かぐやの独白・・・(1)
鵜野様との会話は自然と筆が進むので執筆が楽です。
もうそろそろ本作は終幕へ向けてお話が加速していきますが、その触りの回となります。
「かぐやよ、ワシは吉野へ行くぞ!」
斉明帝が思い出したかの様に、急に、突然、何の前触れもなく、この様に仰いました。
どうやら、楽しみにしていた紀国行きが建クンと一緒でなかった事の復讐の様です。
現代でしたら車で小一時間時間もあれば行けてしまう場所ですが、古代では人の足で半日以上掛かります。
帝が行かれるのであれば輿での移動になりますので、一日で着くかどうかです。
橿原から吉野行きの近鉄特急があれば楽なのに……、一度は乗りたかったなぁ。
そして翌日。
帝は輿へと乗り込み、吉野へと出発しました。
後宮の選抜メンバーも同行します。
もちろん私も建クンも一緒です。
今、吉野の離宮には、鸕野様が常時住んでおります。
すでに先触れは届いており、先方の受け入れ準備はできているとのことです。
おそらく、帝が吉野へ行くと言い出したのは突然でであっても、予め準備はされてあったらしく、計画犯行的なプンプンと匂いがします。
何者かに邪魔されたり、反対されるのを帝が嫌がったのかも知れません。
出発の直前まで何処かの使いの人が、止めに来ていました。
私にとって吉野行きは二度目です。
しかし建クンはお留守でしたし、帝も婚姻の儀には参られませんでした。
(※第303話『鸕野様の輿入れ』ご参照)
なので帝は一度は行ってみたかったのでしょう。
鸕野様が後宮に滞在されている間、建クンにとって優しいお姉さんである鸕野様を帝は随分と可愛がっておりましたから。
道中、山賊の襲撃もなく、道も良くなっており、順調に進みました。
おそらく大海人皇子が吉野の離宮へ頻繁に通われるため、家臣の皆さんが整備に手を貸したのだと思われます。
おかげで陽が高いうちに吉野へと到着しました。
吉野の離宮では鸕野様が出迎えしてくれて、楽しみにされている様子が伺えます。
後の世では新旧女帝として名高いお二人も、ここでは仲の良い孫とお祖母様です。
「ようこそ参られたのじゃ。
おお建よ、大きくなったの。
忘れてはおらぬよな。
姉の鸕野じゃ」
「……ん、覚えてる」
「おぉぉぉ、建。
すっかりお利口さんになって、妾は嬉しいぞ」
最近の建クンは口数が増えてきました。
相手を選びますが、親しい人には短い単語で話をしてくれます。
逆にそうで無い人には、未だに完全無口です。
そんな建クンがお話をするという事は、鸕野様に対してとても親しみを感じているという証なのでしょう。
「これこれ、この様な場では帝を先にお迎えするのじゃないのかえ?」
「大変申し訳ないことですが、建が可愛いので仕方が御座いませんのじゃ」
「ほっほっほ、その通りじゃ。
そう言われては何も言えぬて」
「お祖母様、よくお越し下さいました。
ごゆるりとなさって下さい」
十五になった鸕野皇女はすごく大人びた雰囲気となり、落ち着きのないどこぞの二十二歳と変わらないご様子です。
「かぐやよ、待っていたのじゃ。
其方がここへ来ると聞いて、楽しみで仕方がなかったのじゃ。
それにしてもかぐやは全然変わらぬよな。
全く年をとっていない様に見えるのじゃ」
「私も女子として日々努力しております。
建皇子におばちゃんと言われぬ様、あと十五年はこのままでいられる様頑張るつもりです」
「ははははは、かぐやがそう言うと本当にそうなりそうじゃの。
その時は妾も御相伴に預らせて貰おうか。
ささ、中へ入られよ」
一年半ぶりに会った鸕野様は何も変わらない様子でした。
◇◇◇◇◇
「ふぅ〜。
何と言うか、飛鳥にいるよりこっちの方が落ち着くのお。
これも鸕野のおかげじゃな」
お付きの者に腰を揉ませながらのんびりとくつろぐ帝は、まるで娘の実家でゴロンと横になるお母さんみたいでした。
それだけ鸕野様を身近に感じているのでしょう。
「お祖母様は大変な事が多過ぎました。
せめてここにいる間は全て忘れて寛いで欲しいのじゃ」
「助かるのお」
「ところで、建はもう体調は完全に元に戻ったのか?」
「……ん」
「ふふふふ、それは良かったのじゃ。
実際どうなのじゃ? かぐやよ」
「ええ、すっかり回復しております。
元気すぎるくらいなので、ご安心下さいまし」
「ん!」
建クンが、それは違うの「ん」で反論します。
「そうか、それは良かったのじゃ。
じゃが、一体何があったのじゃ?
ひと月近く熱でうなされたと聞いたのじゃ。
その様な病気は聞いた事がない」
「婆ぁも近くに居てやれず、気が気でなかったぞ」
「それにつきましては、機会があれば詳しくご説明致します。
結果として帝の建皇子を想う気持ちが天に届いたという結論になりますが、なかなか信じては貰えないお話なので」
「そうか。
では場所を改めて聞くとするかの」
「うむ、かぐやの言う事じゃ。
只事ではあるまい」
この場にはお付きの人や、飛鳥からついて来た供の者がおります。
あまり人に聞かれたくない話なので明言を避けて口を濁しました。
帝のご様子からすると、それが吉野行きの目的だった様です。
どうやら私も建クンを護るためにも腹を括らなければならないみたいです。
◇◇◇◇◇
そしてその晩、人を排して話し合いが持たれました。
私と帝と鸕野様の三人だけでお話しです。
「婆ぁも、いつも周りに人が居るので聞くに聞けなかったのじゃ。
ぜひ教えてくれや」
「はい、承りました。
ただ荒唐無稽と思われる話も含まれます。
信じますか信じませんのかはお任せ致します」
何処かで聞いた様な前置きをした上で話を始めます。
「鸕野様にはお話ししましたが、私には『天女の智慧』とも言える知識が御座います。
例えば、鸕野様と大海人皇子との婚姻はその智慧の中に御座いました。
この様に私には人に話せない事が幾つかございます」
「其方は……一体何者なのじゃ?」
恐る恐るといった感じで帝が聞いてきます。
「私は……ごく普通の女子でした。
そこではごく平凡な生活を営み、ごく平凡な人生を歩み、ごく平凡な将来を過ごすであろうと信じておりました。
しかし突然、ここへとやって来て全てが一変したのです」
「かぐやが平凡な女子とは何かの冗談であるのか?」
「いえ。冗談でも何でもなく、その様な世界に私は居たのです。
そこでは天女の智慧など比べ物にならない叡智に満ち溢れており、人は神の如くの生活を営んでいたのです」
「そんな場所が何処にあるのだ?
あるのなら婆ぁも行ってみたいぞ」
「私も戻れるのなら戻りたいと思うことは御座います。
しかし決して戻る事のできない手の届かぬ場所に御座います。
例えて言うのなら月の京とでも申しておきます」
「するとかぐやは月からやって来たのかえ?」
「例えですので、そう深くお考えにならないで下さい。
それくらいに行く事が難しいという事です」
「まあ良い。
それでそれと建の病気とは何の関係が有るのか?」
「申し訳御座いません。
私は口を封じられていますため詳細は話せないのですが……。
智慧の中には建皇子の命が尽きるとあるのです。」
「「!!!!!」」
「その理を曲げようと奮闘しましたが、力及ばず危うく建皇子が亡くなる寸前でした」
「其方の言う『帝の建皇子を想う気持ちが天に通じた』というのはどうゆう事じゃ?」
「人の営み、即ち歴史とは様々な要因が複雑に絡みあって成り立っております。
そして在るべき歴史の上では、建皇子は既に亡くなっているのです。
しかし、建皇子が亡くなる歴史と存命の未来が、帝の歌によって繋ぎ合わされたのです。
分かり易く申しますと、帝が建皇子を想い歌った歌。
あれは歴史の上では建皇子を失った嘆きを詠った歌だったのです」
「………」
建クンが実はこの世に居ないはずだったと聞いて、重苦しい沈黙が続きます。
(つづきます)
後の世で、天皇に即位した持統天皇は社会福祉にも力を入れており、建皇子の存在があったからだと言われております。そしてそうなる要因としてもう一つあるのですが、それは別の機会に。
……この話、前にもしましたっけ?




