【幕間】有間皇子の自責・・・(1)
第5章の【幕間】『孝徳帝の独白・・・(3)』、
第6章の『【幕間】鎌足の苦悩・・・(1)』、
第7章『婚姻の儀にて』、
……を先に読みいただくと話の流れがわかり易いと思います。
※先帝の皇子、有間皇子視点のお話です。
この話は史実ではなくフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません事を予め申し上げます。
◇◇◇◇◇
私は有間、帝の一人息子……だった。
父が政を司るようになり世は変わった、名君の誉高いと皆が言う。
だがその言葉を鵜呑みに出来るほど私は愚かではない。
そもそもが、父は望んで帝になったとは思えないのだ。
その様な言葉を父から聞いたわけではない。
だがいつもいつも父の眉間には皺が寄り、心の底から楽しそうにしている姿を見たのは数えるほどしかなかった。
その父が難波宮で孤独の中、亡くなられたのだ。
父が亡くなる半年ほど前から様子がおかしかったことが未だに気になっている。
最初のうちは難波宮から邪魔物が居なくなったからだと思ったが、どうやら違うようだった。
次第に寝込む事が多くなり、衰弱する様に亡くなられたのだ。
原因は未だに分からぬが、世間の言う憤死とは程遠い亡くなられ方だ。
しかし遺体に傷跡は一つも無く、遺体は毒を盛られたとは思えぬ程安らかな表情だった。
それでも私は父が何者かに死に至らしめられたと考えている。
何故なら生前の父は、私にこう言っていたのだ。
『余に何かあったなら、其方は逃げよ。
逃げ方はどの様な方法でも構わぬ。
とにかく逃げるのだ。
継承権を持ち、後ろ盾を持たぬ其方は格好の餌食なのだ』
父の次は私という事なのだろう。
だが何処へ逃げれば良いのか?
屋敷に引き込もっていても、押しかけてくる輩がいるのだ。
「今の帝の政はなっていない」
「皇太子の横暴を許すな」
「成り上がり者の中臣に好きな様にやらせていいのか?!」
連中の言わんとする事は分かる。
ならば其方らは私と行動を共にする心意気はあるのか?
それを聞くと潮が引くように去っていく連中ばかりだ。
そのような生活の中で私の精神は荒れていった。
だが私が心の葛藤を表に出せば出すほど人は離れていくのだ。
……そうか。
これも逃げる方法の一つなのだと気付いた。
それ以来、私は癇癪持ちの変人皇子として周りから煙たがられる存在として見なされるようになっていった。
そうなると私の身の周りには高官など一人もおらず、付きの者や下級の官人だけになった。
皇子という身分と関係なしに気軽に話が出来る連中だ。
彼らが私の同志であり、語り合う友であり、政の師なのだ。
そのような彼等から必ず話に上がるのが、斉明帝の政に対する不満である。
そもそも伯母上が重祚した理由が気に食わない。
表立って誰も言わぬが、あの皇太子が傀儡の帝として伯母上を帝に立てたのだ。
その結果、民が苦しんでいる。
内裏の中にいる帝には下々の者らの生活など見えぬのだろう。
私も父が在命であったのなら、気が付かなったはずだ。
そういう意味では今の私の立場というのは恵まれているとも言えよう。
帝の継承権持つ皇子でありながら、下々の気持ちを理解できる施政者など過去にいなかったはずだ。
この経験を活かし、父が果たせなかった夢を果たそう。
飾り物ではない本物の名君と呼ばれたい。
そんな気持ちが湧き上がってきたのだった。
だが現実は厳しい。
苦しんでいる民の声を聞こうとも、私にはそれを正す術がない。
癇癪持ちの変人皇子の声など、政の中枢にいる者には届かない。
当然だ。
連中を遠ざけたのは他でもない。私だ。
その様な悶々とした日々を送る私にある便りが届いた。
従兄弟である大海人皇子と、もう一人の従兄弟・中大兄皇子の娘である鵜野殿との婚姻の儀への招待だった。
以前の私ならばこの様な招待を受ける事はしない。
何故なら敵陣の真っ只中に飛び込む様なものだからだ。
しかし、このまま隠遁生活の様な生活を送る事が正しいとは思えぬのだ。
敵の視察のつもりでその招待を受ける事にした。
どうせ私は癇癪持ちの変人皇子なのだ。
誰一人として寄りつくまい。
◇◇◇◇◇
大海人皇子と鵜野殿の婚姻の儀は真新しい吉野の離宮にて執り行われるとの事だった。
下級官人ではあるが私の右腕とも言える友と共に、吉野行きの隊列に同行した。
これ見よがしに長い行列が飛鳥京を発ち、豪華な輿に、装飾の凝った家具、弓や剣で武装している護衛ですら庶民が一生掛かっても手に入れられないであろう衣をまとっている。
これらが全て庶民の犠牲の上に成り立っているのだ。
二日掛かりで吉野へと辿り着いたが、こんな山奥に建築資材を持ってくるだけでどれだけの労役が動員されたのだろうか? ……そう思わざるを得ない立派な離宮が、山の中に突如として現れたかの様な出立ちで建っていた。
この離宮で大海人皇子は姪にあたる鵜野殿との婚姻の儀を執り行うと考えると、憤懣やるせない気分になってきた。
そして挨拶の時、積もり積もった自分の感情が止められなくなったのだった。
並んで座る大海人皇子と鵜野殿。
そしてその上座には皇太子と間人皇后がいた。
思えば、義母でもある太后が支えるべき父を見捨てた事が父の凋落の始まりだったのだった。
挨拶のついでに嫌味の一つでも言いたくなってきた。
周りの者達が祝いの言葉を述べるため、盃を片手に大海人皇子の元へ行き話しかけていた。
私もその列に並び、祝いの言葉を述べた。
「此度は御目出度う御座います。
大海人皇子様におきましては良き良縁に恵まれまして、まるで亡き父上の婚姻を思い浮かべずにはいられませんでした」
このくらいならば、別段問題にならぬであろう。
「有難う御座います。
叔父上には生前お世話になりました。
私が亡き叔父上に似ている部分があるのなら、それは喜ばしく思います」
大海人皇子が私の父を立てて、返答する。
悪くない雰囲気だ。
ついでに気になる事を聞いてみた。
「ところでこの婚礼に際して吉野の地に離宮をお建てになられたのは何か理由でもあるのですか?」
「これは愛娘である鸕野皇女を私が娶るに際して、兄上が贈られた宮です。
鸕野皇女の事を大切になさってこられたのだと思います」
「この様な山奥に立派な宮を建てずとも京の近辺にも建物はありましょうに、何故に吉野でしたのでしょう?」
すると鵜野殿が横から発言してきた、
「それは妾が生駒の麓で育った故、御父上が妾のために風光明媚な場所を選んでくれたからなのじゃ」
「そうだったのですか。
かく言う私も賑やかな京よりも人里離れた地で逗留するのが趣味です。
大海人皇子様には、いつか疲れを癒す良い湯をご紹介したいと思います。
もちろん皇女様もご一緒に」
「それは楽しみじゃな。
心待ちにしておるのじゃ」
うむ、これくらいなら角も立つまい。
現に皇太子は何一つ言葉を発しなかった。
こうして婚姻の儀は終了し、皇太子らは馬に乗って飛鳥へと戻っていった。
徒歩で帰る我々は明日、飛鳥に向かうので今夜は離宮にて休む事になる。
つまり酒を飲む口実ができたという事だ。
皆、好き勝手、談義を肴に酒を酌み交わしていた。
しかし私には知り合いがおらぬ故、話ができる者がいないし、変人皇子に話し掛ける物好きはいない様だ。
ふと部屋の隅を見ると、先ほど舞を舞っていた采女の姿が目に入った。
確か皇太子が「かぐやよ、神降しの舞を披露せよ」
とあの者に言っていたな。
つまりあれが京で噂になっている『神降しの巫女』として有名な采女、かぐやなのか?
帝の覚えも良いと聞く。
少し話を聞いてみるか。
そう思い立って声を掛けてみた。
「かぐやと言ったな。
『神降しの巫女』と名高い采女とは、其方の事で違いないか?」
(つづきます)
有馬皇子のお話はだいぶ前から構想していました。
史実の有馬皇子は好青年であったと思い、悲劇の皇子の最後がどのようであったか想像しながら描いてみたいと思います。




