【幕間】鎌足の苦悩・・・(11)
本話の内容は第299話、第300話とほぼ同じですが、鎌足様の心の中では激震が走っていました。……というお話です。
心だけでなく、鎌足様の胃も大変なことになっております。
※ 前話に引き続き鎌足様視点のお話です。
後宮へ呼び出しをする前に先ずは鸕野皇女が何故後宮に居るのかを調べさせた。
中臣に連なる氏から後宮へ遣わされた氏女らに報告させたところ、やはりというか案の定というべきか、この一年、皇女はかぐやと行動を共にしている姿が見られたとあった。
また他の者からは、皇女様がかぐやを師として教えを請うているとも。
この知らせを見たとき、何故か私はかぐが二人に分裂する様子を想像し、目眩を感じた。
その想像が私の頭を痛くさせるということは、私はかぐやの事を疎ましく思い、鸕野皇女が手強い相手であると直感しているのであろう。
以前に見えた際に感じた皇女の印象は、行動力が有るだけではなく、何気ない話の中に核心を突く感の鋭さと聡明さを感じさせ、育て甲斐の有りそうな娘である、というものであった。
だからであろう。
らしくもなく、かぐやを家臣にしたいという皇女に説教めいた話をしてしまった。
(※第296話『【幕間】お転婆皇女の冒険・・・(4)』ご参照)
しかし今思えば、それが余計だったのであろう。
持ち前の行動力で、皇女はかぐやとしっかりと結びついてしまった。
あの皇女にかぐやの持つ知恵が加わったとなると……。
自分のしでかした不手際を思うと、更に頭と胃が痛くなってきた。
後宮に居る皇女様を呼び出すとなると格式が必要となる。
家臣が皇女を内裏の外へ呼び出すと言うのは礼に反する事だ。
そこで葛城皇子から皇女へ木簡を出すようお願いをした。
流石に葛城皇子からの木簡を検める愚か者は居まい。
そして葛城皇子より受け取った木簡がこれだ。
『些細な事であるが、ひとまず鸕野に話がある。
かぐやと共に川原宮へと参れ』
葛城皇子に鸕野皇女様がかぐやに師事するために後宮に滞在していることを伝えたところ、ついでに呼び出そうとなったのだ。
悪い予感が更に大きくなってきた。
さほど待たせることなく、二人は川原へとやってきた。
かぐや仕込みの御粧もされており、以前の童子だった娘の面影はなく、まだ若いながらも美しく成長した事を感じさせた。
しかしそれ以上に気になったのが、皇女の目だった。
その目の奥に以前とは比べ物にならないくらいに知性の光が宿っていたのだ。
私は平静を装いつつ、この皇女を大海人皇子に差し出すのだと思うと、絶望の淵に居る気分になった。
大声を出して阻止したいくらいの気分だ。
「鸕野よ、久しぶりだな。
元気にしていたか?」
「お父上におきましてはご機嫌麗しゅう御座います。
おかげをもちまして健勝そのものに御座います」
「はははは、あまり会ってやれぬが私は父親だ。
家臣が口を聞く様な口調で話さずとも良い。
それはそうと、かぐやよ。
鸕野に教えを説いていると聞いた。
其方の事だ、面白い事を学んでいる事であろう。
鸕野に代わって礼を言う」
「勿体無い言葉に御座います」
「ところで鸕野の学習の具合はどうだ?」
「頭脳明晰な鸕野様へは、私がお教えする事も残り少なくなっている程に大変優秀に御座います」
嘘だろ?
あのかぐやが教える事が無い……だと。
底無しとも思えるかぐやの知識、私も教われるものなら習いたいものだ。
それを一年でか?
「そうか。そんなにか。
ならば何処に出しても恥ずかしくはないな」
「鸕野様に恥ずかしい所は全く御座いません」
かぐやの言葉の中に、鵜野皇女様への揺るぎない信頼の情がみえる。
おそらく二人には強い絆が結ばれているのだろう。
「それは良いな。
ならば心配はあるまい。
鸕野よ。
其方は我が弟、大海人皇子の妃となれ」
「わ……妾はまだ十三。
叔父上に差し出すにはあまりに貧相では御座いませぬか?」
俯いているかぐやの表情は分からぬが、皇女は明らかに狼狽の様子を見せ、皇女とは思えない発言をする。
余程、意外であったらしい。
「心配せずとも良い。
其方の他に姉の三人を娶らせる。
大海人を満足させるのは姉らに任せれば良い」
「妾は付け足しなのでしょうか?」
「それは違う。
其方の母親は右大臣であった倉山田殿の血縁者だ。
他の娘らとは重みが違う。
皇后にもなりうる資質を持つ血筋だ。
むしろ其方を娶らせたいが為に、姉達を差し出すのだ」
「何故今なのでしょう?」
「大海人から額田を譲り受ける代わりに、私から妃を譲るとの約束が未だ守られておらぬのだ。
大海人は額田と共に愛娘の十市を私の元に差し出しているのにだ。
ケチ臭い事は私の誇りが許さぬ。
故に実の娘を差し出すのだ。
もし大海人が帝となったとしても、その次代は私の孫だ。
十市と私の皇子との間に子が生まれれば、やはり私達兄弟の孫が帝となる。
私にとっても大海人にとっても利があるのだ。
身内同士で争う愚を繰り返さぬ為にも、鸕野には期待しておるぞ」
「妾はこれから何を望まれるのでありましょう?」
皇女の質問に一つ一つ的確に答えていく様を見て、皇女の声も次第に大人しくなっていった。
気分良く嫁いで貰うのは難しそうだが、少なくとも納得はするだろう。
それだけの見識はあるだろう。
これで皇女四人は皆、納得の上で大海人皇子様の元へ行くだろう。
これで肩の荷が降りた気がした。
「恐れながら……」
突然のかぐやの声に私は内心驚愕した。
この期に及んで何だ?
何を言うつもりだ?
かぐやはこの婚姻に反対するつもりなのか?
「何だ、かぐやよ。
よもや鸕野が嫁ぐのに反対でもしようと言うのか?」
葛城皇子が威嚇する様に、かぐやに向けてピシャリと言う。
「私は帝に仕えますしがなき采女に御座います。
そんな私なぞが皇太子様のご意見に口を挟むなど、あまりに恐れ多き事と存じております」
「分かっているなら良い」
「私が懸念しておりますのは皇太子様の事に御座います」
拙い。話を続けさせるべきでは無い。
そう思ったが、それより先に葛城皇子がかぐやへ問い返した。
「私の何に懸念する事などあると言うのだ?」
「皇太子様のなす事は、全て衆人の眼に晒されることに御座います。
口さがない者らが此度の婚姻をどの様に捉えるのか、今一度お考え頂きたく存じます」
「何か不都合があると言うのか?」
「鸕野様が皇太子様にとって大切な愛娘であるかを疑われる事はあってはならないと愚考致します。
先程も鸕野様こそ大切と仰いましたが、見る目のないものからすれば幼い鸕野様を付け足しとして差し出したとも思われかねません。
その様な事は皇太子様にとりましても不本意かと」
「かぐやよ。其方の言いたい事は分かった。
ではどうしたら良いと思うのだ?」
このままではかぐやに話の主導権を握られると感じ取った私は、遅きに失した感はあるが、強引に口を挟んだ。
「皇太子様が鸕野様を大切に思われている証を、目に見える形でお示しになられては如何でしょう?」
「ふん! かぐやの言う事も尤もだ。
大して大切にしてもおらぬ娘を差し出したと思われるのは、確かに癪だ」
駄目だ、完全にかぐやの思い通りに話が進んでいる。
止めねば。
「ではかぐやよ。
其方はどうすれば良いと思うか?
其方が付いて行くのか?」
「私は采女であり、帝に仕える身に御座います。
私が付いていけば、帝がお孫様である鸕野様を大切にされているという証の一つにはなるでしょう。
しかし皇太子様には何の益ももたらさないかと思われます」
「回りくどいな。どうせよと言うのだ?!」
葛城皇子は頭に血が登り始めた様だ。
こうなっては止められぬ。
これもかぐやの策のうちか?
「逆に考えてみます。
このまま鸕野様を大海人皇子様に差し出せば、鸕野様を大海人皇子の皇子宮へ押し込める様な形になると思われます。
仮に大海人皇子様が屋敷をご用意されても、それは大海人皇子様の器の大きさを示すだけになります。
それを避けるのが宜しいのでは?」
「鎌子よ、鸕野に屋敷を用意しろ」
すかさず葛城皇子は私に指示した。
これくらいなら安いものだ。
心の中で安堵した。
しかし、それは油断であった。
「恐れながら……」
「今度は何だ?」
「皇太子様は愛娘四人を大海人皇子様に娶らせると仰いました。
もしもその中のお一人が大田皇女様であるのなら、話はだいぶ変わって参ります」
「なっ……」
「何故それを知っているのだ?!」
しまった!
つい口に出てしまった。
先ほど、葛城皇子は『其方を娶らせたいが為に、姉達を差し出すのだ』と言ったのだ。
だが四人の中に同母の姉が居るのならそれは真っ赤な嘘になる。
どう考えても后は大田皇女だ。
落ち着いて考えれば分かるはずのものなのに、咄嗟に口から漏れた言葉に激しい後悔の念に駆られた。
「ただ私は鸕野様が皇太子様に大切に思われている事が肝要かと考えております。
吉野は風光明媚な場所と伺っております。
馬を好む鸕野様にとって心の安らぎを与えてくれる造りが宜しいかと」
かぐやはこれ以上切り込むつもりはないらしい。
婚姻には全く反対するつもりはない様子だ。
だが……、何故吉野なのだ?
吉野に何があると言うのだ?
私はかぐやの意図を計りかねていた。
「分かった。考えておこう」
「はい、私は大海人皇子様の事もよく存じております。
きっと鸕野様をとてもとても大切にされると思います」
そう言い残し、二人は深いお辞儀の後、去って行った。
……畜生!!
私は深い敗北感の中へと沈んだ。
(つづきます)
拙作の執筆を開始してもうすぐ一年になります。
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