【幕間】有間皇子の自責・・・(3)
これまで、『有馬皇子』と表記しておりましたが、正しくは『有間皇子』でした。
気がつく限り修正しましたが、まだ未修正部があるかも知れません。
有間皇子の有間は、有間神社の有間です。
元々、『有間温泉』だった温泉の名が『有馬温泉』に変更になった由来は不明です。
※有間皇子視点のお話が続いております。
吉野での婚姻の儀の帰り道。
その足で岡本宮の内裏へと向かった。
先触れは無いが、伯母上に会うのだ。
多少の無礼は許されるであろうし、体良く追い返されるのも有得るだろう。
おそらくは後者だと思うが……。
だが予想に反して、滞りなく通された。
婚姻の儀についてご報告をしたいと付け加えた事が良かったのかも知れぬし、偶々暇だったのかも知れぬ。
「有間よ、久しいの。
鵜野の婚姻の儀はどうだったのか?」
「鵜野殿にお会いするのは初めてでしたが、聡明な皇女である事は少し話をしただけでも分かりました。
歳は若いですが、きっと大海人皇子をお支えするに相応しい后となるでしょう。
そう思わせる婚姻の議に御座いました」
「ほう、それは良かった」
「山奥に引きこもり、なかなか親戚の者らにお会いする機会に恵まれないため、貴重な機会でした。
ご招待頂き、改めて御礼申し上げます」
「ほっほっほ、有間よ。
前に会った時に比べ、だいぶ落ち着きを取り戻したようじゃな。
何かあったのか?」
「大した事は御座いません。
趣味としております温泉巡りのお陰では無いでしょうか?」
「温泉か……それは面白そうじゃの。
京の外れに施術所があっての、そこで蒸し風呂にあたるのが何よりの楽しみじゃ。
温泉とはそれよりもいいものなのかの?」
「温泉とは単に温かいお湯では御座いません。
地の底に眠る滋養と共に地上に吹き出したものです。
温泉に浸かった後の心地良さは格別です」
「孝徳も温泉が好きだったからの。
其方が勧めるとしたら何処の温泉が良いと思う?」
「数多の温泉がありますが、牟婁の温湯ならば間違い無いかと思います。
この湯の効能は無論の事、湯大な景色も楽しめます。
この光景を目にすれば、些細な事など心から消え去り心に巣喰う病すら快癒するでしょう」
急に聞かれて思わず牟婁の温湯の名を出してしまった。
ただ単に私が牟婁で会った女子を忘れなられなかっただけで、効用云々は後付けだ。
「ほう、それはいい話を聞いた。
ワシも建を連れてぜひ行ってみたいの」
建……とは皇太子の皇子であり、啞だと聞いている。
「建皇子は帝がご心配される程、療養を必要としているのでしょうか?」
「最近はだいぶ良いな。
それもこれも、かぐやという采女が世話をする様になったおかげじゃ」
……かぐや?
かぐやとは帰還の途中で口喧嘩をしたばかりだ。
かぐやを褒めるのはあまり気分の良いものではない。
少し苦情を入れておくか。
「かぐやは婚姻の儀でも同行しました。
儀では見事な舞を披露しましたが、神降しの術を見る事ができなかったのは残念でした」
「神々も忙しかろう。
そう易々と地上には降りては下さらぬのじゃろうて」
「そうですね。
また機会があれば見てみたいと思います。
しかし『神降しの巫女』と聞き、淑やかな女子を思い浮かべておりましたが、当の本人が随分と活発な女子なのは意外でした」
「どうした? 何かあったのか?」
「いえ、吉野からの帰還の際に山賊の襲撃がありました。
幸い護衛団の団長殿が山賊を殲滅した故、我々は傷ひとつ負う事はありませんでした。
しかし防衛の最中、かぐやは矢を射る山賊へ駈け出して行きました。
護衛の責があるとはいえ、少し控えて欲しかったのが私の本音です」
「ほっほっほ、目に浮かぶ様じゃの。
確かに周りの者は気が気でなかろう」
「笑い事では御座いません。
思わず叱りつけました」
「それはすまぬな。
じゃが心配は無用じゃ。
かぐやならば山賊の十人や二十人、ものともせぬのじゃよ。
でなければ鵜野の護衛には据えぬよ」
まさか?
本当にかぐやは山賊の討伐をしたのか?
「かぐやには何か武芸の心得でもあるのですか?」
「いや、剣を振るった姿は見た事はない。
だが、国許では荒くれ者すらかぐやには逆らえないそうじゃ。
昨年は反乱を起こした領民五十人をひれ伏せさせたと聞いておる」
「まるで阿部比羅夫殿みたいですね」
「ああ、その阿部比羅夫がかぐやには一目置いておるのじゃ。
愉快じゃろ」
私としてはあまり愉快ではない話だ。
そんな事を知らず、かぐやを叱りつけたのだからな。
「それは存じませんでした。
そうとも知らず申し訳ない事をしました」
「悪気がなかったのなら構わぬじゃろ」
「次に会う事があれば詫びておきたいと思います」
「本当に有間は変わったの。
そこまで効用があるのなら、ぜひ温泉へ行くとしよう」
いつの間にか、前に来た時の様に批判ばかりして癇癪持ちだった私が温泉のおかげで治ったことになっている。
温泉の効用ではないが、温泉そのものは身体に良いのだ。
お年を召した帝には良いだろうし、ゆっくりと話をする機会もあろう。
「参考になりましたら僥倖です」
◇◇◇◇◇
翌日、生駒の邸宅(※)へと戻り、元の生活へと帰った。
(※ 奈良県生駒市壱分町に有間皇子の邸宅があったと言われています)
つまりは仲間と喧々諤々に議論を交わし、書に親しみ、歌を詠む生活だ。
しかし、生駒に帰ってひと月後、珍しい客がやって来た。
蘇我赤兄殿だ。
蘇我と言えば、皇太子の中大兄皇子と中臣鎌足に二人によって完膚無き迄、一族郎党が粛清されたと聞く。
父が即位するきっかけとなった蘇我入鹿の惨殺(※乙巳の変)から始まり、父親の馬子は屋敷に閉じ籠ったが兵に囲まれた末に討たれた。
入鹿の従兄弟にあたる蘇我倉山田石川麻呂殿はその惨殺劇の際、中大兄皇子に味方した功績で左大臣に任命されたが、中大兄皇子に冤罪を問われ飛鳥の寺へと逃れ兵に囲まれた末に自害した。
石川麻呂に冤罪を被せた弟の蘇我日向は筑紫へと流されたが、その後の消息は不明だ。
(※第133話『【幕間】鎌足の焦燥・・・(5)』参照)
確か赤兄殿は石川麻呂殿と日向殿の兄弟だったはず。
いわば、皇太子殿と鎌足から狙われる立場の者であろう。
同じ命を狙われる者同士、話を聞く価値はありそうだ。
「遠路はるばる、ようこそ。
我が有間だ」
「初めてお目に掛かります。
蘇我赤兄と申します。
皇子様には一度お目に掛かり、お話を伺いたいと思っておりました。
それが今叶いまして、恐悦至極に御座います」
赤兄は鎌足ほどの歳(※数えで42歳)ではなく、どちらかと言えば皇太子殿と同じ年齢(※作中設定で31歳)に見える。
武人らしさはなく宮中で働く高官らしい風貌だ。
飾らない言葉で言えば、油断がならない人物に見える。
彼の言う恐悦至極という言葉も白々しさを感じる。
「話とは我に何の用か?」
「皇子様にお伺いしたい。
皇子様は帝になられる意思はありますか?」
「初対面の其方に言う事ではない。
皇太子は既にいるのだ。
皇太子様に聞いてくれ」
「申し訳ございません。
ご対面しました嬉しさのあまり少し急いてしまいました。
しかしながら、私の問いに否定なさらなかった事を私は喜ばしく思っております」
「否定せぬと何処が喜ばしいのだ?」
「ご存知かも知れませんが、私は従兄弟、叔父、兄弟を次々と殺されて参りました。
従兄弟の死につきましては、散々専横を繰り返してきた故の自業自得だと思っております。
しかし兄である石川麻呂につきましては、あまりにも酷すぎました。
冤罪の末に自害させられ、それでも飽き足らず亡骸の首を刎ね、晒し者にしたのです。
おそらく次は私でしょう。
故に志を同じくする味方が欲しいのです」
「悪いが私は味方にはなれぬぞ。
明日殺されても不思議ではない立場だ」
「もし今の政が善政であるのなら、私は黙って引っ込みましょう。
しかし今の政は善政と呼ぶのにはあまりに酷すぎます」
「くどい!
我は伯母上に反旗を翻す事など微塵も考えてはおらぬ。
気の触れた癇癪持ちの皇子の事など放っておいてくれ」
「いや、皇子様はきっとお立ちになられます。
貴方様は不正を見て見ぬふりが出来ぬ真っ直ぐな御方とお見受けしました。
本日はご挨拶に伺いましたが、ぜひまたお話をさせて頂きたい」
「悪いが其方の期待には応えられぬ。
他を当たってくれ」
こう言って赤兄を追い出したのだが、この日を境に毎日の様に我が邸宅へとやってくる様になった。
(つづきます)
オリンピックが終わりました。
朝起きてスマホで試合結果を見る生活も終わりです。
代わりと申しましてはなんですが、朝起きてスマホを開きましたらぜひ拙作の頁をお読み下さい。
宜しくお願いします。m(_ _)m




