【幕間】鎌足の苦悩・・・(12)
吉野にお住まいの皆様、ごめんなさい。
当時は世界遺産に認定されていなかったため、さしもの鎌足様もその魅力に気づけななかったという事で、(鎌足様の)暴言をお許し下さい。
※ 前話に引き続き鎌足様視点のお話です。
なぜ吉野なのだ?
かぐやが鵜野皇女の住まう離宮に吉野を指定したのは何故なのか?
吉野に一体何があると言うのだ?
かぐやは明確に言ったのだ。
『吉野は風光明媚な場所と伺っております。馬を好む鸕野様にとって心の安らぎを与えてくれる造りが宜しいかと』と。
あの話の流れで吉野以外に離宮は建てられぬ。
それは即ち大海人皇子の意向でもあるはずだ。
吉野には何かが在ると考えていい。
自分が知らない事が我慢がならない私は、直接吉野へと足を運んだ。
名目は離宮を建てるための事前調査だ。
万が一、皇子様に謀の意思があるのであれば潰さねばならぬ。
だが吉野には謀が入り込める余地など考えられないほどの山奥だ。
もし利点があるとすれば、こんな山奥まで攻め込みたくはないくらいであろう。
では逆に吉野から攻め入る事は……?
いや、多分無いだろう。
このような場所で大軍を維持出来るとは思えぬ。
現に資材の搬入のために私が苦労する事が決定しているのだ。
飛鳥から吉野への道順は二つある。
一つは遠回りになるが、起伏の少ない大与度(※今の奈良県吉野郡大淀町)へ向かい、東の方向へ折れ、その先を川伝いに吉野へと辿る道。
そしてもう一つは、飛鳥からの最短距離となるが芋峠を抜けて山越えする峠道だ。
資材を運ぶとしたら前者しかない。
峠道は道が細い上に起伏が激しい。
牛馬で引こうとしても馬がへばってしまうだろう。
それを考えると、吉野の少ない利点としては少数で守りに徹する以外に利点は見当たらぬのだ。
こうして現地に入ってみると、たったの半日離れた場所は思えぬほど景色が違っていた。
山、山、山、そして川。
風光明媚な場所とかぐやは言ったが、私に言わせれば辺鄙で何も無い僻地だ。
飛鳥とは植生も違っているため、別の国へやってきたかの様な錯覚を覚える。
だが、離宮を建てる場所はあまり選択肢がなかった。
鵜野皇女が馬を好むと言っていたので、厩戸が必要だ。
それなりの広さを確保せねばならなぬ。
しかし吉野には広い宮を建てられる平ら場所が殆ど無いのだ。
整地からして難興事が予想された。
もしこれが私に対する嫌がらせだとしたら、十二分に成功しているのであろう。
◇◇◇◇◇
四月後、冬の寒さが厳しくなる前に離宮は完成した。
完成を急がせるため、飛鳥で興事に奉じている労役をこちらに割いたおかげではあるが、かなり無理をした。
ただでさえ渠の興事は評判が芳しく無いのに、この離宮の建設で悪評が増すばかりであろう。
帝には申し訳ないが、悪評の矛先となって頂く他無い。
さて、離宮は完成したが、このまま「はいどうぞお受け取りを」とはいかぬ。
少なくとも大海人皇子様かその関係者に検閲をお願いせねばならない。
あばら屋かも分からぬ屋敷は受け取れまい。
何か仕掛けられても嫌であろう。
皇子宮へ参上し、完成した離宮の検めをお願いをしたところ、皇子様自らが行くと言いだした。
勘弁してくれ。
そうしたら私が付き添わねばならぬであろう。
しかし、断るなどとはあり得ぬ。
止めて欲しいという言葉を飲み込みつつ、私は再度吉野へと行く事になった。
辺りの視察などを考えると新しく建った吉野の離宮で一泊になりそうだ。
私は家臣、舎人共に命じて、予め宿泊の準備を整えさせた。
そして当日。
急ぐため移動は全て馬にした。
もちろん馬に乗れぬ者は連れて行かぬ。
同行するのは私と護衛、そして官人が数名。
婚姻の儀の段取りのために付いて来たいと申し出があった。
皇子と皇女の婚姻で葛城皇子が盛大に執り行うと決めたのだ。
大掛かりな行列が組まれる事と相成り、吉野までの行程を調べるつもりなのであろう。
皇子様一行の中に大伴馬来田が居た。
馬来田の横には若いのが居たが、息子なのだろうか?
しかし世間話ができる状況では無いので確認は出来なかった。
今の私は皇子様の接待が第一なのだ。
大与度へと向かう道は順調で、特に気をつけるべき事は無さそうだった。
そして川沿い道は所々整備が必要に思えたが、大した事では無さそうだ。
皇子様も特に不満はないと言う。
離宮へ着くと皇子様には中を検めて頂いたが、満更でない様子で悪く無い感触だった様だった。
そして夕餉の席。
皇子様とゆっくり話をする機会が訪れた。
「鎌足殿、今回の婚姻の件では鎌足殿に負担を掛けてしまいましたな。
大変ありがたく思う」
「婚姻は葛城皇子の発案によるものにて、私が取り仕切るのは当たり前の事。
皇子様はこれまで三人の妃を受け入れ、鵜野皇女様が最後の出番ですな。
これで私も肩の荷が降ります」
「ああ、兄上からの大切な預かりものだ。
大切にしよう。
しかし一つ聞いてもいいか?」
「はい、何なりと」
「どうして鵜野皇女は吉野を希望したのか、鎌足殿は知っているか?」
……え?
私は思わず言葉を失った。
大海人皇子が吉野を希望したのでないのか?
「どうしたのだ? 鎌足殿」
「いえ……、私は吉野の離宮を望んだのが皇子様であると思っておりましたので。
皇女様は婚姻も知らせを受けた時、そこまで思いを馳せる事は出来なかったでしょう。
その席で吉野を推したのは皇女様の横に居たかぐやなのです。
皇子様の舎人でしたあのかぐやに御座います」
「そうだったのか。
それは知らなかった。
かぐやがか……」
まさか皇子様が関与していなかったとは……。
と言う事はかぐやの独断か?
大丈夫なのか?
「あの……今更では御座いますが、この地に離宮を建て宜しかったのでしょうか?」
「ああ、構わんよ。
むしろここでなければ困る」
良かった。
ここまで来て無いことにされたら目も当てられん。
それにしてもかぐやめ……。
何を思い、独断で吉野を指定したのだ?
また思考の堂々巡りが始まってしまった。
◇◇◇◇◇
翌朝、飛鳥へと帰ることになり全員が馬に乗り出発しようとしたその時、皇子様から突然の提案があった。
「鎌足殿、すまないが帰路は山越えの峠道を通りたい」
皇子様の無責任な思い付きに、再び胃に痛みが走り出した。
勘弁してくれ。
「あまりお勧めは出来ませぬが、理由を伺って宜しいでしょうか?」
「大した理由では無い。
そちらの方が近道なのだろ?
どのくらい山道が険しいか予め知っておきたい。
必要であれば整備をする事もあり得る」
確かに、ここへ至る近道がどうなのか知っていないのは都合が悪かろう。
もし私であったら、敵が峠道を通ってやってくるのかも知れぬのであれば必ず調べ尽くすはずだ。
「承りました。
道が険しい事が予想されます。
出来るだけ馬に負担を掛けさせないよう、気をつけて参りましょう」
「頼むよ」
狭い道を進み、途中で屋敷は何軒かあったが人影は少ない。
馬を労わりながら進んだおかげで芋峠を無事に抜けた。
後は下り道だ。
しかし、この様な逃げ場の無い道で山賊に襲われれば一溜りも無かろう。
やはりこの峠道は使えぬな。
私は早々に見切りを付けた。
しかし皇子様は違って見えたのだろうか?
飛鳥へ到着するとこう仰った。
「鎌足殿。
婚姻の儀の際、行列を成して吉野へと向かうのであろう。
その行列はこの峠道を通させてくれ」
何……だと?
(つづきます)
斉明天皇の時、吉野に離宮があったのは間違いなさそうですが、それが鵜野皇女のための建てられたという話は残っておりません。
しかし後に鵜野皇女は頻繁に吉野を訪れており、人生の転機となる際、吉野は重要な役割をします。
おそらくは天武天皇と持統天皇(鵜野皇女)にとって吉野が特別な場所だったと思われます。




