吉備郎女(きびのいらつめ)
また一つ、布石を回収します。
※斉明帝の衝撃的な告白が続きます。
「知る者が居なくなれば……とは」
秋田様がやっとの事で言葉を絞り出します。
その言葉が何を意味するか思いつく事は簡単です。
しかし理性がそれを考える事を拒否します。
「秘密とは例外なく隠すものなのじゃ。
誰にも知られぬ様にな。
蘇我の恐ろしさを知る舒明は事の露見を恐れ、徹底して秘匿したのじゃ。
後宮の者を一人残らず入れ替えた。
いや……。
入れ替えたと言う言い方は相応しくないの。
漢に近い者達を後宮の外に連れ出し、密かに処分したのじゃ。
葛城の死を知る者が生きる事を舒明は許さなかったのじゃ。
日々共に過ごす采女ら、母の代より苦労を共にしてきた者達、姦しく賑やかな雑司女達、……皆居なくなった。
ワシはその時になり、とんでもない事になった事をようやく知ったのじゃ」
すると私の横から大きな声が。
「その様な事は御座いません。
寶皇女様は精一杯の事をされました!」
突然の発言。
その声の主がお婆さんである事を理解するのに1テンポ遅れました。
なぜ?
お婆さんが?!
「吉備よ。
其方が無事であった事がワシの心を軽くしてくれたのか……。
じゃが去っていった者達はもう戻らぬのじゃ」
何故、帝とお婆さんの会話がスムーズなの?
「あ、あの、母様?
どうゆう事?
吉備って?」
お婆さんが天井人の帝と普通に会話をしている事に理解がついていきません。
置いてかないでー。
「かぐやよ、ワシから説明しよう。
其方の母、吉備郎女はワシが若き時よりお付きとしてずっと共にいた采女じゃった。
そして先の粛清を境に二度と会えぬ、そう思っておったのじゃ。
三年ほど前かの…‥讃岐を訪れたワシが吉備と再開したのは。
あの時の気持ちを何と言えば良いのか……」
「私は知っております。
寶皇女様が密かに手を打ち、私達を逃す算段を打ってました事を。
そうでなければ私は生きていなかったでしょう」
「ふふふふ、吉備よ。
其方はいつも優しく、そして強い女子じゃ。
其方が側に居てくれた事がワシにとってどれだけ心強かった事か。
奇しくも其方の娘にも、まさに今助けられておるのじゃ。
これが運命というものなのかの」
「私こそ寶皇女様にお支え出来た事を誇りに思っております」
知らなかった……。
お婆さんって帝付きの采女だったんだ。
じゃあ何故、今は讃岐に居るの?
いやいやいやいや。
先ずは漢皇子がどうなったのかだよね。
「あっ、あのっ。
母様が過去に何があったのかとても気になります。
ですが、先ずは漢皇子様のお話をお聞かせ下さい。
これは私が秋田様に聞いてしまったため、帝は話したくない過去のお話に触れなければならなくなったのですよね?
キチンと責任を持ってお話を聞きたいのです」
「そうじゃな……。
残念じゃが、これだけでは終わらんかった。
忌まわしい事にの」
それにしましても情報過多でいっぱいいっぱいです。
息をするのも苦しいくらいです。
「お話の途中、申し訳御座いません。
一先ずお飲み物をご用意させて下さい」
「そうですね。
私も頭がクラクラしそうです。
予期していたとは言え、想像を超えておりました」
秋田様も一息付く事に同意してくれました。
「じゃあ、かぐや。
手伝っておくれ」
「はい、母様」
私とお婆さんは台所へ行って、飲み物の用意をします。
帝が居られるのでいつでもお湯の準備が出来ております。
家人の人に燻した大麦をお湯に入れて熱い麦茶を淹れました。
その間、私はお婆さんにたくさんたくさん聞きたい事があったのですが、時間が差し迫っていましたので、とりあえずどうしても確認したかった事を一つだけ聞きました。
「母様……、私の行動が帝に筒抜けだったのはひょっとして?」
「ああ、そうだよ。
かぐやの事をお教えすると寶皇女様はお喜びになるからねぇ」
間諜発見!
お巡りさん、この人です。
【天の声】日本にスパイ防止法はないから無罪。
帝にどこまでバレているのか心配になってきました。
ともあれお茶を皆さんに配り、少し気を落ち着けることが出来ました。
……ふぅ。
◇◇◇◇◇
「おかげで少し気を落ち着けられた。
さて……。
入れ替わった漢皇子が葛城皇子となった訳じゃが。
当の本人は幼いながらに違和感を持っておった。
歳が違えばおかしいと思うのは当然じゃ。
じゃから分別がついたであろう年齢となった葛城にワシは全て話した。
其方は漢皇子であったとな。
元々聡明な子じゃ。
自分の置かれた立場を理解し、苦い真実を飲み込み、前向きに捉えてくれた。
……そう思ってた」
……た?
「漢皇子であれば高向王の皇子として、援助も得られよう。
蘇我の血を引くものとして、命を狙われる事は少ないじゃろう。
じゃが葛城皇子に味方は居らぬ。
父も母も皇子であり皇女じゃ。
祖父も祖母も皆、皇子と皇女じゃ。
舒明が望んだ蘇我の血を引かぬ皇子とは何とも過酷なものじゃ。
それが故に葛城は己を鍛えた。
文も武もじゃ。
何度も命の危険に晒されながらも、鎌子という心許せる有能な友を得て入鹿を討った。
しかし勢威を誇る蘇我は入鹿を討っただけでは終わらぬ。
蝦夷を討ち、蝦夷に従属する者どもと尽く対立した。
あの鎌子が味方で無かったのなら、計画は頓挫していたであろう。
本来であれば味方をするであろう高向氏や東漢氏から兵を向けられもしたのじゃ」
歴史の教科書では中大兄皇子と中臣鎌足はあっという間に蘇我を討ったとあるけど、実際には激しい戦もあり、内乱に近かったみたいです。
「そんな葛城に追い打ちをかけたのが他ならぬ孝徳じゃ。
舒明の願い、我ら大和による政を実現する計に意を唱え、葛城を亡き者にしようとしたのじゃ」
多分あの時かしら?
(※第91話『突然の皇子様の来訪(3)』、第129話『【幕間】鎌足の焦燥・・・(1)」をご参照)
「弟の孝徳は元来、気の弱い男じゃ。
いつも蘇我の影に怯えておった。
その怯えの矛先が葛城へと向いたのじゃ。
その頃から葛城の様子が変じゃったが、その事に気づいてやらなかったワシの落ち度じゃ」
「様子とは?」
「ワシの想像にすぎぬのじゃが……。
葛城は弟の大海人に酷く劣等感を抱いておる。
大海人皇子はまごう事なきワシと舒明の間に生まれた子じゃ。
しかし葛城は違う。
大和の血統を託された葛城は大和の血縁に苦しめられる様になったのじゃ。
事あるごとに葛城は言う。
血が薄いと。
それは建が啞となって生まれた時にはっきりと出た。
血の薄い子は所詮凡夫に過ぎぬとな」
確かに皇太子の建クンへの風当たりは厳しいですが、それは母親が皇女で無いだけではなかったから?
「大海人皇子に自分の娘を全て娶らせ、大海人皇子の妃の額田を横取りし、いつしか我ら大和の血統を全て自分に染める事が目的になってしもうておる。
本来の自分ではない人生を歩む事の苦しみ。
それを理解してやれなかったワシらのせいなのじゃ。
じゃから葛城のする事にワシは否を唱える事は出来ぬ。
止める事は出来ぬのじゃ」
「「「………」」」
皇太子様の心の傷、それは帝の心の傷でもあった訳です。
それ故、帝は皇太子様に一切の反論をせず、帝への重祚を受け入れ、政を全て任せて、皇太子の非道にも目を瞑るしかないのでしょう。
今の皇太子はまるで暴君です。
今後、どこまで暴走していくのか。
私は知っています。
(つづきます)
ペンディングとなっていたお婆さんの秘密が一つ明らかになりました。
ちなみに葛城皇子(中大兄皇子)の血統は以下の通りです。
父:舒明天皇(田村皇子)
母:皇極・斉明天皇(寶皇女)
父方祖父:押坂彦人大兄皇子
父方祖母:糠手姫皇女(敏達天皇の娘)
母方祖父:茅渟王(押坂彦人大兄皇子の息子)
母方祖母:吉備姫王(桜井皇子の娘)
系図はいつか用意したいですね。
ちなみに日本書紀によりますと中大兄皇子の生誕は西暦626年、実は舒明天皇の即位629年より前とされています。
ではいつ宝皇女と高向王は離縁したのか?
漢皇子はいつ生まれたのか?
更に兄妹である間人皇女と大海人皇子の生誕年は不明です。
当時の歴史家は生誕年月日に興味が無かったのか?
それともわざと隠したのか?




