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建皇子の価値

 (額田様視点のお話が続きます)


「葛城よ。

 其方は建をどうしたいのじゃ?」


 これまで一言も言葉を発しなかった帝が、皇太子に質問を投げ掛けます。


「建をか?

 難しい事は言わぬ。

 普通に成長し、人並みに出来る事が出来るようになればそれで良い。

 以前は皇子たる者、人より優れてなければならぬと思っていたが、あのザマだ。

 人並みにすら叶わぬとは……やはり血か……?」


 え?

 建皇子の母親は遠智娘おちのいらつめ様でしょ。

 血縁に何か問題がありましたの?


 皇太子はハッとして、言葉を続けました。


「今、建に期待することは皇子として子を成すことだ。

 それならばできるであろう。

 相手は誰でも良い。

 建を可愛がっているかぐやでも構わぬ。

 だが皇子でなくなれば、その価値すらなくなる。

 そこまでして生き(ながら)える価値が建にあるというのか?」


 ああ、この方は建皇子を血を分けた息子とも、人としてすら見てはいないのですね。

 大海人皇子に四人の娘たちを娶らせた事といい、この人には人として大切なものがぽっかりと抜け落ちているのかも知れません。

 私自身もその被害を被っているのです。

 目の前にいる皇太子が人ではない何か異形なモノに見えてきました。


「葛城よ。

 ワシは其方が良かれと思う世にするために邁進したいという願いを受けて、老体にむち打ち帝へと重祚したのじゃ。

 帝とはホンに不自由なものじゃ。

 其方が即位を先延ばしにするのも分からぬではないし、その事に異は唱えぬ。

 面倒事は全てワシが引き受ける。

 今の其方は自分の思い描く(まつりごと)が出来ておるであろう。

 ワシは弟の孝徳のように逆らうことはせぬよ。

 其の方のやりたいようにすればよい。

 しかし建だけは救ってくれぬかよ?」


「如何に母上の頼みであっても、根拠のない神託もどきを信じて建を臣下降籍する事はできぬ。

 先ほども言った通り、皇子でない建に生きる価値などないのだ」


「そうか……」


 ああ……。

 この瞬間、建皇子は実の父親によって命を絶たれてしまうことが確定してしまいました。

 かぐやさん、ごめんなさい。


 私達は部屋へと戻りました。

 戻ると同時に帝は膝をおって、突っ伏して泣き崩れてしまわれました。


「うっ、うっ……。

 建よ、何も出来ぬ祖母ですまぬ。

 許してくれとは言わぬ。

 全てワシの不徳が招いた事なのじゃ。

 すまぬ……、すまぬ……。

 う……う……」


 付きの者はもちろん帝と長く親しんできた私も、言葉がありませんでした。


 どのくらい経ったのでしょう。

 帝はムクっと起き上がり、そして重大な決意をなされました。


「明日、ワシは飛鳥へと戻る。

 準備を致せ!」


「「「はいっ!」」」


 その場にいる者は一斉に声を上げて、帝のご意志に応えるべく行動を開始しました。


「私もお供します」


「額田よ、其方は皇太子の妃としての役目もあるじゃろう」


「いえ、私が生涯を賭してお仕えするのはただ一人、皇極様にございます」


「ホンに其方はかわいいのお。

 ワシにとっては二人目の娘のようじゃ。

 苦労掛けて済まぬな」


「苦労なんてとんでも御座いません。

 お側に置いて頂けるだけでも光栄な事でなのです。

 それに私には母同然の帝と、妹のようなかぐやさんがおります。

 是非、かぐやさんを三人目の娘に加えて下さい」


「そうじゃの。

 では頼りになるが手の掛かる末っ子のところへ行こうかの」


「はい」


 荷物をまとめて、ここを引き払う準備に取り掛かりました。

 当然、この事は皇太子の耳にも入ります。

 どたどたと足音を踏み鳴らして皇太子がやって来ました。


「母上っ。

 飛鳥に戻られるとは誠なのですか!?」


 血相を変えて皇太子が叫びます。


「そうじゃ。

 むしろここへ来るべきではなかったのじゃ。

 後悔は散々した。

 もはや我慢が出来ぬ!」


「母上が戻られても何も変わりはしないではないか。

 勝手に帰られては支障が出ます」


「其方がおるから心配はしておらぬ。

 ワシは郷愁の病(ホームシック)になったとでも言っておくがよい」


「そのような事は認められてませぬ」


「葛城よ。

 あとは全て其方に任す。

 もし建に何かあった時、その亡骸はワシと同じ陵墓へと納めてくりょ」


「しかし今帰られなくてもいいであろう」


 皇太子の言葉を無視するように帝が側にいる御付きの者に声を掛けます。


「其処の者、木札を持て」


「はいっ!」


 帝は木札と筆を取って、徐に歌を紡ぎました。


『山越えて海渡るともおもしろき 今城の内は忘らゆましじ』


 (訳:山を越え海を渡る面白い旅をしていても、(出発の時に)今城の山を見た時の気持ちは忘れられない)


 飛鳥へと帰ろうとする強い意志と、それ以上の後悔の念が表れています。

 すると……不思議な事が起こりました。

 帝の手に持った木札が眩い光を放ったのです。

 何となくかぐやさんが時々放つ光に似ています。

 かぐやさん本人は、自分と無関係を装っているつもりみたいですが……。


 一体、何なんでしょう?

 しかし、木札が光を放った以外には何も起こらず、皇太子は呆気に取られて引っ込んで行きました。


 ◇◇◇◇◇


 翌朝、夜を徹しての準備で荷造りは完了しました。

 持っていく荷物は最低限です。

 帝として置いて行けない大切な品と、道中必要となる物だけです。

 大きな荷物や装飾の類いは置いて行きます。


 陸路なので三日掛かりの行程となるでしょう。

 今夜の宿の手配のため、馬に乗った先触れの者が既に出立しております。

 帝は輿に乗り込み、護衛とお付きの者を従えて出発します。


 いえ……出発しようとしました。

 しかし大勢の兵が行き先を塞ぎ、前へ進めません。

 間違いなく皇太子の妨害です。

 多勢に無勢、力ずくでは敵いません。

 しかし向こうも帝に弓を引く事はしませんし、あってならない事です。

 ただそこに立ち、私達の出発を邪魔しているだけです。


 双方の睨み合いは長く続き、陽もだいぶ高くなってきました。

 そこへ馬の駈ける足音が聞こえてきました。


「帝へのお便りをお持ちした。

 急ぎの連絡だ!

 道を開けてくれ!」


 いつもの馬便ではなく、急な連絡のための早馬です。

 もしや……悪い予感が頭を過ります。


「帝はここにおわします。

 便りをここへ持て!」


 差し出がましいとは思いましたが、私が大声を張り上げて伝令係に伝えました。

 伝令係は馬を降り、持ってきた木簡を帝へ恭しく差し出します。

 御簾の向こうから手を伸ばしその木簡を受け取る手は僅かに震えております。

 今まで無かった早馬での伝令です。

 只事でない事は明らかです。

 あと三日決断が早ければ……。

 後悔する事しきりです。


 暫くすると帝の声がしました。


「額田よ! これを見よ!

 かぐやからの便りじゃ」


 帝の強い語気に押されながら木簡を受け取りました。

 木簡にはこう書かれておりました。


『帝の願いが天へと届き、建皇子のご病気が治癒されました。

 今後は長期間に渡る闘病で衰えてしまった皇子様の体力の回復に努めます。

 先ずは一山超えた事をお知らせ致します』


 ……え?

 何があったの?

 帝の願いが天に?

 一体どうして?


 昨日以上に混乱する私でした。


次話にて何がどうなったのか…… 説明回です。

『謎はすべて解けた』のセリフの出た次週のマ◯ジンみたいな?

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