オレ様、再び×2
強引過ぎる理屈に悩んでおりますが、破綻はしてませんよね?
皇太子がいきなり言った『額田様の人脈を譲れ』とは、まさかアレなのでは?!
私は全身の毛穴が逆立つ感覚を覚えました。
古文を勉強した事がある者にとってすごく有名な出来事です。
それが今だなんて。
……まさか本当に?
「兄上、人脈を譲るとは如何すれば宜しいのでしょうか?
一人一人ご紹介すれば良いのでしょうか?」
「流石にその様な面倒な事は出来ぬ。
私は飛鳥の婦女子が集まる“場”というものが気になっておるのだ」
「”場“ですか?」
段々と皇太子が核心へと近づいていきます。
悪い予感が外れて欲しいと思いつつも、話に割り込む事が出来ずにいます。
「此度の遷都では施術所が情報交換の中心となったと聞く。
鎌子の妃、与志古殿も世話になったそうで、大海人には感謝しているそうだ。
そうだな、鎌子よ」
「難波から飛鳥への千人を越す者達の移動を支障無く済ます事が出来た裏には難波の施術所の存在抜きには考えられなかった、と与志古より聞きました。
一同を代表して感謝申し上げます」
中臣様も皇太子が何を言うつもりなのかを知っていて仰っているのでしょうか?
「あ、いや。
それはかぐやが幼き頃より世話になった恩人への恩返しとして手伝ったのだ。
大仰に捉えなくてもよい」
「大伴氏挙げての支援を受けながら何も返礼をしないのは、些か都合が宜しくないと思われます。
何かしらの報奨を用意すべきかと考えております」
「それならば大伴馬来田らにはそう伝えておこう。
中臣殿とは知らぬ中では無いだろう」
「ええ、馬来田とは従兄弟同士ですし、先の左大臣大伴長徳は馬来田の兄でもあり、懇意にしていた仲です」
「そうだ。
飛鳥へと赴いた者らは相応の役職に就いた。
それを支援した者らに報いるのは当然だ。
かぐやよ、其方の父も同じく報われるべきだな。
あれだけの大掛かりな屋敷の数々、いや街を造るのに尽力したのだ。
その出資者に何も報酬を与えなかったら、私が施政者としての資質を問われる」
「有難き事に御座います」
「そして施術所の所有者は大海人であろう」
「ええ、単に所有者として私の名を貸している様なもので、額田の好きにさせているだけです」
皇子様、それNGワード!
「つまり施術所の実質の主は額田殿という訳だ。
母上と間人が通い詰め、高官どもの妃が通い、今後は私の后も通う場だ。
今や額田殿は飛鳥の婦女子の中心にいると言って良かろう」
「つまり施術所の所有を兄上に譲れば宜しいのでしょうか?」
「屋敷だけ譲られても中身が共わなければ意味は無かろう。
私が欲しいのは人脈なのだ」
ああ、お願い。
この先は言わないで!
「額田殿と施術所を丸ごとだ。
無論、かぐやを含め運営する者達全てだ」
!!!!
「それはつまり、額田を兄上に譲るという事ですか!?」
「不本意であるが、そう捉えられてしまうのは仕方がない。
だがこの世の半分が男で、残り半分は女子だ。
男の世界で私が頂点にいるという自覚はある。
しかし女子の世界で頂点にいるのは私の后ではなく、其方の妃の額田殿だ。
額田殿の人脈がこの先、無視出来ぬ脅威になる事を私は懸念しておるのだ」
「だからと言って……」
「すまぬな、大海人よ。
先程も言ったであろう。
高齢の母上には無理はさせられないと。
もう身内同士で争う姿を母上に見せたく無いのだ。
私としても仲睦まじい其方らに横恋慕するつもりはない。
其方に叛逆の意思が無いことは重々承知している。
それを分かりやすい形で示して欲しいのだよ」
それらしい事を言っていますが、
『お前の妻を俺に寄越せ』
と言っている事に変わりはありません。
「しかしそれはあまりにも……」
「昨日、母上から額田殿と十市を引き離さないで欲しいと承った。
私もその気持ちを最大限に尊重したい。
額田殿と十市皇女を決して離れ離れにはせぬ。
約束しよう」
「十市も、ですか……」
「以前から私は兄として助言をしたいと思っていたのだ。
其方は妻を増やし、もっと子を成せ。
母に続き私が道半ばで倒れたら頼るのは其方しか居らぬのだ。
血筋が絶える事は避けなければならぬ。
十市皇女を引き取りたいのも私の息子と幼いうちから仲睦まじい仲になり、我々の血脈を残すためだ」
「私には額田以外に女性は考えられません」
「庶民ならばそれも良かろう。
だが我々は皇族だ。
これは兄として、将来の皇弟となる其方への頼みでもある。
私の妃を二人譲ろう。
ニ対一だ。
これならば私が譲歩する形になろう」
一体何を言っているのよ!
この人は?!
「葛城様、大海人皇子様はあまりに急な話のため混乱されております。
少々、暇が必要かと存じます」
中臣様のフォローが入りますが、基本的に反対はしていません。
防波堤としての役割を果たしていないご様子です。
「そうか?
だが私の考えは変わらぬ。
次会う時は色良い返事を待っているぞ」
そう言い残し、皇太子は去って行きました。
残されたのはキョトンとした表情の十市皇女と憔悴しきった皇子様、額田様のお二人でした。
「兄上は一体……」
「どうしてこんな事に……」
私は掛ける言葉もありません。
しかし幼い十市皇女様は様子がおかしい事に段々を不安になり、泣き出してしまいました。
「うわぁぁぁぁん、ははうえ〜」
「あぁ、ごめんね。イっちゃん。
ごめんなさい、失礼するわ」
額田様は十市皇女様を抱き抱えて走り去ってしまいました。
「……すまぬな、かぐやよ。
とんだ迸りで。
私には兄上が分からなくなってきたよ」
ポツリと皇子様が溢しました。
「謝るのは私の方に御座います。
注意されていたのにこの体たらくで情け無い気持ちです」
「……注意とは母上にか?」
「孝徳帝です」
「其方は叔父上と話をしたのか?!」
「はい、後宮の荷運びの手伝いを仰せつかった時、帝が雑司女のお部屋にやって来て見つかってしまいました」
「何もされなかったのか?」
「暇だから話に付き合えと申されました」
「何故、叔父上が其方に注意するのだ?」
「帝は皇太子様をとても警戒されておりました。
ご自身の皇子様の事をとても案じており、私にも皇子様をお守りせよと注意を受けました」
「叔父上からすれば私は憎き裏切り者でなかったのか?」
「その様なご様子は御座いませんでした」
「本当か?
其方が何か言ったのか?」
「皇子様の事を聞かれました時、『素晴らしい方』と答えましたら、世辞はよせと叱られました」
「当たり前だ」
「なので『懐の深き傑物です』と正直に答えました」
「何だ、それは?
叔父上はお怒りにならなかったのか?」
「幼い時から聡明な子だったと嬉しそうに仰いました」
「そうなのか……、私が嫌われて無かったのは意外だったな。
それが何故、兄上に気を付けろとなるのだ?」
「同じ様に皇太子様のご印象を質問され、あくまで推測と断った上で『心に傷をお持ちに見える』と答えましたところ、甚く賛同されました」
「心の傷とは、一体何なのだ」
「申し訳御座いません。
帝は皇太子様の重大な秘密か何かをご様子でしたが、最後までお話しされませんでした。
しかしその心の傷、心に穿かれた太い杭の如き物が、皇太子様を突き動かしているとの事でした。
それ故に心の安寧のためにどの様な非情を厭わない阿修羅の様だと、帝は仰ってました」
「それで其方に私を守れと申されたのか?」
「はい」
本当は真人クンも守ってくれと言われましたが、それは内緒です。
「では叔父上は何か方法はないか仰っていなかったか?」
「ただ一言、『逃げよ』と」
「それだけか?」
「はい、私もそれしか無いかと思われます」
「では私と額田は逃げるしか無いのか?」
「逃げる際には私も全力でご支援致します。
反撃するのなら微力ですがお力添え致します。
ですが前準備なしで逃げるのも、反撃するのも愚策かと思われます。
少なくとも中臣様は既に手を打っている筈です。
必ず勝つ方法を考えた上で行動すべきかと進言致します」
「生意気な。
だが確かに何も知らず、何も備えがなく行動すれば、兄上と中臣殿を出し抜く事は叶うまい。
其方はまず何をすべきと思うか?」
「先の遷都の際、中臣様の派閥を知る事が出来ました。
ですのでそれ以外で皇子様の派閥を作る事が肝要かと思います」
「気の長い話だな」
「争ったところで若過ぎる皇子様が帝になれる訳では御座いません。
争いは収束しません。
向こう十年の間に、国内外でさまざまな事件、動乱が起こると予想します。
それは皇太子様が引き起こす、もしくは引き起こす事を厭わないご性格によります。
その反発を集め、味方を増やす事です」
「言うは易いが、とんでもなく困難な道のりだな。
其方は私に兄上と争い、兄上の二の前になれと言うのか?」
「皇太子様も元は理想に向けて行動されていた筈です。
なのに理想に向けた手段が元の目的と入れ替わったから今の様になったと愚行します。
その様を見、同じ道を歩まぬ自制心こそが道標となるでしょう」
「そうか……。
私も従順な弟である事を辞めねばならぬかもな」
「皇子様は外面が宜しいので当面は誤魔化せると思います」
「ああ、全然褒めておらぬな。
だが心は決まった。
全てを受け入れるわけにはいかぬ故、母上に相談してくる」
そう言って皇子様は皇祖母様のところへと向かいました。
いよいよ大海人皇子 vs 中大兄皇子の対立が始まりました。
知っている人は皆知っていますが、中大兄皇子は大海人皇子の姉さん女房だった額田王を横取りした話はとても有名な話です。
中大兄皇子と大海人皇子と額田王の三角関係が後々の騒乱に繋がったという説が根強くあるくらいです。




