飛鳥からの木簡(オラクル)
(再び白浜に居る額田様視点のお話です)
本日、帝は皇太子と紀伊国造(※)である紀直氏と共に狩りへと出掛けられました。
(※紀伊国造と出雲国造だけは、律令制が整備された後も特例的に国造が存続しました)
古い歴史を持ち、強大な力を持つ紀直氏との友好関係が重要なのは間違いありません。
しかし建皇子が心配で堪らない帝の気苦労を考えますと、皇太子の無理強いはあまり気分の良いものではありません。
今か今かと飛鳥からの馬便を待ち、便りに書かれた内容をご覧になり意に沿わない報告に心を痛め、その繰り返しのため帝もすっかり参ってしまっております。
皇太子は外に出れば気分転換になるだろうと仰いますが、本当に帝の事が心配ならば一日も早く飛鳥へお返しになって欲しいと願います。
太鼓の合図と共に鹿猪狩りが始まりました。
周辺からかき集められた領民達が一斉に声を上げて板と棒を叩いて、大きな音で山から獣を追い出します。
その逃げ出た獣を目掛けて矢を射り、仕留めた者が喝采を受けるのです。
私達はその様子を見ているだけで、弓を持って参加したいという女子はごく少数です。
でも、昔の帝でしたら参加していたかも知れません。
昔の帝はとてもご活発で女傑とも言われておりました。
しかしもうお年を召しておりますし、何よりその様な気分ではないでしょう。
次々と鹿や猪が撃たれていきます。
イタチもいますが流石に体の小さいイタチを射る名手はおりません。
阿部比羅夫様でもない限り無理でしょう。
すると矢が当たりましたがそれでも逃げる鹿が、私達のいるすぐそばの川の方へ逃げて行きました。
周りに居たお付きの者達から悲鳴が上がり、男どもはそれを追いかけて行きます。
どうやたら無事仕留めたらしく、歓声が上がりました。
帝はそちらの方へ目をやり、徐に木札を手にして一首お詠みになりました。
『射ゆ鹿猪を認ぐ川辺の若草の 若くありきと吾が思はなくに』
(訳:弓で射られた鹿の足跡をつけて行くと、行きあたる川辺に生えている若草の幼さが建皇子を思い出させずにはいられない)
やはり今の帝にとって、何をご覧になっても建皇子を思い出さずにはいられないみたいです。
しかしこの歌の真意に気付く人は少ないでしょう。
歌の何処にも建皇子を連想させる言葉はありません。
にも関わらずここまで、お辛い気持ちを表す歌を私は知りません。
盛況のうちに狩が終わり、帝はお勤めを果たされました。
しばらくすると飛鳥からの馬便が届き、いつもの様に帝に宛てた建皇子の様子が書かれた木簡が届けられました。
快癒の便りを……と毎回思いながら便りをご覧になるうちに、今ではその内容が訃報でない事を祈る気持ちへと段々と変わってきております。
お願い、かぐやさん。
まだまだ諦めさせないで。
木簡を受け取り、帝は木簡に目をやります。
その瞬間、帝の目が大きく見開きます。
手が震え、手に持つ木簡が小刻みに震えます。
ああ、いよいよその時が来てしまったのね。
私は大きな脱力感を感じました。
声も出ません。
帝に掛ける言葉などあろうはずが御座いません。
「額田よ……」
「はい」
「其方もこれを読んでくれ。
ワシは耄碌したのかも知れぬ。
この文の意味が今ひとつ理解できぬのじゃ」
『現実とはかくも厳しいものなのですね』
かぐやさんは時折そう言ってました。
帝に代わって私が現実を受け止めましょう。
そう決意して、帝から木簡を恭しく受け取りました。
そして木簡に目をやります。
『此度、神託を受けました。
此度の建皇子を襲う病魔は、皇子様を帝にする事を阻もうとする何者かの意思が働いております。
それが神なのかそれに近しいものなのかは私には分かりません。
しかし建皇子様が帝になる将来が無くなれば、命を失う危険は去ると申されました。
帝のお力を以て解決への道筋をつけて頂きたく、伏してお願い奉ります』
????
木簡には完全に予想の外の事が書かれておりました。
神託?
何者かの意思?
帝にならなければ危険が去る?
頭の中は混乱して、考える事をお休みしてしまいそうです。
「斉明様、申し訳ございません。
何故なのかは私には解りかねます。
しかしかぐやさんが嘘を言わない方なのは私がよく知っております。
この文の通りならこの進言を受け入れてみては如何でしょう?」
「そうじゃな。
ワシにも分からぬ。
しかしかぐやならば神託を受ける事があったとしても不思議ではあるまい。
そのかぐやが誰よりも大切に思うておる建が、こうすれば助かるためと言うておるのじゃ。
早速、動いてみよう」
「ええ。
しかし、どうなさいますおつもりですか?」
「まずは葛城に建の継承権を放棄させるのが良かろう。
それを決意させたのちに、姓を与え臣籍降下のがよかろう。
元服しておらぬから、誰かの養子にしても良い」
「分かりました。
それでは皇太子様の元へ参りましょう」
私達は木簡を持って、皇太子のいる部屋へと行きました。
これで何度目でしょう?
◇◇◇◇◇
「ならぬ!
建は私の皇子だ。
当然、建には帝となる資格がある。
何故好き好んでその資格を失わなければならないのだ!」
「この木簡にもあります通り、かぐや殿が神託を受けたからです」
「ふん!
正規の神託で無いではないか。
神託とは古来より定められた儀により、多くの祭司らの呪力を以てもたらされるものだ。
いち采女が易々と受け取れるものではない」
「しかしかぐやさんは『神降しの巫女』として名を馳せた采女です」
「かぐやが神降しの巫女だとして、何故に建が帝となる将来を閉ざせは命が助かるというのだ?
私には私の子孫が繁栄するのを邪魔する企みにしか思えぬ。
それでなくとも私には娘は多いが男子の皇子は三人しか居らぬのだ。
大友、建、そして生まれたばかりの川島の三人だ。
そのうちの一人を帝にするな、だと?
もし大友に何かあったらどうするのだ?
あり得ぬ!」
「しかしその建皇子は今、生死の瀬戸際におります」
「もちろん知っておる。
だがもう少しマシな神託を授けよと、かぐやに言っておけ。
采女が帝の継承権に口を挟むなぞ、首を刎ねられても文句は言えぬ程の不敬だ」
「恐れながら……」
横で黙っていた鎌足殿が口を挟みます。
「かぐやはずっと建皇子様の看病に明け暮れており、疲れ果てております。
その際に都合の良い夢を見て、神託と思い込んだのでしょう。
建皇子様のため懸命になっている者を罰するのは外聞が悪いかと思います」
神託を完全に世迷いごと扱いです。
「そうだな。
この話は聞かなかった事にしてやる。
それが私からの慈悲だ!」
「皇太子様……」
「もうこの話は終わりだ!」
なんて事でしょう。
ようやく建皇子の快癒の手掛かりが見えたところなのに、実の父親によって妨害されているのです。
このままでは……
もはや残された時間は長くありません。
何としてでも建皇子を助けて差し上げなければ。
(つづきます)
世迷いごと……今の今まで「よまごいごと」と読んでおりました。




