後宮での職場生活初日
古代基準の生活はなかなかクセがあります。
宴での舞とドローンショーを(?)終えて、私は急いでお部屋へと戻りました。
有難い事に仲間の舞子さん達は建クンのために饅頭と焼菓子を一人一人少しずつ持って来てくれていました。
待ち時間が長かったので、携帯食の持ち込みが許可されていたみたいです。
持つべきものは姉妹弟子ですね。
共に萬田先生にシゴかれた稽古仲間です。
クリ○ンとゴク○みたいな?
これだけあればあと二日間は保ちます。
建クンも全く食べられない訳ではなく、例えば焼き魚の骨をとって身を解したものは食べられます。
私の食事の分を分けてあれば半食分くらいににはなるはず。
それにしましても、まさか国で一番恵まれた場所で飢餓と闘うことになるとは……。
部屋に戻ると建クンは一生懸命に起きていました。
しかし饅頭を一つあげると美味しそうに食べて、そのままおネムの世界へと堕ちていきました。
おやすみなさい♪
「今日は遅くまで建皇子様のお世話をありがとうございました。
ゆっくり休んで下さい」
「はい、でもかぐや様。
私達雑司女に丁寧な言葉は不要ですよ」
「私は自分がそんな身分の者では無いと思っていますし、丁寧な言葉の方が楽なので気にしないで下さいな」
とても優しそうで、物腰の柔らかな人達で助かります。
このままずっとここに居てくれると助かりますが、そうはいかないでしょう。
お爺さんへの連絡で、建クンの相手をするから優しい人を希望って書いておけば良かったと後悔しても遅いですね。
でも性格が捻くれている人をわざわざ寄越さないでしょう。(旗)
私も身体を拭いて、お着替えをして、横になりました。
◇◇◇◇◇
翌朝。
今日は一月二日です。
三が日といえば、駅伝観て、おコタに座って元日に届いた分厚い新聞読んで、ボーとするのが昭和から続く伝統的なお正月の過ごし方です。
しかしこの時代の人に休みという概念は希薄です。
そもそも後宮が帝の身の回りのお世話をするためにあるのだから、帝がいらっしゃる限り基本的に年中無休です。
もしかしたらシフト制なのかも知れませんが、まだ職場へ行っていませんので分かりません。
そう言えば出勤初日に挨拶らしい挨拶もしませんでしたし、社員教育らしい事をする様子もありません。
いわゆるOJT(オンザ ジョブ トレーニング)でしょうか?
もしかしたらOJJT(オンザ ジョブ 自主トレーニング)になりそうな気がしてなりません。
何はともあれ、冬なのでまだ薄暗い時間ですが職場へと行く事にしました。
古代の朝は早いのです。
もちろん建クンも一緒です。
手を繋いで一昨日案内された書司の場所へと向かいました。
そこには尚書の千代様がいらっしゃいました。
「あら、かぐやさん。早いのね」
「勝手が分かりませんでしたので、とりあえず来てみました」
「書司では日の出前に来られる方はいませんね。
膳司や闈司は、朝番、夕番、夜番の三交代でやっていますが、他はもう少しゆっくりです」
「ではいつまでお仕事なりますか?」
「そうですね。
正午に鐘が鳴りますので、大体それまでがお仕事です」
「そうしますと夏と冬とでだいぶ違うと思いますけど?」
「別に構いませんよ。
明かりがなければ仕事になりませんもの」
どうやら時間という概念すらも希薄みたいです。
江戸時代に使われていた和時計ですら夏時間と冬時間とで違っていましたから、古代の人はもっと無頓着だったのでしょう。
もしかしたら現代人が年中時間に正確すぎるだけなのかも知れません。
「しかしかぐやさんは皇子様のお世話をしなければなりませんし、皇子様が居られてはここは危のう御座いますので、別の場所でお仕事をして頂く事になると思います。
それに帝からは別件のお仕事を賜ると伺っておりますので、支障がない様にしませんと」
「ご配慮頂きありがとうございます。
それでは皆様がいらしたら頃を見計らってご挨拶に参ります」
「そうね。
でも無理はしないで。
昨夜は舞を披露されたのですから、お疲れでしょう?
とても壮大な光景でした」
「ご覧になられていたのですか?」
「ええ、司の長官は皆招待されていたのですよ。
あんなに素晴らしい物を拝見できるなんて思いも寄りませんでした」
「私は一心不乱に舞をご披露しただけですので……」
「それだけで神様が降臨なされるなんてあり得ません。
皆さんは口々にかぐやさんの舞を絶賛していましたよ」
「きっと帝の念いが神に通じたのだと思います。
私の舞の最中は何も起こりませんでしたから」
「そうかも知れませんが、その様なことが起こったのはかぐやさんの舞の後だけですからね」
「いえ、帝への祝福を我がものにする様な事は出来ませんのでご勘弁下さい」
「そうね。
かぐやさんがそう言うのならそうなのでしょう。
そういえば、明日の正午にお堂に集まり、帝からお言葉を賜ります。
お忘れなきよう」
「承りました」
ひとまずお部屋に戻りましたら、雑司女の二人も姿を見せていました。
「おはようございます。
本日は終日この部屋におりますが、後ほど私一人で書司へ挨拶に参りますので、その間、皇子様を宜しくお願いします」
「「はい」」
まずは建クンの朝食です。
建クンは昨日舞子さん達が届けてくれた饅頭を頬張ります。
私達は普通の朝食ですが、今までの食生活が恵まれ過ぎていたので少し侘しく感じます。
忌部の宮でも建クンが食べられる物を探し求めて、現代知識を使ってガンガンと食生活を改善しましたので、施術所に負けないくらい品質が高いです。
しかしその恩恵は後宮にまでは及んでおらず、典型的な古代メシです。
◇◇◇◇◇
およそ巳の刻になりましたので先ほど行った書司へ再び向かいました。
行ってみると皆さん揃っているらしく、着席して仕事をしております。
「かぐやさん、お待ちしておりました。
皆さん、こちらは赫夜郎女様です。
この一年、かぐや殿は飛鳥に残っていましたので皆さんと顔を合わせる機会がありませんでしたが、本年から後宮に入る事になりました」
「讃岐評造の娘、かぐやと申します。
どうぞ良しなに」
皆さん軽く会釈します。
ひーふーみー……千代様と私を入れて全員で七人。
長官、次官の役職と、女嬬五人です。
司と言うには本当に少ないです。
殆どの人が私が入る事に好意的に見えます。
しかし次官の玉さんだけは少し突っかかる感じがしました。
「舞が得意なら舞師になればいいのでは?」とか。
「帝の覚えが宜しくて羨ましいですわ」とか。
「ここは子供の遊び場ではないから皇子様には近寄らせない様にして」とか。
何処となくトゲトゲしています。
もっとも女性だけの職場が必ずしも円満でない事は現代でも同じですので、気にしたら負けです。
むしろ千代様がホワイトな考えの持ち主で、上司に恵まれたのは幸いでした。
そして翌日。
広間に後宮の官人が一斉に集まります。
「楽にせよ。
昨年は年明け早々の火災のせいで皆に苦労を掛けた。
一年もの間、我慢してくれた皆の者に感謝する」
帝の言葉に全員が頭を下げ、帝の言葉に応えました。
「さて、今年は新年早々神がこの宮へ降りた。
正に吉兆じゃ。
皆の更なる精進を望む」
お忙しい帝なのであっさりとした挨拶で終わりかな?
……と思った次の瞬間、爆弾が落ちました。
ちゅどーん!
「さて、此度の吉兆に際して貢献著しい赫夜郎女には典書(※書司の次官)への昇進を命ずる。
以上じゃ」
皆さんの視線が一斉に私に向きます。
チクチクどころではありません。
グサッ、グサッ、グッサリ〜と斬りつけられて刺し貫かれる様な視線です。
前途多難な後宮生活の始まりです。
日本書紀によりますと、孝徳帝が礼法を定めたとあります。
その中で宮中の業務について以下の様に記されています。
「寅の刻(4時)に南門の外に整列して、日が出てから政庁へ入り、執務を行うべし。
遅刻した者は入ることはできない。
午の刻(12時)鐘を鳴らし、帰宅せよ」
実際にこの通りにしたのかは不明ですが、灯りのない生活でしたので夜明けと共に仕事をしてお昼にはその日の労働を終え、日暮れには就寝というのが標準的だったみたいです。
食料が乏しかったので、現代人並みに働くだけのエネルギーが足りなかったという説もあります。




