有間皇子
有馬と聞くと有馬温泉が思い浮かびますが、その有馬で間違いありません。
孝徳帝が軽皇子と呼ばれていた頃,有馬温泉に滞留していた時に生まれたのでその名がついたとか。
「かぐやと言ったな。
『神降しの巫女』と名高い采女とは、其方の事で違いないか?」
突然、私に声が掛かりました。
その声の主は有間皇子、亡き孝徳帝の嫡子にあたる皇子様です。
声の調子では友好的か敵対的かは分かりません。
ひとまず無難な答えを返します。
「私がかぐやという名の采女である事は間違いございません。
しかし『神降しの巫女』と名高いかは存じ上げておりません」
少しムッとした様子で皇子様は質問を畳み掛けて来ます。
「では帝の覚えの良い采女では無いと言うのか?」
「此度の婚姻の儀におきまして、鸕野皇女への付き添そう様にと直々にお命じになられましたのは帝に御座います。
ある程度の信頼を得ているものと自惚れております」
「分かった。
其方が私の知る神降しの巫女であるとして、聞こう。
其方は帝の側にいながら、何故帝の暴挙を止めぬのだ?」
……政治批判?
ここには沢山の人がおります。
誰が聞いているか分からないのに、衆人環境で話して良い内容ではありません。
巻き込まれるのも嫌です。
「大変申し訳御座いません。
ご紹介が遅れました。
私は後宮の書司にて女嬬を拝命しております、赫夜郎女に御座います。
此度は鸕野皇女様の身の安全のために付き添いとして参りました」
ここまで言えば分かるでしょう。
『アンタ誰? いきなり何言っているの?』
と言っているのと同義の受け答えです。
分かったらとっとと下がって下さりやがれ。
暫くポカンとした後、有間皇子はハッとした表情になり、姿勢を正して口から言葉を絞り出しました。
「済まなかった。
我も名乗っておらなかったな。
我は有間皇子、先帝・孝徳の嫡子にあたる者だ。
心に思うところがあり、帝のお気持ちを知りたかったのだ」
「先程も申し上げました通り、私はしがなき采女に御座います。
帝には尊敬の念と敬愛の情を差し上げておりますが、政に口を挟む事など恐れ多き事。
なれば、伯母甥の関係にあります皇子様が直接お尋ねになられる事をお勧め致します」
「もちろん聞いた。
しかし耳を傾けては下さらなかったのだ」
「もしかして先ほどと同じ様にお尋ねになられたのですか?」
「……ああ、そうだが?」
「それでは話は噛み合わないかと考えます。
物事には道理があり、理由が御座います。
それを聞く前に暴挙と決めつけてしまわれては、話し合いにならないのではないでしょうか?」
「我の聴き方が悪いと言うのか?」
「正直に申します。
その通りにございます」
「何て無礼な采女だ!
我は先帝・孝徳の嫡子だ。
采女なぞに我の考えなぞ分かるとでも言うのか!?」
「大変失礼致しました。
正にその通りに御座います。
私には皇子様が何をお考えなのかを理解出来ません。
ましてその様な下賤の者が、帝に意見するなどあり得ないと思し召し下さい」
揚げ足取りの酷い言い方だと、自分でも思います。
「……くっ!
だが、神降し巫女ともあろう者が民草が苦しんでいるのを黙って見ているのか?」
「重ねて申し上げますが、皇子様のお話と私とで話が噛み合っていない様に思われます。
采女が政に口を挟まぬ事と民草が苦しむ事がどの様に繋がっているのでしょう?」
「帝の暴挙には目に余るものがある。
民草を苦しめる帝の暴挙に目を瞑っている其方も同罪じゃないか!」
これはアカン人の典型的な例ですね。
自分が正しいと思い込んでいるから話し合いにならないパターンです。
このままでは亡き孝徳帝が危惧していた事が現実になりそうです。
「恐れながら……。
皇子様が政権の転覆を図る事を目的とされているのなら、思い止まるのをお勧めします」
「誰がその様な事を言っているのだ!!」
周りが驚くくらいの大声で、反論します。
「………」
周りの関心を集めた状態で危うい話なんて続けられません。
沈黙をもって答えます。
「済まない。
思わず声を荒げてしまった。
しかし私にその様な心算はない。
何故そう思われるのかも分からぬ」
「皇子様が口にされているお言葉は明らかに帝への反逆に御座います。
皇子様がどう思われていようと、そう取られてしまうでしょう。
それにお気付きなられない皇子様に危うさを感じます」
「ならば、私は見て見ぬ振りをせよ申すのか?」
「出来ましたらそれをお勧めします。
それをならないのであれば、身の振り方をご再考なさる事をお勧めします」
「分かったかの様に言うではないか。
政には口を出さぬが、我のする事には口を出すのか?」
有間皇子の今の姿勢はあまりに危険すぎます。
貴方の敵は容赦のない方なのですよ。
「皇子様の亡き御父上であらせられます孝徳帝は、こう申されておりませんでしたか?
『逃げよ』と」
「!!!
何故、それを知っておるのだ!」
「一度だけ孝徳帝とお話しする機会が御座いました。
孝徳帝はとても皇子様の事をご心配されておりました。
今一度、孝徳帝のお言葉を思い返して下さいまし」
「まさかその言葉をここで聞くとはな。
だが何もせぬ事は我自身が許さぬのだ」
「そうなんですか……残念に御座います。
皇子様の一挙一動は周りに見張られているとお思い下さい。
百尺(30メートル)を超える崖の上を歩く慎重さを身につけて頂きたく存じます。
味方を作って下さい。
一人でも多く。
そして、孝徳帝のお言葉をお忘れなさらないで下さい」
「ふ……、其方は正に神降しの巫女なのだな。
少し頭が冷えた。
確かに我は周りが見えておらぬ様であった。
其方の言葉、心に留めよう。
その上で聞きたい。
帝は何故、渠に拘るのだ?」
「申し訳御座いません。
私は帝に渠についてお話を伺った事は御座いません。
私見は申せますが、帝のお考えは分かりません」
「ならば私見とやらを申せ」
ちっ! 言い方間違えました。
知らぬ存ぜぬを通せばよかった。
「皇子様はこの十年で政が大きく変わった事はご存知でしょうか?」
「そう聞いているが、詳細は知らぬ」
「今より十数年前、孝徳帝は難波宮にて改新の詔を発布されました。
全てはここから始まっております」
「それは聞いた事がある。
しかしそれ程重要な事なのか?」
「私はその時のことを今でも覚えております。
『悪しき者に相応の罰を、正しき者に相応の報酬を。
本日、帝より詔が発せられた。
暫しすればそれは叶うであろう』
当時、若き皇太子様は期待を込めてそう申されておりました」
(※第66話『皇子の呼び出し(2)・・・謎の人①』ご参照)
「少し待て。
確か、それは十年以上前の事ではないか。
何故その時の其方は皇太子様からその様な言葉を聞く立場にあったのだ?
そもそも其方は幾つなのか?」
(ピシッ!)
「な・ん・ど、言わせればお分かり頂けるのですか?
身の振りをお考え下さい。
政への批判と女子に年齢を聞くなど以ての外ですよ」
「い、いや……済まなかった。
肝に銘じておく」
イケナイイケナイ。
ついつい皇子様に圧力を掛けてしまいました。
「その改革の根本にありますのはこの国を強くし、唐や新羅などの諸外国に伍する国へと発展するための礎を作る事にあると私は思います。
孝徳帝はその一つとして難波宮の造営に力を入れておりました。
七年に及ぶ大事業だったはずです」
「そうだな。
私も難波宮はいつ見ても圧倒される立派な宮だ」
「強い国の在り方を考える時、例えば飲み水がか細い小川が頼りの京と、常に水を満たした太い渠が通った京とでは、京に住む民草にとってどちらが宜しいでしょう?」
「それは後者だろう。
だが、そのために民草が苦労しているのだ」
「詔では新たな税の在り方にもふれております。
領民は一年のある決まった期間、労働奉仕せねばなりません。
彼らを遊ばせる事が民草のためでしょうか?」
「そもそも労働奉仕を止めれば良いのではないのか?」
「そうすれば目先の利にはなります。
しかしいつまでもか細い小川頼りの京に住む民草は永劫に楽になりません。
倹約は美徳でしょうが、施政者が行き過ぎた倹約をすれば、民草をじわじわと苦しめる事になり後々の禍根となりましょう」
「なるほど。
では何故帝はそう答えて下さらなかったのだ」
「おそらく聞き方が間違っていたのではないでしょうか?
皇子様の浅慮なお言葉は、周りを巻き込み危険な政争の種になりかねない危うさを有しております。
早々に話を切り上げるのが最善だと思われたのではないでしょうか?」
「あ……、ああ、そんな気がしてきた。
何せ私は父上が亡くなられてから奇行を繰り返し、周りから気が触れた奴だと思われているからな」
「あくまで私の私見です。
出来る事でしたら先帝のお言葉をお守り下さいます様、お願いしする次第に御座います」
「いや、感謝する。
確かに其方の思慮深さは神降しの巫女に相応しい。
きっと巫女殿は永きに渡り世を見てきたのだろう。
その知見の深さにいたく感銘した」
……ピシッ!
「な・ん・ど、言わせれば……」
「い、いや済まぬ!
口が滑った! 申し訳ない!」
皇子様はそう言い残して、そそくさと退散していきました。
そういえば、有間皇子って真人クンの実のお兄さんなんだよね。
もしも私が真人クンと一緒になったら、あれが義兄になるの?




