事件発生
地震には十分に気をつけて、備えて下さい。
建クンの危機的状況を脱して、だいぶ心のゆとりを持てる様になりました。
まだ建クンの食欲は回復していませんが、上体を起こして重湯を啜れるところまで回復しました。
それだけなのに涙が滲んできます。
本当に良かった……。
長い闘病期間の後ですので、大事を取っております。
心配しているであろう帝へは建クンの容体を事細かに便りにして馬便で送っております。
返ってくる返事からは喜びと、私への慰労、感謝の気持ちが書き連ねられております。
でも建クンが無事だったのは帝の建クンを想う強い気持ちのおかげです。
私こそお礼をしたいくらいです。
で、建クンが熱を出して寝込んでいる間、私は人目を憚らずチュンチュンと光の玉を連発して、その度に倒れていたのですが……。
皆んな綺麗さっぱり忘れていて、何も覚えておりません。
使いの方が言っていた『記憶を少し弄っておいた』というのはこの事だったのですね。
皆の記憶の中で、私はずっと建クンの看病を続けていた事になっていました。
思い返せば、『竹取物語』では感情を消す場面があった様な気がします。
確か羽衣を着ると悲しいとか愛おしいという感情を失ってしまうという、メンタルに直接ガツンと働きかける最終兵器がありました。
つまりそんな物が無くても記憶や感情を弄れるという事?
もしかしたら私にも出来るかも知れませんので、実験台がいたら試してみようかしら?
皇太子様の冷淡で傲慢な心を消し去るとか?
中臣様の腹黒くて陰湿な心を矯正するとか?
秋田様のむっつりでスケベな心を消してしまうとか?
とりあえず試し易い人からやってみましょう。
上手くいけばこの先の求婚者対策にも役立つはずです。
秋田様、お覚悟っ!!
◇◇◇◇◇
おそらく建クンが回復するのにはひと月は掛かると思います。
幼い子なので回復したらじっとしていられないと思いますが、焦らずにリハビリに励みましょう。
最初のうちは私や亀ちゃんシマちゃんが代わる代わる食事の世話や汗と拭いたり、シモの世話をしましたが、五日くらいすると起き上がれる様になりました。
胃が正常に戻ってきたらしく、食べる量も元に戻りつつあります。
力が入らないのでヨロけてしまいますが、無理をしない程度に身体を動かします。
周りの人からはどうして安静にさせないの驚かれましたが、現代の病院でも術後まもなく身体を動かすことは推奨されています。
特に建クンの場合は元々が病気でなかったので、消化器系も呼吸器系も異常ありません。
ただ弱っていただけですので身体を動かして、回復を早めてあげます。
私もふくらはぎの肉離れをやった後(※)、リハビリに励みました。
(※第29話『新たなチート技』ご参照)
この分でいけば一月後には完全に回復して、皆んなで紀国へ行って帝との再会が出来そうだと思っていました。
しかし、そう思った矢先に事件が起こりました。
有間皇子、謀叛!!!
一報が京一帯にとどろき、後宮にもその知らせが入りました。
大抵の人にとっては他人事の様な出来事です。
しかし後宮の一部の方は難波京で帝の息子である有間皇子と関わりがあり、動揺する方もいました。
私自身も鵜野様の婚姻の時に少なからず話をした間柄です。
有間皇子の危なっかしい性格を戒めた手前、責任を感じずにはいられません。
(※第305話『有間皇子』ご参照)
とは言え、後宮の中では何も出来ません
悶々とした気持ちでいると、珍しい方から便りが届きました。
御主人君です。
『京を騒がせている有間皇子の謀反について何か知っている事があれば教えて欲しい』
平たくいえばこんな事が書かれておりました。
謀叛そのものについては知っている事は特にありませんが、鵜野様の婚姻の時の出来事もあるので、明日忌部氏の宮へ行くと返答の便りを返しました。
◇◇◇◇◇
翌日、病み上がりの建クンをどうしようかと思いましたが、今日のところは留守番して貰うことにしました。
有間皇子に関わる事ならば面倒な話になりそうな気がするし、建クンに外出させるのを周りに強硬に反対されたというのもあります。
皆んな、建クンの事が心配みたいですのでお世話をお願いして、忌部氏の宮へは私と亀ちゃん、そして護衛の方を連れて出来掛けました。
行った先ではいつもの様に御主人君と衣通ちゃん夫妻が待っていました。
いつものことながらお熱いね。
「かぐや殿、急に呼び出して申し訳なかった。
建皇子のお加減が宜しくないと聞いたが良かったのか?」
「ご心配をおかけしています。
先日まで生死を彷徨うほどの病魔に見舞われておりましたが、無事治癒し、今は回復に努めております」
「それならば良かった。
かぐや殿も少しやつれた様に見えるからさぞ大変だったのだろう」
「ご心配おかけして恐縮です。
ですが建皇子がご無事であるのなら、多少の苦労は苦になりません」
「相変わらずだな。
さて便りでも伝えたが、有間皇子が謀叛を起こしたとして捕まったのだ。
突然の事で驚いている。
何故この様なことになったのか、かぐや殿が何かご存じであれば教えて欲しいのだ」
「私も皇子様の謀叛については人伝で聞いただけで、後宮には情報が入ってきておりません。
ですが昨年、有間皇子にお会いしてお話をしましたのでその時の事でしたらお話し出来ます」
「すまない。些細なことでいいから教えてくれ」
「分かりました。
ところでどうして御主人様は有間皇子の話を集めてらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだったな。
少し気が急いてしまった。
有間皇子は私にとって甥に当たるのだ。
姉上の産んだ子なのだ」
「ああ、そうゆうことでしたのね。
しかしお身内にとりましてあまり愉快なお話では御座いませんが、それでも宜しいでしょうか?」
「謀反人として捕まっているのだ。
それ以上に不愉快な話ではないだろう」
「ええ、おそらくは……でもないかも知れませんが」
「分かった。
心して聞こう」
「昨年、皇太子様の御息女である鸕野讚良様と大海人皇子様との婚姻の儀が吉野の離宮にて執り行われました。
その時に有間皇子とお会いしました。
率直に申しまして、真っ直ぐな方で真っ直ぐ過ぎて周りが見えていない方というのが私の感想です」
「ああ、そうかも知れぬ」
「帝の渠の建設についてかなり批判をされておりました。
周りに人がいるのにも関わらずです」
「狂心渠の事かな?
あまり世間の評判は良くないが、私個人としては先を見据えた工事だと思っている」
「ええ、ですが皇子様にとっては世間の評判が全てのご様子で、他の意見を聞き入れる事をなさらず、会話が成り立ちませんでした。
なので『政への批判と女子に年齢を聞くなど以ての外ですよ』と少しばかり強めにご注意致しました」
「何か……すまぬ。
叔父として私から詫びたい」
「それはいいのです。
しかし婚姻の儀の祝いの席で、
『まるで亡き父上の婚姻を思い浮かべずにはいられませんでした』
と、齢十三歳の姪御である鵜野様を娶る大海人皇子様や、当のご本人である間人太后様に当てつけるかの様な皮肉を口にしたのです。
よりによって鵜野様の実父である皇太子様を前にしてです。
大海人皇子様は大人の態度で対処しましたが、あの発言で皇太子様に目をつかられたかも知れないと仰っておりました」
「……」
御主人君も頭を抱えて黙ってしまいました。
「先帝の孝徳帝が御在命だった時に一度だけ孝徳帝とお話をしましたが、ご子息の有間皇子様の事をご心配なさっておりました。
その事を有間皇子に伝えましたらご理解頂けみたいですが、納得はされていないご様子でした」
「なるほどな。
そこまでしでかしていたのは予想外だった」
「しかし謀叛を起こす素振りは見られませんでした。
迂闊な行動は周りから謀反の意思を疑われますよと説明したら、『その様な心算はない』と明言されておりましたから。
要は考え無しのご発言だったみたいなのです」
「そうなのだ。
罪状も何もわからぬまま、蘇我赤兄殿の兵に屋敷を取り囲まれて捕まったらしいのだ」
「つまりは貶められたかも知れない、という事ですか?」
「状況を見てもそう思わざるを得ない」
どうやら、きな臭い話になりそうです。
(つづきます)
後世、『有間皇子の変』と言われる事件です。
例によって例の如く、後ろで中大兄皇子が糸を引いていたであろうというのが通説です。




