斉明帝の吐露
心の葛藤というのをつながりの良い文章にするのが不得手なため、本話の執筆はかなり難しかったです。
アラが見つかればその都度修正を入れます。
(※前々話、前話に引き続きます)
建クンは普段あり得ない感情の起伏のためダウンしてしまい、寝室に着くまでに寝ついてしまいました。
先程まで建クンが横たわっていたお布団に建クンをそっと下ろすと、帝は建クンが寒くない様にと掛け布団を優しく、隙間なく掛けてあげます。
先程までの厳しい表情とは打って変わって、優しいお祖母様がそこにいます。
帝は一緒に付いてきた御付きの方に蜜蝋の蝋燭を置いて部屋を出る様に指示しました。
私はどうすればいいか迷っていると帝から、
「かぐやよ、少し話を聞いてくれや」
と引き止められましたので、部屋には建クンと帝と私の三人だけです。
「ほんに可愛い子よのぅ」
帝がポツリと言います。
「婆ぁとて分かっておった。
たかが子供の絵を破いただけで命を取るなぞ行き過ぎじゃと。
じゃが、我慢がならなかった」
「無理も無いかと思います」
「少し脅せば泣いて詫びるだろう。
そう思い問い詰めたが、あの悪童は自分の事を棚に上げ、建が悪いと言いよった。
母親も母親で、婆ぁのこれまでの苦労を踏み躙る様な言葉を吐きよる。
我慢は婆ぁの得意のハズじゃったが、流石に堪え切れなかったわ」
「私も同意に御座います」
「ふふふふ、其方もそうじゃったか。
じゃが、あの悪童の首を刎ねておったら婆ぁは後悔しておったじゃろう。
建には救われたわい」
「私も帝をお止めする言葉が見つかりませんでした。
まさかあそこまでとは……」
「そうじゃな。
それにもう一つ、ここへ来る前の出来事が心に過ったのじゃ」
「何かあったのですか?」
「建はな、婆ぁの孫であるがその前に葛城の子じゃ。
だからここに来る前、葛城に聞いたのじゃ。
建を虐めた童をどうするかとな。
そうしたら
『どうせ建が何も喋らぬのが悪いのだろう。
これを機に同じ年頃の子と交わる様にすれば良い。
そうすれば此度の件なぞ気にも留める事でないと分かるだろう』
と言ったのじゃ」
「そんな、もう少し心配されても宜しいのでは?」
仄暗い蝋燭の灯りに照らされた帝は悲しそうな顔でお答えになりました。
「そもそも葛城は建の事を自分の子と見なしておらぬのじゃ。
長子の大友皇子が住む近江へ行った時、そこな娘と戯れに出来たのが建なのじゃ。
婆ぁも建の母親を見た事はない」
「だからと申しましても……」
「葛城は建が喋らぬのも庶民の血が混じっているからと言うのじゃ。
尊い血が薄いから精神が弱い、本当は喋れるのに話をしようとせぬのは心の弱さ故だとな」
「その様な事は御座いません」
「そうじゃな、……そうじゃと信じたい。
しかし赤子の時は声をあげていたのじゃ。
本来、声は出るのじゃ。
じゃが滅多な事で話さぬ。
もののけの仕業かと思い、祈祷をした事もある。
幾度もな」
「お気持ちは……お察し致します」
「普通の子供が当たり前に出来ることが建には出来ぬ。
何故出来ぬのじゃ? ……そう悩んだ事は数限りない。
婆ぁはあの悪童が羨ましくもあったのじゃろう。
建が当たり前の様に他の子供と遊び、戯れ、婆ぁに悪戯をして叱られ、女子に興味を持ち頬を赤らめ、まばゆい将来を夢見る日が来ぬのかと、な」
「………」
「かぐやよ、其方は建の啞が治るのかが分かるかや?
其方の知恵に縋れるのなら縋りたいのじゃ」
私も出来る事があるのならしてあげたい。
だけど……。
「正直に申します。
おそらく一生治らないと思います」
「!!!!」
「しかし、訓練によって普通の大人を演じる事なら可能かも知れません」
「どうゆう事じゃ?」
「建皇子は出来ない事がたくさんあります。
帝の仰るごく普通の事が、です。
その出来ない事を一つ一つ、丁寧に対応できる様にしていき、大人になるまでに表向きは普通の人の様に振る舞える様に訓練するのですl
「それは可能なのかや?」
「申し訳ありません。
分かりません。
とても根気のいる作業です。
けれども決して焦ってはいけません。
一日一つずつ、もしかしたら一月に一つかも知れませんが、出来ない事をゆっくり丁寧に出来る様に誘導して差し上げるのです。
全部できる様になる必要はありません。
食事の好き嫌いくらいでしたら出来なくても一向に構わないのです」
「ホンにかぐやは厳しいのう。
もう少しおべんちゃらを言っても良いのじゃぞ。
だからこそ其方は信じられるのじゃがな」
「おべんちゃらでは御座いませんが、悲観する事ばかりでは御座いません」
「何かあるのかや?」
「建皇子は感情を表に出す事が苦手なので、精神までもが未発達では無いかと思われがちです。
しかしそれは違います。
建皇子はご自分を虐めた御幸殿を許すという心の広さを示しました。
建皇子の精神は健やかに育っているのです。
心までもが不自由では決して無いのです」
「そうなのか……。
そうなんじゃ。
そう、そうなのじゃ。
建は……」
帝の目から涙が溢れます。
私はスッと懐の手拭いを差し出しました。
「かぐやよ……、其方がおって良かった」
「勿体無い言葉に御座います」
◇◇◇◇◇
帝が帰りになり、さて私達も……と屋敷に戻りましたら、中に大海人皇子様がいらっしゃいました。
どうして?
「かぐやよ、相変わらず忙しそうだな」
「まさかまだお残りになられているとは思いませんでした」
「一応、あの二人をどうするか、知っておいた方が良かろう」
「もう決まったのですか?」
「一方的に決めたのだよ」
「どの様にされたのでしょう?」
「御幸というあの悪童は馬来田の元で一から教育する事にした。
今日からだ。
母親は地元の摂津に連れて行き、幽閉にすると、馬来田は言っておる。
あの様子だと、どこまで遠くへ追いやっても息子に会いに来るだろう」
「少し厳しい気もしますが、やむを得ません。
あれほど帝の怒りを買ってしまわれたのですから」
「ああ、母上はおっかないだろ?」
「ええ、しかし情が深い故の怒りです。
それにしましても、何故皇子様は此度の件でそこまで手を貸して下さるのですか?」
「無論、私自身のためだ。
大伴長徳殿の嫡男の命を救い、手元に置いておくのだ。
将来の氏上を配下にすれば、大伴氏は私の傘下にならざるを得まい」
なるほど。
「流石で御座います」
「私も来る日のために派閥工作をしていくつもりだ」
「皇子様は準備を着々と進めているのですね」
「ああ」
「申し遅れましたが、書司への士官を推薦して下さいましてありがとう御座いました」
「感謝されているのなら何よりだ」
「あんな昔の事をよく覚えてらしましたね」
「ああ、其方の印象は強烈だったからな。
よく覚えているよ。
其方の残念さと共にな」
「少しは成長しているつもりではあるのです」
「まあ、其方を母上の手元に残せておけたのは行幸だった。
これからも母上の事を宜しく頼む」
「はい、命に変えましても」
「頼もしい限りだ。
ではいずれまた会おう」
こうして皇子様もお帰りになりました。
建クンの事はこれからも大変な事は多いだろうけど、帝のため、建クンのため、そして私自身のため、頑張ろうと心に誓うのでした。
建皇子の母親は、先の左大臣・蘇我倉山田石川麻呂の娘である遠智娘となっております。
しかし蘇我倉山田石川麻呂が亡くなったのが649年。
その父親を死に至らしめた首謀者が中大兄皇子であり、遠智娘はその斬り落された首を見て狂死してしまったという話が残っています。
建皇子の生誕は651年。
つまり建皇子の母親が遠智娘ではあり得ず、違う誰かではないかと言われております。
その母親候補として先帝・孝徳の皇后であり、中大兄皇子の実の妹である間人皇女を挙げる説が根強くあり、近親相◯の結果、建皇子は聾唖であったという根拠にもされています。(ひどっ!)
本作では母親はどちらでも無いとしました。
間人皇女が子供を産んだら、その子は孝徳帝の子供であり、父親が中大兄皇子だという確証なんて遺伝子検査でもしない限り無いはずですから。




