後飛鳥岡本宮
柿と杮が違う字だと初めて知りました。
この一年、予想しない事ばかりでした。
後宮に入る事も予想外でしたが、入内のタイミングで宮が消失するなんて思いませんでした。
この時代の消防設備は貧弱なので一度ボヤが発生したら燃え尽きるまで打つ手がありません。
なので、火事は地震や雷と同じくらいの回避不可能な自然現象みたいなものです。
オヤヂが同列かは分かりませんが……。
唯一と言っていい例外は川原宮です。
これまで皇太子がいらっしゃる川原宮には出来るだけ近づかない様にしていましたが、お爺さんの冠位の叙勲の時に初めて中に入りました。
壁は白い土壁で、至る所に水桶が置いてあり、防火がしっかりしていました。
そして一番驚いたのは水時計があった事です。
漏刻と言うのだそうです。
何でも中臣様の肝煎りで、川原宮が建設中の時から水路を引いて唐の書に記載された漏刻の再現を試みていたそうです。
(※詳細は第186話『【幕間】鎌足の焦燥・・・(8)』をご参照下さい)
中臣様の事ですので火災対策を兼ねていたとは思いますが、この時代の人は時間という概念が曖昧な中で時計を作ろうとするのはやはり先見の明がある方なのだと思います。
その影響もあって、消失した板蓋宮に代わる新しい宮・岡本宮にも水路を引いて漏刻を作るとか。
この時代の灌漑工事は建設も測量も技術が未熟なため大変でしたが、大量の石を敷き詰めて水路を引いたそうです。
私が何故この様なことを考えているかと言うと、私は今、岡本宮に居るからです。
今日は下見とこれからの生活場となる後宮の見学に来ました。
紅音様と千代様もご一緒です。
岡本宮は新年早々に杮落としとなるそうです。
劇場を新規開場するのを杮落としと言いますが、正にそれ。
宴の演目に私の舞がしっかりと挙げられております。
しかも一番最後、トリさんです。
♪ トリよ〜 トリよ〜 トリ達よ〜 ♪
つまり一年前の即位の儀と同じ舞を期待されている訳です。
ご丁寧に真っ暗くなる時間帯に私の出番が用意されております。
光の人を呼び出す事を前提にしておりますね。
しかし……、全く同じ舞では多分ダメでしょう。
超絶格闘技漫画の物語みたく戦闘力が止め度もなくインフレーションを起こす様に、私の舞もバージョンアップを求められているはず。
次はどの様にして観客の意表を突こうかとネタを考える手品師か漫画家さんの様な気分です。
(もっとも手品師さんのネタは売買されている様ですが)
かぐや、心の詩。
『 変わり映えしなくたっていいじゃない。だって人間だもの』
マギー審司が心のお師匠さんです。
もう一つ、乗り気でない理由はせっかく練習した舞そのものを観て頂きたいという純粋な舞師としてのプライドがあります。
二ヶ月間、お爺さんの国造降格騒動の間も萬田先生の厳しい稽古は休みなく続けられました。
おかげで即位の儀の時よりも上達した実感があります。
それなのに光の人目当ての見せ物扱いなのは少しやるせない気持ちです。
◇◇◇◇◇
「一晩だけご厄介になるつもりが一年もの長い間お世話になりまして、大変恐縮に御座いました。
氏上様の佐賀斯様をはじめ、皆さんに良くして下さってありがとうございました」
「かぐや殿がこの宮に滞在して下さったことは我々にとって誉であります。
そんな、恐縮だなんてとんでもない。
まだまだ滞在して頂いても構わないのですが、帝にお仕えするお仕事がありますのでお引き止めできない事が残念でなりません。
こちらこそお礼を言わせて下さい。
ありがとう御座いました」
「姫様、後宮でもお仕事お励み下さい。
でも頑張り過ぎず、ほどほどに願います」
「秋田様、任せて下さい。
精一杯頑張りますので」
「姫様、私は観られませんが、明日の舞を楽しみにしております」
「萬田先生、(厳しい)稽古をつけて下さりありがとう御座いました。
(やっと解放された)気持ちを込めて、精一杯舞ます」
「かぐやさま、いままでお勉強をみていただきありがとうございました」
「小首様もお元気で。
お勉強に励んで下さいね」
大晦日の朝、私は1年間お世話になった忌部の皆さんに見送られて、岡本宮へと行くことになりました。
明日は新年の儀と岡本宮の完成を祝う宴です。
宴の最後に忌部の舞子さん達と合流して大勢の前で舞を披露します。
でも私が忌部の皆さんと共に舞うのはしばらく無いので、これがおそらく最後の舞になるのではないでしょうか?
年が明ければ私は後宮の采女として帝に仕え、書司の女嬬として働く毎日になるはずです。
帝と共に外へ出るとなれば、舞を披露する機会は益々減るでしょう。
これまでの感謝の気持ちを込めて精一杯舞いたいと決意を新たにするのでした。
「それでは建クン、参りましょう」
私は建クンと共に岡本宮の門を潜りました。
真新しいけど難波宮に比べればコンパクトな感じの宮です。
あちこちに張り巡らされた水路は火災で消失した板蓋宮の二の舞を踏まないという決意が感じられます。
そして最奥にある後宮へと歩を進めます。
難波へ行っていた官人の方々は戻ってきていて、後宮と外界を隔てる闈門の前では闈司の方が門を守っていました。
ここから先はいよいよ後の世で言う帝のハーレム空間、後宮です。
現代の感覚ですと、帝の住まう宮は様々な施設があって歩いて回るだけで道に迷いそうな印象がありますが、岡本宮はこの時代では最先端とはいえ、そこまで豪華絢爛、万華繚乱、綾羅錦繍ではありません。
この時代の人の意識がまだそこまで成熟していないか、或いは技術が追い付いていないのか、或いは単に予算不足か、またまた全部か? いずれかの理由によるかと思います。
はっきり言えば狭く感じます。
岡本宮全体は大学のキャンパスを連想させる程の広さですが、この中に無駄に広い政務機能や祭場、帝のお住まいなどを全部押し込めると、采女の居住区はタコ部屋かも知れません。
水回りも貧弱でお風呂に不自由する生活は少々憂鬱な気持ちになります。
◇◇◇◇◇
内侍司の千代様に案内されて通された場所は……個室?
「ここは?」
「ここがかぐやさんのお部屋です。
正しくは建皇子様のお部屋で、世話係としてかぐやさんがここに住み込みとなります」
え?
確かに建クンは皇子様だから個室なのは分かるけど、これって同棲?
人生二度目の同棲です。
どうしましょう?!
「これは問題とはなりませんか?」
「ええ、少々物議を醸し出しております。
ですが建皇子様の事情を鑑みたら、せめて幼いうちは心を許しているかぐやさんを引き離すのは宜しくないと言う事で認められました。
少なくともあと一年は許されるはずです。
しかし建皇子様が七歳になりましたら、采女との同室は認められなくなると思います」
ああ、いわゆる『男女七歳にして席を同じゅうせず』ってヤツですね。
建クンは明日の正月で六歳になるので本当にあと一年です。
大丈夫かな?
その時は帝に相談しましょう。
「しかし、二人きりと言うのは外聞が悪すぎますので雑司女を二人置きます。
出来ましたら、かぐやさんの国許から派遣して下さい。
それまではこちらで用意します」
残念、二人きりの甘い生活はお預けです。
「承りました。
早々に便りを出します」
後で知ったのですが、本当は初日に雑司女を引き連れて入るのだそうです。
色々とあり過ぎてすっかり失念しておりました。(私も千代様も)
しかし雑司女かぁ。
八十女さんは子育ての真っ最中だし、憂髪さんも出産して一児の母です。
誰か候補者になりそうな人は居たかな?
とりあえず、木簡に用件を書いて、讃岐へ持って行って貰いました。
お爺さん、お願いします。
さて、明日は新年の儀。
そして私の最後の舞です。
舞台では、
普通の女の子に戻りたい! ……ってなるのかな?
【天の声】知っている人を探す方が難しいネタだぞ。
今回は岡本宮のご紹介だけでいっぱいになってしまいました。
直近の舒明天皇(※斉明天皇の夫)からの宮の変遷だけでも、
飛鳥岡本宮(焼失)→田中宮(仮宮)→ 厩坂宮→ 百済宮→飛鳥板蓋宮→難波宮→飛鳥板蓋宮(焼失)→川原宮(仮宮)→後飛鳥岡本宮→……
とコロコロ変わっており、本作上の歴史は五番目の板蓋宮からスタートしております。
板蓋宮は中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を討った乙巳の変の舞台にもなった場所ですね。
しかし後の藤原京や平城京に比べると飛鳥の宮の規模はかなり小さい宮ですので、平安貴族物に比べるとだいぶイメージが違うかと思います。




