【幕間】鎌足の焦燥・・・(11)
第195話『遣唐使船、発進!』にて、遣唐使の船が出発する際の裏側です。
※前話に引き続き鎌足様視点のお話です。
私の予想に反し、真人は何の躊躇いも無く唐へ行くと言った。
むしろ行かなければならない覚悟を持っていた様にも思えた。
与志古の話では、成長著しいかぐやを見て焦りのようなモノを感じているのだそうだ。
私には無縁だった感情だが、もし私が真人の立場だったら……やはり忸怩たる思いをしただろう。
今の私ですら、あの娘に敵わないと思わせる事があるのだ。
そのくせ自身の実力を過小評価している訳の分からぬ娘だ。
真人も規格外な娘に掘れてしまったものだ。
だが自らを奮い立たせ、惚れた女子に相応しくあろうとする姿は喜ばしくもある。
◇◇◇◇◇
数日後、川原の宮へと戻った私に来客があった。
物部宇麻乃だ。
「中臣様、折り入ってお願いしたい事が御座います」
「どうした? 休みが欲しくなったのか?」
「いえ、少々真面目な話です。
息子の麻呂より真人様が唐へと渡ると聞きましたが、それは誠でしょうか?」
「ああ、相違無い」
「ならば麻呂も同行させて頂けませんでしょうか?」
「お前の息子をか?」
「はい、護衛でも下働きでも構いません」
宇麻乃の子煩悩は嫌と言うほど知っている。
その宇麻乃が危険な唐への渡航を願い出るのは何か理由がありそうだ。
「ここでは話がし難かろう。
場所を変えるか」
「はっ」
私達は私だけが入ることが許される部屋へと向かった。
部屋までの間、宇麻乃の言葉の真意を考えていた。
物部氏は特殊な氏族だ。
その昔、物部は出雲一円を支配し、皇族に匹敵する勢力を持っていたという。
物部氏は饒速日命を祖とする氏族だ。
そして饒速日命は呪詛の神でもある。
それ故に、中臣は占い、忌部は祭器作成、物部は呪術を担うのだ。
呪術とは穢れを払い、そして穢れを呼び込む術だ。
蘇我氏によって強制的に表舞台から退場させられた物部氏は、その呪術をもって陰に潜む氏族となった。
不審な死を遂げた者の裏には常に物部の影が付きまとうとまで言われる。
高官のである私も物部氏の特殊性は知っていた。
が、宇麻乃はその物部の中でも特に変わっていた。
穢れを恐れぬ故、どの様な禁忌をも恐れない。
なれば手段を選ばず確実な方法で事を成すのだ。
誅殺、毒殺、暗殺、事故、放火、何でもありだ。
権力を持つ者にとって便利な駒として重宝がられ、そして最も恐ろしい敵として忌み嫌われている。
しかし物部の特殊な教育を受けた宇麻乃は優秀なのだ。
人を見る観察眼が飛び抜けており、抜け目ない。
情報という形を持たぬ物に価値を見出せる数少ない者だ。
だから私は配下となった宇麻乃を衛部の長としてこき使った。
物部は相変わらず仄暗い仕事を依頼されている様だが私は一切関知していない。
倉山田の件でも宇麻乃の従兄弟である物部二田塩が汚れ仕事を押し付けられていた。
自決した石川麻呂殿の首を切り落とし、葛城皇子に差し出したそうだ。
葛城皇子の妃の一人、倉山田殿の娘がその首を見てしまい、気の毒な事に狂死したと聞く。
息子も同じ道を歩むのだと思っていたのだが、唐へ渡らせたいという事は何を望んでいるのだろうか?
部屋に入り宇麻乃から話の続きを聞いた。
「一つ言っておくが此度の遣唐使は危険な航海になるぞ」
「存じております。
物部は私の代で終わりにします。
麻呂が唐から帰る頃には私はこの世に居ないでしょう。
麻呂には新たな名を授けて下さい」
「そこまで物部の名は嫌か?」
「人の心を持たねばどんなに楽な事か、と思います。
しかし麻呂は人の心を持つ真っ直ぐな子です。
おそらくは耐えられぬでしょう」
「一先ずは分かった。
だが物部の名は余りにも重い。
帝を始めとして皇族の忌むべき秘密を知る者達だからな。
簡単に外へとは出せまい。
名を伏せ、真人の付きの者としてならば渡航は可能だと思うがそれで良いか?」
「はっ、ご配慮頂き感謝申し上げます」
「易い事だ。
ただ、息子が帰るまで其方は生きよ。
おそらく私の方が先にくたばっているだろう。
名を与える事は出来ぬやも知れん」
「そこは何とかお願いしますよ」
途端にいつもの宇麻乃の口調が戻ってきた。
「とりあえず船に乗る際の名を考えておけ。
名はその時が来たなら考えておこう。
それと見送りは出来ぬぞ。
赤の他人が手を振って見送っていたら拙かろう。
息子が次に讃岐を出る時、それが別れの時だ」
「御意」
「お互い因果な息子を持ってしまった様だな」
「それもこれも鎌足様が讃岐に離宮を建てたからです。
そうでなければこんなにも悩む事は無かったかも知れません」
「そうかも知れんな。
だが讃岐に離宮を建てたおかげで悩む事が出来ると思えば、悪くはない」
「同意に御座います」
こうして二人の子供達は唐へと渡ることになった。
◇◇◇◇◇
七月、天気も風も良く出発日和が訪れた。
遣唐使船の出発だ。
帝の肝煎りだけあって送迎の儀に出る面子も豪勢だ。
私も駆り出された。
息子が乗るのだから当然だが、葛城皇子はそうは思っていないだろう。
念の為、乗船する真人の目録を第一船と第二船とで逆にしておいた。
まさかとは思うが念の為だ。
後で戻せば良い。
宇麻乃は警備だ。
本職は衛部なのだから当然だ。
出席者まで矢が届く範囲に人を寄せ付けるぬよう徹底させた。
今生の別れになるかも知れぬ息子の見送りが出来ぬのは気の毒ではあるが致し方がない。
儀では従兄弟の中臣金が航海の安全を祈願して催事を取り行っていた。
その時、警備に当たっていた宇麻乃の姿が見えた。
あれ程言ったのに。
だがよく見ると、かぐやが一緒にいた。
連れてきたのか?
まあいい。
真人も私に見送られるよりも嬉しかろう。
振る手が明らかに大きくなっている。
風が吹き始め、いよいよ出発となった。
第一船、第二船の大使と副使にそれぞれ委任状を渡し、全員が船に乗り込むと綱が緩められ離岸した。
帆が風を受けゆっくりと進んで行く。
真人よ。
次に見える時、お前はどうなっておろうか?
私は生きているのか?
かぐやがお前を待ってくれるのか?
国は変わっているのか?
或いは全く変わっていないのか?
私に祈る神が居るのなら願うのはただ一つ。
無事で帰って来て欲しい。
それだけだ。
船が離れ小さくなると誰ともなくバラバラと津の船着き場を離れていった。
だが宇麻乃とかぐやはずっと見送っている。
私は其方へと寄り、声を掛けた。
「かぐやか。
見送りに来ていたのだな」
私に気がつき、姿勢を正してかぐやは答えた。
「差し出がましいと思いましたが、船が出る様子を見ていても立ってもいられなくなり、来てしまいました」
「いや、有難い。
真人に代わって礼を言う。
ところで宇麻乃よ。
周辺の警備にあたっていたのではなかったのか?」
「はい。
警備しておりましたところ、木の上から祭場に物を投げ入れそうな不審者を見つけましたのでひっ捕えました。
これから取り調べをします」
ふっ、苦しい言い訳だな。
おそらくかぐやが来る事を予想して先回りしたのだろう。
そしてかぐやなら何かしでかすとも。
「そうか……、程々にな」
形だけとはいえ取り調べは取り調べだ。
だがあまり人に聞かれたくない話になりそうだから、口出ししておくか。
「我が屋敷を使うと良い」
「はっ!」
その後、宇麻乃とかぐやがどの様な話をしたのかは知らぬが、付き物が落ちたかの様に宇麻乃は活気を取り戻した。
(幕間つづく)
物部氏は謎の多い氏族です。
日本史の教科書では、廃仏派の物部守屋が崇仏派の蘇我馬子との争いに負け、物部は滅んだとされていますが、あくまでそれは窮鼠の塊とも言える日本書紀にそう書かれていたからです。
古事記や日本書紀に書かれている物部の祖・饒速日命も謎大き神で、まるで物部氏の足跡を消去した痕跡すら窺えます。
その実、物部は皇族の正当性を揺るがす程にとんでもない力を持っていた豪族であった可能性も捨てきれません。




