲しい。
宴もたけなわとなると、祝いをそっちのけで高官ら出席者が葛城皇子と大海人皇子へと寄ってきた。
しかし、その中に生意気な若造が混じっていた。
「此度は御目出度う御座います。
大海人皇子様におきましては良き良縁に恵まれまして、まるで亡き父上の婚姻を思い浮かべずにはいられませんでした」
先帝・孝徳帝の息子、有間皇子殿が大海人皇子に話し掛けてきたのだ。
有間皇子度の父親である孝徳帝は、ここにいる葛城皇子や間人太后らが難波宮に置き去りにされる様に取り残され翌年憤死した、と表向きはなっている。
(※真相については第267話『【幕間】鎌足の苦悩・・・(2)』をご参照)
その孝徳帝は姪である若き日の間人太后を皇后として迎えたのだ。
その事を本人を目の前にして有間皇子は言い放ったのだ。
祝いの雰囲気はぶち壊しだ。
葛城皇子へ目を向けると、表情が抜け落ちていた。
先ほどの無遠慮な発言を自分への敵対表明と捉えたのであろう。
最悪だ。
すると大海人皇子が有間皇子に返答をした。
「有難う御座います。
叔父上には生前お世話になりました。
私が亡き叔父上に似ている部分があるのなら、それは喜ばしく思います」
同じ皇子でも、有間皇子と大海人皇子とで度量の違いを見せつけた。
だが有間皇子殿はそんな事はお構いなしの様であった。
「ところでこの婚礼に際して吉野の地に離宮をお建てになられたのは何か理由でもあるのですか?」
「これは愛娘である鸕野皇女を私が娶るに際して、兄上が贈られた宮です。
さぞ鸕野皇女の事を大切になさってこられたのだと思います」
「この様な山奥に立派な宮を建てずとも京の近辺にも建物はありましょうに、何故に吉野でしたのでしょう?」
何故か有間皇子殿は吉野の地に新たに離宮を建てた事に対して苦情がある様だった。
「それは妾が生駒の麓で育った故、御父上が妾のために風光明媚な場所を選んでくれたからなのじゃ」
突然、鸕野皇女が有間皇子の詰問に対して答えた。
「そうだったのですか。
かく言う私も賑やかな京よりも人里離れた地で逗留するのが趣味です。
大海人皇子様には、いつか疲れを癒す良い湯をご紹介したいと思います。
もちろん皇女様もご一緒に」
「それは楽しみじゃな。
心待ちにしておるのじゃ」
鸕野皇女の機転でその場の雰囲気を取り成して、葛城皇子の顔を立てた上で何事もなかったの様に話を収めてくれた。
やはり相当に頭の回転が早い皇女の様だ。
そうこうしているうちに帰路につく刻がきた。
陽のあるうちに飛鳥へと戻らねばならないのだ。
こうして我々は来た道を引き返した。
その道中、馬上の葛城皇子は私に向かってこう話し掛けた。
「宴に参加していた孝徳帝帝の息子について、どこに住んでおり、どうやって過ごしているのか、事細かに調べよ」
「御意」
あの短慮な皇子を調べてどうするつもりなのか。
まさかと思いつつも私は十日ほどで調べ尽くし、葛城皇子へ報告の木簡を提出した。
(つづきます)
婚姻の儀の本シーンは、かぐや視点、有間皇子視点に続き、三度目ですね。
同じ場面であっても三者三様の考えの違いというのは書いていて面白いと思います。
決してコピペが楽なのではありませんです。
決して……。




