婚姻の儀にて
飛鳥時代には時刻の概念はあったらしく、この時すでに一日を十二子で表していた模様です。
この数年後の西暦660年に完成した漏刻と呼ばれる精密な水時計は数分単位で刻を測り、時刻を鐘の音で伝えていました。
本日、大海人皇子と鸕野皇女との婚姻の儀が執り行われます。
場所は吉野の離宮。
皇太子様が愛娘(という触込みにしている) の鸕野皇女様のためにお建てになった離宮です。
ちなみに、ひと足先に現地入りしていた大海人皇子は昨夜はここへはお泊まりになっておりません。
道徳的に婚姻前の同居は拙いですし、儀礼のため明日初めて来た様な演出をする為でもあります。
もっともこの時代の道徳感はかなりいい加減ですが……。
京から持ってきた什器備品は、昨夜のうちに全て設置されました。
【天の声】事務用品みたく言うな!
婚姻の儀は両家が揃わなければならないため、皇太子様の到着待ちとなります。
帰りの都合があるはずなので、巳の刻(午前十時頃)には到着するはずです。
それまでに入念な準備を重ねて、関係者の皆さんは式次第を整えます。
いよいよ馬に乗った一団が到着しました。
皇太子様と中臣様、そして此度の婚姻を祝う高官の皆さんです。
お祝いの品も沢山ありました。
慣れていない非定常業務に戸惑っている方々(スタッフ)を見ると、現代で総務課の事務員をやっていた会社員の血がウズウズと騒ぎます。
が、ここでは自重します。
何せ私は鸕野皇女の護衛として来ているのです。
なので護衛対象から離れるわけにはいきません。
そのうち裳の下に暗器を忍ばせ、悪をお掃除する殺し屋になっているかも知れませんね。
【天の声】止めなさい! ファンが怒るぞ。
◇◇◇◇◇
婚姻の儀に先立って、御二方は納采の儀を済ませており、既に婚約が成立しております。
そして、婚姻の儀ではまず親迎の儀から始まります。
大海人皇子様と姉の間人太后が、妃となる鸕野皇女の宮へと参上します。
そして、皇子様が礼品である海の魚と布と米を父親である皇太子様へ恭しく納めました。
この構図を見ると、帝が皇太子に頭を下げて礼品を収めるのは絵面的にアウトですね。
代理として姉の間人太后様がいらした理由がよく分かります。
そして広い庭に設けられた祭壇の前で、二人は神に向かい礼拝します。
神主さんは即位の儀で鏡を担当したオジサンでした。
それが終わると、占い専門の祭祀さんから占いの結果が読み上げられました。
手に持っているのは何かの骨っぽい物で、黒く焦げて煤だらけです。
多分、太占と呼ばれる占いだと思います。
当然ですが悪い結果は言いません。
言う事全てがいい事づくめです。
でもなんか嬉しいのは何故でしょう?
儀が一通り終わると宴です。
皆さんで食事を楽しみます。
一番の上座には皇太子様と太后様が座っております。
そしてその前に、本日の主役、大海人皇子と鸕野皇女が並んで座っております。
本日の化粧も私が丹精込めてやりましたので、お子様っぽさは影を潜めています。
しかし行動の端端に未熟さがチラホラ見え隠れしますのは今後の課題ですね。
宴の最中であっても私の護衛任務は続いております。
そして護衛は化粧係だけでなく、余興も担当します。
いつもの様に舞を披露しました。
練習無しのぶっつけ本番です。
皇太子様から、
「かぐやよ、神降しの巫女として舞を披露してくれ」
と言われたら、断る術はありません。
舞うの一択です。
着の身着のままで、道具は手持ちの扇子のみ。
音合わせもしておりません。
しかし大海人皇子の舎人として皇子宮に初めてやって来た時と同じ舞なら大丈夫でしょう。
(※第121話『 新春恒例のかくし芸大会?』ご参照)
音に合わせてそれらしく舞い、扇子をクルクルと回して余興っぽく盛り上げて、最後にポーズを決めて、はいおしまい。
光の玉は無しです。
またまた光る人を出没させたら、何を言われるか分かりません。
それに光の人の出現は帝の徳の成せる技だと公言していますので、その前提が崩れてしまいます。
舞を鑑賞している人たちもガッカリ感が伝わってきますが、それはそれ、これはこれです。
余計な事は一切しません。
私も学びました。
技を使えば使う程、墓穴を掘っているという事に。
【天の声】その台詞、何度目?
宴が進むと大海人皇子や、皇太子様へと歩み寄り話し掛けてきます。
顔つなぎのためこの機会に自分をアピールしたい職場席の面々。
お二人の縁の深い御友人席の方々は、懐かしそうな顔で話を聞き入ってくれます。
鸕野皇女に書や礼儀作法を教えて頂いたお方もお見えになっていました。
そして血縁者。
普段は顔を合わせない皇子様同士で話が出来る数少ない機会です。
本来でしたら建クンも親族席に呼ばれていたはずですが、こればかりは仕方がありません。
そのご親族の中に血気盛んな青年の姿も混じっていました。
名前を有馬皇子、先帝・孝徳帝の皇子様です。
部下というより頼れるご友人を従えて、大海人皇子に話し掛けてきました。
「此度は御目出度う御座います。
大海人皇子様におきましては良き良縁に恵まれまして、まるで亡き父上の婚姻を思い浮かべずにはいられませんでした。
(ピシッ!)
周りに緊張が走ります。
先帝の孝徳帝が即位の時に今、上座に座っている間人太后を皇后として迎えました。
当時、間人太后様は十六歳くらいだったはず。
つまり当事者がすぐそばにいる席での発言です。
しかも、間人太后が孝徳帝を一人残して難波宮を出ていってしまった経緯を考えますと、『良縁』と言うには皮肉が効き過ぎています。
しかもしかも、孝徳帝のご在命の時、皇太子様が政治的に対立していた事は周知の事実です。
それを皇太子様がいる目の前で口にする胆力は流石ですが、かなり危うさを感じます。
「有難う御座います。
叔父上には生前お世話になりました。
私が亡き叔父上に似ている部分があるのなら、それは喜ばしく思います」
大海人皇子は大人の態度でいなします。
「ところでこの婚礼に際して吉野の地に離宮をお建てになられたのは何か理由でもあるのですか?」
「これは愛娘である鸕野皇女を私が娶るに際して、兄上が贈られた宮です。
さぞ鸕野皇女の事を大切になさってこられたのだと思います」
「この様な山奥に立派な宮を建てずとも京の近辺にも建物はありましょうに、何故に吉野でしたのでしょう?」
「それは妾が生駒の麓で育った故、御父上が妾のために風光明媚な場所を選んでくれたからなのじゃ」
「そうだったのですか。
かく言う私も賑やかな京よりも人里離れた地で逗留するのが趣味です。
大海人皇子様には、いつか疲れを癒す良い湯をご紹介したいと思います。
もちろん皇女様もご一緒に」
「それは楽しみじゃな。
心待ちにしておるのじゃ」
緊迫した雰囲気を(いい意味で)鸕野皇女がぶち壊してくれたお陰で、その場の張り詰めた空気は四散しました。
こうして婚姻の儀は無事終了し、陽の高いうちに皇太子様御一行は帰路につきました。
そして残った人達で、新築の宮で二次会に突入です。
私はと言うと、今から徒歩で戻るには陽のあるうちに帰り着ける自信がないのでお泊まりです。
鸕野様と最後のガールズトークを楽しみたいというのも大きな理由の一つです。
そんな最中、私に声を掛ける殿方がいました。
「かぐやと言ったな。
『神降しの巫女』と名高い采女とは、其方の事で違いないか?」
振り向くと、そこに有馬皇子様がいらっしゃいました。
……まさか六人目の求婚者?
(つづきます)
現代にも納采の儀は執り行われておりますが、古代とは違うっぽいうえに、皇族同士の婚姻となるとどの様に取り扱って良いのか想像が付きませんでした。
出来るだけシンプルにしようと考えた結果、作中の様な儀になりましたが、古代儀礼に詳しい方から見ましたらツッコミどころ満載です。




