かぐや先生の個人授業・・・課外授業
『春過ぎて 夏きたるらし 白妙の
衣ほしたり 天の香具山』
とても有名ですね。
かぐや先生の個人授業、二日目。
最後の三時限目は図画工作です。
折角なので、建クンにも参加して貰いました。
課題は紙と炭を使った静物スケッチです。
「では、この須恵器のお茶碗を描いて頂きます。
いきなり難しい物を描く前に、形が単純な器を描いて慣れて頂きたいと思います」
「妾が将来絵を描く事はあるのかのぅ?」
「あるかも知れませんし、無いかも知れません。
私の教えは最初から役に立たないと切り捨てるのではなく、何かが役に立つだろうと様々な事を試すものです。
幸い建皇子様はそちらの方面に非凡な才を発揮する事が分かりましたので、今はそれに注力しております。
無論、お止めになられる事も否応は御座いませんので、ご遠慮なく申して下さいませ」
「いや、かぐやの教えは無駄がありそうでないものばかりじゃ。
何かしら学ぶべきものが必ずある。
きっと絵を描く事で面白い発見がありそうじゃ」
実は鸕野皇女様には絵以外で素晴らしい歌の才能がある事を私は知っております。
不朽の名作とも言える程の歌を残す程で、当然の如く百人一首にも選出されております。
その様な御方を歌下手な私が指導するなど畏れ多いので、誰か歌の指導をしてくれる達人を募集したいと切に願っております。(旗)
「建皇子様、見本として描いて貰えますか?」
建クンに以前教えた立体感を出すための陰影法を用いたスケッチをお願いしました。
炭を使った画も得意です。
ほんの五分ほどでさらさら〜と描いてしまいました。
その間、私は比較としての陰影の無い茶碗を同じ大きさに描いてみます。
「どうでしょう?
陰影が付くと、お茶碗が飛び出してくる様な感じになります。
より現実に近い表現をする手法の一つです」
「ちょっとした違いなのにこの様な手法があるとは知らなんだ」
「建皇子はこの陰影法をとても得意としておられます」
建クンが描いている間、鸕野皇女様は描いている様子を伺っていましたが、事も無げに正確なお茶碗を描く姿に感心すること頻りでした。
「ほぉ……、建が絵が上手なのは聞いておったが、よもやここまでとは思わなんだ。
建てにはこの才を活かす道を歩んで貰いたいのお」
「絵のは、時として書よりも雄弁であります。
文をいくら重ねても人の顔を伝えるのに絵に優るものはありません。
もし建皇子様が帝の絵を残して後世に伝えられたら、きっと多くの方が帝への親近感を持つでしょう。
人物だけでなく建物や衣装、景色すら絵に残せるのなら、後世の人にとって代え難い資料となります」
「なるほどのお。
ならば絵が上手い者に敵わないのかいな?」
「景色の絵は景色そのものをよく伝えておりますが、その景色を見た感動は絵よりも詩や歌の表現が勝るかと思います。
文が得意なのは心の内を伝える事です。
また後世の人に先人の考え方や人となりを伝えるには書に勝るものは御座いません」
「絵と文、どちらも一長一短があるという事じゃな。
考えた事も無かったのじゃ。
妾は絵よりも歌の方が良いかな
絵は建に任そう。
建ほどの絵の達人になれば、どの様な絵を残すのか楽しみじゃ。
建よ、絵に励めよ」
「ん」と言って、建クンはコクンと頷きました。
建クンが人に褒められる事は少ないせいか、すごく嬉しかったみたいです。
姉弟の触れ合いが少ない建クンのこんな様子を見られただけでも、教師を引き受けた甲斐があります。
こうして二日目の授業は終わりました。
そして三日目。
例の五十日恒例の調査の日です。
鸕野皇女様に私が寺社仏閣の関係者とお会いしてその神社に伝わる神様や伝来、あるいはお寺の創設の経緯などを、忌部氏の宮で調査している事を伝えました。
もし興味があればご一緒して、無ければ授業が終わった後一人で行くつもりでした。
そうしましたら、私がどの様な事をしているのか興味があるらしく是非一緒に行きたいと申され、予定を変更して共に行くことになりました。
いきなりは失礼すぎるので、先方にも忌部佐賀斯様にも先触れを出すのを忘れない様に。
本当はこうゆう事を雑司女が率先してやるのですが、今後に期待しましょう。
◇◇◇◇◇
本日のお客様は役小角様です。
生駒の山奥で弟子にした義覚さんも一緒です。
正しくは義覚さんの話を伺うため、小角様が同行した訳ですね。
以前、お話を伺ってはいましたが、突然の来訪で頭の中が整理されていない状態での調査でしたので、あまり話せなかったそうです。
なので先祖から伝わるお話を思い出して、整理整頓して、再びの調査と相成りました。
「かぐや殿、最近はつとに忙しそうだな。
とんでもない代物を降臨させたと聞いたが?」
小角様は好奇心丸出しで聞いてきます。
「何かが降りてきたのは間違いございませんが、たまたま私が待っている時と重なっただけだと思っております。
帝へのご来客を自分への尋ね人と勘違いするのは流石に恥ずかしいのでお止め下さい」
「相変わらずであるな。
ところでそちらに座す方が皇女様であるのかな?」
「ご紹介が遅れました。
こちらは皇太子様の御息女、鸕野娑羅羅皇女様に御座います」
「娑羅羅というと、讚良の地の縁ですかな?」
「そうじゃ、馬飼造殿に世話になっておる。
其方は小角と申すのか。
ひょっとして加茂役君殿か?」
「その通りです」
「ふむ、生駒の山に妙竹林な破壊僧がおるとの噂を聞いたが、まさか破壊僧が生駒を下山するとは知らなんだ」
「破壊僧が誰かは分かりませぬが、生駒の麓の讚良には駿馬と駿馬に乗るじゃじゃ馬がいると聞いた事は御座います」
「奇遇じゃのう。
妾も生駒の麓に住んでおるわ。
ふふふふ」
やめて〜。
ご近所さんは仲良くしなくちゃ。
何でバチバチと火花が飛ぶの?
「本日は弟子の義覚様がお話しされたいとの事でしたが……」
「え、はい。
少し気になった話がありまして……」
「どんな些細な事でも構いません。
むしろその様な部分にこそ真実が隠れている場合が多いのです」
「かぐや、その者は何者じゃ?」
「申し遅れました。
この方は小角様のお弟子さんの義覚様です。
生駒の山に先祖代々隠れ住んでおり、外界との接触を避けておりました。
昨年、小角様の説得により、小角様の庇護の元で先祖の墓を守りと同時に山へ人を受け入れる決意をなさいました」
「つまり蝦夷の成れの果てという事か?」
戦闘モードが抜けない鸕野皇女様の言葉の端端がトゲトゲしております。
「まずはお話を伺いましょう」
「前にも言ったが、オレ達の先祖は生駒の麓に集落を築き住んでいた。
しかし海から来た者達に山へと追いやられ、隠れる様に住んでいたんだ」
「少し待て。
つまり今妾が住んでいる土地は其方らが先に住んでいたと言うのか?」
「何処に住んでいたかは詳しくは知らん。
ただ昔は山と海に挟まれた土地に住んでいたと聞いているだけだ」
「それは変ではないか?
妾にいる所から海まで相当な距離があるのじゃぞ。
山にまで船で来たのか?」
「それはオレもそう思う。
そこが気になっていたんだ。
しかし生駒の東で舟に乗った連中と戦ったと爺さんの爺さんは言っていた」
「つまり、古すぎて正しい伝達が出来ておらぬだけでは無いか?」
「鸕野皇女様、少しお待ち下さい。
まずは義覚様のお話を最後まで聞きましょう」
「かぐやがそう言うのなら、聞いてみようかの」
「ふんっ」
「オレ達の先祖は首長の『長髄彦』に従い、戦った。
何度も戦い、何度も追い返したが、最後は饒速日に敗れた。
長髄彦様は人を殺める事を禁じていたからだ。
その後、饒速日は生駒を超え、西へと向かったそうだ」
「アテになる話かのう?」
「私は興味深く聞きました。
饒速日尊は物部氏の先祖とされる神格の御方ですね。
山奥に伝わる伝承と、物部に伝わる先祖の名が一致しているのは偶然とは思えません」
「しかしかぐかぐや殿よ。
海の件はどう説明する?
まさか土地が迫り上がったとでも言うのか?」
「それも無きにしも非ずですが、私は海の水面が昔は高くて海がもっと山に近かったと考えます」
「そんな事があるのかえ?」
「一日に二回、潮の満ち引きで水面が変化します。
しかし、数百年、数千年の長い間に海水面が変動する事があります。
昔海だった所が海面が下がり干上がって陸地になると、土の下から魚や貝の死骸などが見つかったりします」
1400年後には灘波京(※ 大阪城公園近辺)の辺り一体が陸地になっているくらいですから。
「つまり、そのくらいに古い伝承かも知れないという事か?」
「はい、そうゆう事になります。
同時に物部様のご先祖様も同じくらい古いと言う事になりますね」
「一見荒唐無稽に見えても、何か繋がりがあるのかや」
「はい、それを紐解く作業は大変難解ですが、やり甲斐も御座います」
「やはりかぐやの知識を妾は是非欲しいのう」
「じゃじゃ馬には勿体なくないか?」
「何を! そこな破壊僧こそ、妾のかぐやに近付くでない。
目が怪しすぎる」
「いつの間にかぐや殿がじゃじゃ馬の物になったのだ?
私の目は青空の様に澄んでおるわ」
「いつから青空と書いて濁りきった曇天と読む様になったのか?
それとも破壊僧の経典は中身も破壊されておるのか?!」
「いい加減にしなさーい!!」
何故かこの二人。
相性が悪いのか、はたまた同族嫌悪か?
言い争いが絶えません。
須恵器は古墳時代に大陸から渡来人によって伝わりました。
野焼きで焼いた土師器と違い、登り窯で高温の熱で焼いた須恵器は薄くて硬く、食器などに用いられた様です。
一方で日本古来より伝わる土師器は直接火を掛けられる為、煮炊き用の調理器具として用いれられたみたいです。
280話で出てきた甕形土器もその一つです。




