飛鳥時代の清潔事情
最近は五十日の影響が少なくなったそうです。
五十日ってご存じでしょうか?
ゴジュウニチではなく、ゴトウビです。
五十日、つまり五と十の付く日は銀行窓口や道路が混むと言われています。
決算や支払が五十日に設定されていることが多いため銀行窓口が混んで、支払いと同時に運送が活発になるためだとか?
決して五のつく日にア◯になる訳ではありません。
貨幣すらない経済未発達の飛鳥時代に五十日という概念は生まれ様もありませんが、私は許可を得て、五十日に外出して忌部氏宮へと行きます。
目的は湯浴みです。
案の定というか後宮にお風呂なんてありませんでした。
特に頭皮が気持ち悪くて本当は毎日でも通いたいくらいです。
帝や間人大后様は施術所へ頻繁に行って気分爽快しております。
実を言うと私もお誘いを受けておりますが、古巣へ行く気恥ずかしさと、施術所は皇太子様の縄張りとなっているためあまり近づきたくありません。
なので他の長官や次官の方々に同行を譲っています。
後宮の中で施術所への同行は大人気なので、とても感謝されます。
女性客に人気になるよう作ったのですから当然と言えば当然ですね。
施術所へ行けない皆さんは身体を水拭きしますが、中にはそうゆう事を一切しない人もいます。
ツルカメコンビもその口です。
酸っぱい匂いがして有り体に言って臭いです。
同室にいる彼女達が臭うのは精神衛生上キツイので身体を拭くように言ったら……、
「讃岐国造の娘は私達に風邪をひかせて殺す気なの?」(ツル)
「讃岐国造の娘は私達を虐めて楽しんでいるのよ」(カメ)
と取り付くシマもありません。
……という事で、何度目になるか分からない一計を案じました。
このままでは一年で三百六十計くらいなりそうです。
忌部氏宮に行く前、二人を呼びました。
私の前には水桶があります。
「今から建皇子様をお連れして外出します。
その間、二人にはこれを下げ渡すので活用なさい」
「何よ、偉そうに」(ツル)
「何よ、勿体ぶって」(カメ)
その通りです。
敢えて高飛車に言っています。
本来、采女の私が雑司女に向かって発言する際はこの言葉遣いが正しいのです。
下手に出るのは止めました。
そして彼女達の言葉を無視して、水桶の中にチョロロロロと無患子の泡に少量の香油を加えた液を垂らしました。
私が洗顔に使っている物で、施術所から融通して分けて貰っている物です。
「これはここで私だけが使っている貴重なお薬で、この水を布に湿らせて肌に塗って擦ると痒みが無くなる作用があります。
擦れば擦るほど効果があります。
宜しかったらこれを使いなさい。
もし使わないのなら他所に差し上げなさい。
他所でもこれを欲しがっておりますので」
『私だけ』とか『貴重』という言葉を使って彼女達の物欲をチクチクと刺激します。
ネット広告でも『この動画を見た方限定で』とか、『今売れ過ぎて困っているこの商品を今回に限り82%オフ』とかありましたが、彼女達でしたらいとも簡単にポチりそうな気がします。
しかし大切に取っておく可能性があるので予防線を張っておきます。
「これは使い切りです。
一度使えば効果は無くなります。
使い終わったら捨てなさい。
使わなくとも翌日には効果が薄れます。
繰り返しますが、使わないなら余所へ差し上げなさい。
いいですね?」
二人とも顔を見合わせて考えています。
ここで念押しすると逆効果な気がするので……。
「それでは出掛けます。
後片付けを忘れないように」
そう言い残して私は建クンを連れて忌部氏の宮に出掛けました。
◇◇◇◇◇
忌部氏の宮ではまず湯浴みします。
建クンをキレイに洗って、私も身体の隅々まで洗い流し、米ぬかを使って頭皮を念入りに洗います。
施術所ではスタッフが丁寧に濯いでくれましたが、お手伝いがいませんので自分でやります。
最近は建クンが桶にお湯を汲んで私の頭に掛けてくれるようになりました。
無口の建クンだとなかなか解り難いのですが、お手伝いは結構好きみたいです。
お手伝いというよりは人に喜んで貰えることかな?
だからお手伝いしてくれた時には大袈裟なくらいに褒めてあげる様にしています。
湯浴みが終わったら建クンはお絵かき。
私は取材です。
岡本宮が出来る前は自分の足で寺社仏閣巡りをして、お祀りする神様や神様にまつわるお話とか代々伝わる寺社の歴史などについて聞いて回っていたのですが、苦情がついて『采女が外をほっつき歩くんじゃない!』と中臣様に叱られてしまいました。
ボーッと生きているんじゃねぇよ!
……とは言われていませんが。
そこで佐賀斯様が先方からお越しになる様手配するとご提案頂きました。
寺社ではそれなりの地位にいらっしゃる方にわざわざ足を運んで頂くなんて畏れ多いと一旦は断わりました。
ならば此方に来たいと申される方に限定してみては如何かと言われ、そこまで奇特なお方がいらっしゃれば是非お願いしますと相成りました。
不思議な事に足を運んで下さる方が途切れず、毎回取材をする事が出来ております。
ついお話が白熱して時間の経つのを忘れそうな時には、そっと佐賀斯様が声を掛けて止めて下さいます。
【天の声】剥がしかっ?!
だいぶ話が溜まって来ましたので、そのうち報告書にして書司に提出しようと考えております。
少し早めの夕餉を済ませて後宮へと戻りますと、お部屋の床がベチャベチャなっていました。
どうやら二人は石鹸水で身体を拭いたみたいです。
二人は奥で赤い顔をして何か言いたげな様子ですが敢えて相手にせず、先ずは建クン寝かせつけます。
寝る前の塩歯磨きをして、お口を濯いで「ニッ」とします。
ルーチンワークを得意としている建クンは歯磨き習慣をきちんと守って毎夜、歯磨きをしています。
私もお手本となるべく毎日歯磨きしています。
おかげでこの時代の人には珍しく、私も建クンも歯は真っ白です。
一方でツルカメの二人の歯はガタガタ、ガチャガチャで貧民よりも歯並びが悪いかも知れません。
おそらく幼少時になまじ食べ物が良かったせいで虫歯が酷く、鶴姫の前歯は虫歯で変色しています。
亀姫は奥歯が真っ黒で、何本か無いみたいです。
きっと虫歯の痛みに耐えかねて、力ずくで引っこ抜いたのだと思われます。
翌日、二人は鼻を啜っていました。
どうやら風邪を引いたみたいです。
昨日戻った時に見えていたのですが、石鹸水に効果があると思い込んだため、拭き上げもせず濡れたままにしていたみたいです。
まだ弥生(※新暦だと二月)、かなり冷えます。
それに顔が赤かったので、肌を傷付けるくらいに擦ったのも良くありませんでした。
もしかしたら防寒代わりの垢が全部取れたことも一因だった? ……のかも。
建クンに風邪が移ると嫌なので、ウィルスばい菌退散のアマビヱの光の玉と皮膚の炎症防止の光の玉をこっそり当てておきました。
こんな事を三回ほど繰り返すと、部屋の中に漂う彼女達の酸っぱ臭い匂いがだいぶ薄らいできました。
おそらく他所でもあの悪臭は閉口するレベルだったので、周りも助かっているはず。
本人達は何も気付いてませんが……。
そんなこんなで不自由ながらもどうにかやっていけていたのですが……、
ついに事件が起こってしまいました。
◇◇◇◇◇
五十日恒例の忌部氏へ湯浴みと取材を終えて、後宮へと戻りました。
しかし、鶴姫は居ますが亀姫が居ません。
「亀さんはどちらへ行ったの?」
「そんな事知らないわ。オシッコじゃないの?」(ツル)
「そう、分かりました。
では皇子様を寝かしつけます」
私はいつもの歯磨きを終えて奥の寝台へと連れて行きました。
寂しがるといけないので寝入るまで側に居てあげますが、建クンは寝つきが良いのでほぼ瞬殺です。
少し待って、寝息が大きくなったところで退室です。
灯りがない真っ暗な部屋ですので、そーっと外へ出ようとしたその時。
がつんっ!
後頭部に凄まじい衝撃を受けました。
目から火花が出るって本当なんですね。
頭がクラっとして、私はツンのめる様にヨロヨロと倒れ込み四つん這いになりました。
目の前にはスヤスヤ眠る建クンがいます。
このまま気を失ってしまったら………
(つづきます)
幕末、日本にやって来た西洋人達は日本人の清潔に驚いていた記述が残っています。
他には混浴、背が低い、好奇心旺盛過ぎ、などなど。
日本人の清潔好きは高温多湿のアジアモンスーン気候の故、皮膚感染症を恐れたのと、穢れを嫌い清浄を旨とする神道的思想があったのではと作者は考えています。(間違っているかも知れませんが)
奈良の大仏建立で有名な聖武天皇時代、中臣鎌足の孫である光明皇后が貧民や孤児達のため悲田院を建立し、薬草湯の蒸気風呂で病人を癒やしたというエピソードが残っています。




