【幕間】有間皇子の自責・・・(8)
詐欺被害というものは、他の犯罪と違い被害者と加害者との接触があって成り立つものです。
なので詐欺被害に遭った人は加害者を憎む前に、まずそいつを信じてしまった自分を責めてしまう様です。
そして有間皇子も……。
(※有間皇子視点、およびエピローグです)
「監査人が到着し次第、刑を執行せよ!」
皇太子・中大兄皇子による理不尽な審議は、でっち上げの証拠と汚い裏切りにより道理に叶わぬ結末をもたらした。
目の前にいるこの男がこれまでも数限りない非道を行って来たからに違いない。
こんな事ならもっと大胆にかつ狡猾に立ち向かうべきだったと今更ながらにして思う。
どちらも自分に欠けている資質である事は承知しているが……。
私が身悶えする様な悔念に駆られていると、私の後方から声がした。
「おのれっ!」
塩屋と新田部が後ろ手に縄で縛られたまま、立ち去ろうとする皇太子目掛けて走り出した。
この二人なら両腕が不自由であっても一矢報いられるか?
この刹那、そんな考えが頭を過った。
しかし相手にとってそれは想定内だったらしく、四人の護衛が壁となって皇太子の前に立ちはだかり、近寄らせなかった。
そして剣を抜き、躊躇う事なく二人に斬りつけ、剣を突き立てた。
「鯯魚ぉぉ〜〜!! 米麻呂ぉぉ〜〜!!」
なす術なく折り重なって倒れた二人に近づく事も出来ず、私はただ見ているだけだった。
動けないのではない、身体が動かなかったのだ。
「鯯魚ぉぉ〜〜!! 米麻呂ぉぉ〜〜!!」
私の声にピクリとも反応しない。
心の臓をひと突きだった様だ。
こんなにもかと思うほど血溜まりができ、地面へと吸い込まれいく。
「鯯魚……、米麻呂ぉぉ……」
涙が溢れて止まらない。
ふがいない主人に仕えたばかりに……済まぬ……済まぬ。
「せっかく執行まで猶予をやったというのに恩知らずめ!
主人が主人なら、家臣も家臣だな。
有間よ、二度と会う事はない。
だからこれだけは言っておく。
高貴な血を持つ者として恥ずかしい最後を迎えるな!」
そう言い残して、皇太子は馬の方へと歩いて行った。
「赤兄! お前はこれで満足なのか!?」
皇太子の後を追う赤兄に向かって、これが最後であろう問い掛けをした。
答えは期待していない。
ただ奴の姿を見て、言わずにはいられなかったのだ。
しかし予想に反して赤兄はこちらを振り向き、こう答えた。
「人はどこまでも満足出来ぬ生き物ですよ。
私は何度も言ったはずです。
しかし貴方は全く聞き入れて下さらなかった。
だからこの様な結末を迎えたのです」
そう言い残して身を翻し、去って行った。
……なんて事だ。
奴の口車に乗って謀叛を起こしても、大人しくしていたとしても、私は赤兄を受け入れた時点で破滅への道しか残されていなかったのだ。
自分の脇の甘さに嫌気が差してきた。
「おいっ! 立て!」
物部が乱暴に私を縛る縄を引っ張り、強引に立たせようとした。
少なくとも先程までは丁寧さが見えていたが、今は完全な罪人扱いだ。
数人の警備のものと共に強引に引き立てられた。
「他の二人はどうしたのだ!?
一緒じゃ無いのか?」
大声で物部に聞いた。
「お前の知ることでは無い。
脱走の謀をするやも知れぬ故に一緒にはせぬ。
他の者はここで沙汰を待つ。
お前は今から刑場へと向かうのだ」
徹底して私を罪人に仕立て上げるつもりらしい。
最期の刻を守と共に過ごしたかったし、裏切った薬に本心を聞いてみたいとも思っていたが、それは叶わぬ様だ。
出来る事といえば、これまでの愚かな我が身を振り返る事だけだった。
思えば、父が在命だった時から父は何かを警戒していた。
今になればそれが何だったかハッキリと分かる。
あの男には、そこまですまいという境界は無い。
どの様な手段をも厭わず、どの様な事もするのだ。
あの男に禁忌などないのかも知れぬのだ。
……そうか、そうだったのだ。
父の不自然に思えた死、それすらあの男が……。
過去に私に向けて忠告してくれた人達の言葉が頭の中でこだまする。
『逃げよ、逃げるのじゃ!』
『孝徳帝のお言葉をお忘れなさらないで下さい』
『百尺を超える崖の上を歩く慎重さを身につけて頂きたく存じます』
『浅い考えは皇子様に取り入ろうとする者にとって格好の餌食です』
『広く世を知り、徳をつけて頂きたく存じます』
……そうなのだ。
あの男を知る者はこうなる事を予見していたのだ。
今ならハッキリと分かる。
どれくらい慎重であるべきだったのか、どんなに慎重であってもまだ足りていなかった、どれだけ深く物事を考えられる見識を身につけるべきであったのか、という事に。
◇◇◇◇◇
疲れて休む事も許されず、夜は道端で横になり、ただひたすらに歩かされた。
牟婁を目指して来た道を引き返す様に進み、二日後、藤白坂へと着いた。
刑場へは既に行刑監査人が到着しているらしい。
すぐに執行の手続きが行われた。
私の命もあと僅かか……。
すると聞き覚えのある声が耳に入った。
「有間皇子様、私です。
御主人です。
阿部倉橋御主人で御座います。
一体これはどうゆう事なのですか?」
刑場は柵の向こうから刑の様子が見られる様になっている。
その柵に叔父上の阿部倉橋御主人殿が居た。
交流は少ないが幼い時には何度か会った事がある。
今の私にとって数少ない肉親だ。
もし許されるのなら全てを話したい。
しかし今となってはどうする事も叶わぬ。
せめて叔父上を巻き込む事だけは避けなければ。
「見ての通りです。
伝言をお頼みしたい。
かぐや殿に申し訳なかったと!
お願いします!」
叔父上の妃はかぐや殿と交流の深い忌部氏の方だと聞いた。
生真面目な叔父上ならば、きっと伝えてくれるだろう。
「分かった!
だがどうしてなのだ!
教えてくれ!」
これ以上は危険だ。
何処に耳があるか分からぬ。
話してしまったら叔父上にご迷惑が掛かってしまう。
もうこれ以上後悔したくないのだ。
叔父上の声を無視するかの様に真正面を見据えた。
滑稽な事だ。
いい加減な証拠といい加減な審議で決められた刑を厳密な所法で執り行うのだからな。
「丹比小沢国襲が申す。
これより大罪人、有間の刑を執り行う。
有間は帝を害すべく謀を起こし国家転覆を謀る謀反の罪を企てた」
監査人は延々と私の罪状を読み上げていった。
身に覚えのない罪が更に膨れ上がっていたのには心底呆れた。
「……その罪許されざる大罪にて死(罪)と処し、絞の刑とする。
有間よ、相違ないか?」
「今更言うことはない!」
「重ねて問う。
何か申す事はあるか?」
「ならば最後に歌を遺す事を許されたい」
「許す!」
馬鹿馬鹿しいと思いながら、せめて最後に自分らしくありたいと願った。
それがこの歌だ。
『磐代の浜松が枝を引き結び 真幸くあらばまた還り見む』
訳:(自分が貶められた)磐代で幸運を願って松の枝を結んだ。
本当に幸運があるのならまた戻って見られるであろう。
「ではこれより刑を行う」
その声を合図に私は目隠しをされた。
そして後ろから小突かれる様に前へと進み、階段らしき物に躓いた。
その階段を上がるとこれ以上前に進むなと言いたげに後ろから帯を引っ張られた。
すると首にヒヤリとする縄が掛けられた。
「有間ぁぁ〜」
叔父上の声がする。
申し訳ない。
だがありがとう。
そして次の瞬間!
……この世は全て闇に包まれた。
◇◇◇◇◇
ここはとある浜辺、肌の白い美しい女性が佇んでいた。
名を真白良。
見え麗しい男性と恋に堕ち、いつか必ず戻ってくるという彼の言葉を信じ、今日も待っていた。
手には貝殻が一枚。
彼は対の貝殻を持ってきっとまた戻ってくる。
そう信じて……。
そしてもう一人。
彼を信じ、磐代の浜辺で探し物をする男が居た。
磐代は広い。
しかし必ずあるはずと信じて探した。
「これか!」
松の枝に結ばれた布切れ。
そこには血で書かれた文字が。
『中大兄 赤兄』
……一体、どうゆう事だ?
(幕間おわり)
解説
地理関係につきましては以下の史跡や名所を参考にしました。
白浜の行宮: 和歌山県西牟婁郡白浜町湯崎 石碑『行幸芝』
審議の場所:和歌山県日高郡みなべ町西岩代 国道 42 号線 岩代の結び松
刑場:和歌山県海南市藤白 有間皇子神社
ましらら媛像:和歌山県西牟婁郡白浜町1667−22
作者に取りまして、有間皇子のお話はらしくもなく渾身の幕間でした。
少し有間皇子の性格がブレていた感もありますが、日本書紀や万葉集に残る有間皇子の記録に対する違和感を解いていきました結果、この様なストーリーになりました。
あくまでも本作品はフィクションであり、実在の人物、団体、及び飛鳥時代とは関係ありません事を重ねてお知らせします。
本作品を元に試験の解答をしたら×になりますのでくれぐれもお気をつけください。




