【幕間】鎌足の苦悩・・・(1)
鎌足様のお話ですが、焦燥する場面は過ぎましたので、苦悩として新たにリスタートします。
この先の鎌足は、高い理想と思い通りにいかない現実との狭間で苦悩していきます。
中臣鎌足視点による幕間。
第220話『【幕間】鎌足の焦燥・・・(14)』の直後からのリスタートです。
まだ孝徳帝が御在命だった頃、物部宇麻乃が仕組んだ薬物によって日に日に壊れていく帝の様子を見た鎌足は……。
◇◇◇◇◇
『中臣連鎌足に大紫の冠を与える。
封戸千戸、及び功田二千反を与う』
年が明けて早々、難波宮へ呼び出されたと思ったら突然の冠位を与えられた。
悪い気はせぬが、気味が悪い。
最近の軽(※孝徳帝の皇子時代の名前、軽皇子)の考えが解せぬのだ。
家臣も身内も殆どの者が飛鳥へと行ってしまい、政の中枢は飛鳥へ、正しくは葛城皇子へと移った。
この伽藍堂に近い難波宮は独り取り残された軽からすれば巨大な鳥籠に見えるだろう。
白雉という名の元号の通りだ。
だと言うのに軽の表情が妙にスッキリしている。
……目以外はだが、あの目は何だ?
口元が緩んでいて益々気味が悪い。
人というのは人生を諦めたらあの様になるものなのか?
津では遣唐使船が建造の真っ最中だ。
真人らが乗った遣唐使船は無事に唐へと辿り着いたが、もう一艘は薩摩沖で沈んだ。
これからを担う人材を一度に百人も失うのは余りにも大きな痛手だった。
しかも唐の皇帝には拝謁は許されなかったらしい。
昨年の遣唐使では薩摩沖経由の危険な航海だったため辞退者が相次ぎ、使節の者達は大使を含めて皆小粒だった。
私とて真人を送るのに大いに悩んだのだ。
今回の遣唐使では、新羅を経由し、安全な航路を行く事になった。
国博士の高向殿が押使として行くのだから、拝謁は叶うであろう。
だが高向殿もご高齢だ。
無理はして欲しくは無い。
正直に言えば私が代わって差し上げたいくらいだ。
この目で唐がどの様な場所であるのか見てみたい。
唐の書を読み漁りたい。
この国が目指す見本がどの様なのか知りたい。
そして……
真人が励んでいるところを見守ってやりたい。
完成間近の船を見ながらその様な事を考えていた。
◇◇◇◇◇
一ヶ月後、出航日がやって来た。
前回の派遣から一年も経たずに唐へと使節を遣わすのは軽の肝煎りということであるからだ。
が、敢えて私も反対はしていない。
人材発掘は急務であるのにやたらと手間が掛かるのだ。
その育成を唐が肩代わりしてくれると思えば安いものだ。
それにしても毎月のように飛鳥と難波を行き来するのは面倒この上ない。
だがこれは私が望んだ事であり、そうなる様仕組んだのだから、文句は言うまい。
一月ぶりの難波、そのたった一月の間に軽の様子が激変していた。
船の出航を見送る軽は、何処かしら上の空だった。
それだけだったら大して気にも留めぬが、見てくれが全く違うのだ。
目は窪み、両目の向きが合っていない様に見える。
以前はそれなりの体躯だったが、明らかに痩せていた。
いや……、これが私がした結果なのかも知れぬ。
全ての者から裏切られる様仕向けたのは他ならぬ私だ。
食欲が落ちても不思議では無い。
だが、一月前との差異があまりにも大きい。
一体何故……?
その後、見る度に軽の衰弱が目に見えて酷くなっていき、夏頃になると一切表舞台に姿を見せなくなった。
葛城皇子は勿論、間人皇女や皇祖母尊様も見舞いには来ない。
来れないというべきか?
私も行きたくはないが無視もできず、門前払いを覚悟の上で見舞いに行った。
そうしたら、何故か通されてしまったのだ。
憂鬱とはこの様な気持ちを言うのだな。
通された部屋へ行くと、まだ暑いのに締め切られており、咽せるような香の香りが充満していた。
「窓を開けい!
この様な部屋に閉じ込めて何を考えておるのだ!」
私はすぐさま軽の付き人に命じた。
「いえ、帝がその様にご命令されましたので……」
「貴様にはこれがマトモな状態に見えるのか?
何度も言わすな!」
「はいぃ」
なんて事だ。
まさかこの様な事態になっているとは思いも寄らなかった。
「か……鎌子か?」
寝所に横たわったまま、軽が声を掛けてきた。
「はい、見舞いに参りました」
「其方が見舞いとな……。
トドメを刺しに来たの言い間違いか?」
「その様な言葉が口から出る様であれば安心で御座います」
「ははは、今日は調子がええ。
其方と話がしたくなってな」
今更、愚痴を聴かされるのも気持ちのいいものではないが、これも私がやった事の後始末だ。
甘んじて受けよう。
もし万が一、物陰に隠れて私に切り掛かる輩がいたとしたら、戸の外に居る護衛が来るまで持ち堪えればどうにかなる。
「安心せよ。
誰も隠れておらぬよ」
私の考えを読んだかの様に軽が言った。
「隠れていたとしても返り討ちにします」
半分は強がりだが、素直に頷ける筈もあるまい。
「鎌子よ、其方らの勝利だ。
気分はどうじゃ?」
「勝ちも負けも御座いません。
戦うべきはこの国に蔓延る悪き古き慣習です」
「すると余は古き者で悪き慣習そのものという訳じゃ」
「共闘出来ればそれが最善でした」
「それは無理じゃ。
狼と野兎が共闘して龍に挑むなどあり得ぬ。
そもそも其方の主人は群れぬじゃろ。
手下は居れども仲間は居らぬ」
「それを知りながら追い詰めたのは帝で御座います」
「そうじゃな。
あと少しじゃった」
「悔いが残っておいでで?」
「後悔なぞない。
あれが余に出来る精一杯じゃったのだ」
「私は悔いが残っております。
もう少しやりようがあったのでは?」
「其方は余が帝になる前、蘇我を滅せよと話を持ちかけたよな?
その問いに背を向けた余を、其方はどう思った?」
「臆病者だと思いました」
「そうか、臆病か。
余には其方が向こう見ずで怖いもの知らずに見えたがの。
最初から意見の合わぬ者同士がどうすれば同じ考えを持てようか。
余と葛城だけであったら余が妥協すれば良い。
しかしこの世は、利害が複雑に絡み合い、人の数だけ意見があるのじゃ。
一人の考えに全ての者が従うなぞあり得ぬ。
どうしようもないのじゃ」
「故に敵対したと?」
「誰もが死ぬのは怖い。
生き残るため、余も必死じゃったのだ」
「敵対しなければ生き残れました」
「生ける屍となっての。
それならば今と変わらぬ。
贖った方がマシじゃ。
故に後悔なぞはしておらぬ」
「利害が対立していた事は理解致しました。
他に私に言い足りない事が御座いましたら、どうぞ思う存分お言いつけ下さい」
折角だ。
これまで軽が思ったいた事を聞き出してやろう。
これまでの答え合わせみたいなものだ。
「ふん、従順な言葉の裏に不遜な態度が透けて見えるぞ。
おそらく余も永くはない。
もはや言い残しはないが、心残りはある。
皇子だ。
余が亡き後、有馬は狙われるであろう」
「どうぞ長生きして下さい」
「無茶を言うな」
「私は帝には生きて頂きたいと思っております」
「程良い傀儡としてな」
「あくまで私の目的はこの国に蔓延る悪しき古き慣習を無くし、秩序をこの国にもたらす事です。
その中心には帝が居てもらわねばなりません」
「帝は誰でも良さそうじゃの?」
「そこまでは申しませんが、帝に生きて頂きたい考えに偽りは御座いませぬ」
「ふん、軽いの。
余の命は軽いの。
彼奴の前では自分以外の命は皆軽いのだから無理もないが」
「そこまでは無いと思います」
「……昨年の遣唐使船、一艘が沈んだのは思えておるよな?」
「忘れるはずも御座いません」
「生き残った者らの話を精査したが、船が沈んだ原因が座礁では無さそうなのは知っておるか?」
「初耳です」
「あの船は沈んだのでは無い。
沈められたのじゃ」
「まさか、そんな事は……」
「其方も心当たりがあろう。
名簿の上では其方の長子が沈んだ方の船に乗っていたと」
「それは……」
「余の心残りはそれだけじゃ。
同じ事をかぐやとか申す郎女に頼んだら、『心より承りました』と言うてくれたよ」
「そう………なんですか」
「其方には其方の立場もあろう。
しかし目的を見誤るなよ。
今の余には目的を忘れ、そこへ至る手段に固執しておる様に見える」
「心に留めておきます」
「なら良いがの……」
そのまま軽は寝入ってしまい話は終わった。
そしてその三ヶ月後、軽は崩御した。
(つづきます)
孝徳天皇の在位中に遣唐使は2回派遣されました。
三十年ぶりとなる第二回の遣唐使(白雉四年)と、その九ヶ月の第三回遣唐使(白雉五年)です。
何故か第二回の遣唐使は、船に乗っている大使の冠位が他に比べて妙に低かったり、ルートが違ったりして、不自然な派遣でした。
この様な理由から、中臣真人が乗った第二回遣唐使は別の目的で派遣されたのでは無いかという説があります。




