【幕間】鎌足の焦燥・・・(10)
(作者が)お楽しみの幕間です。
※第210話『【幕間】鎌足の焦燥・・・(9)』の続きです。
いつもの様に、悩める中年・鎌足様視点のお話です。
大海人皇子の逆鱗に触れかねない葛城皇子の発言は、皇祖母様の取りなしによって一旦は保留された。
今後の禍根を最小限にできた事に心からホッとした。
しかし当の本人は全く気にも留めていない。
むしろ皇祖母様に不平を言っているくらいだ。
これは一度、話の擦り合わせをする必要がありそうだ。
「葛城様、現状のご報告に参りました」
「おお、鎌子か。切り崩し工作は順調か?」
川原にある居城とも言うべき宮の最奥で葛城皇子が白い布を羽織って座っている。
阿部倉橋御主人が献上した火乾布とも言うべき燃えない布だ。
火災にあって以来、心の傷痕が残っているらしく、この布を纏う事で心の平穏を保つ事ができている様子だ。
実際にこの布がある事で命が助かるかは分からぬが、葛城皇子の心の平穏には大いに役立っている。
「大方は順調ですが、一部遅れが御座います」
「遅れとは何だ?!」
「頑なな高官が何名かおり、何かにつけて私共の意見に反対しております。
計画の頓挫こそしておりませんが、障害となっている事になっているのは違い御座いません」
「分かった。
処分しよう。
やり方は任せる」
皇子が言う『処分』とは消せという意味だが、とりわけ最近の皇子からこの言葉を聞く様になった。
だが私はあえて曲解して連中を僻地へと追いやっている。
国造を廃して郡司とし、中央で反発するその者らを国宰(※後の国司)として派遣させるのだ。
反対する連中の言い分にも理があるのは分かっている。
そもそも改新の詔で定めた班田とは、その地を治めていた者達から土地を取り上げて、監督として据えるのだ。
連中に得など何一つもない。
圧倒的な力でこちらのいう事を聞かせるのだから、力のある者は反発するのは最初から分かっている。
特に筑紫国の者にその傾向は顕著だ。
不満を溜め込めばいずれ暴発するやも知れぬ。
国博士らに二代で滅んだ隋の滅亡までの経緯を調査させた事がある。
その結果、理由の一つは民衆の不満だった。
大工事を決行し、労役の負担に耐えられない民心が離れていき、対抗勢力に付け入る隙を与えたらしい。
加減を間違えると大火傷を負いかねない。
豪族という特権階級だけで国が出来ているのではないのだ。
そしてもう一つの理由が戦だ。
我が国も過去において戦はあった。
しかし隋の場合、戦う相手が高句麗だった。
国の存亡を賭けた戦というのは国を荒廃させる。
唐と高句麗、新羅は国は違えど地続きであるらしく、過去にも何度も大きな戦があった。
間違っても我々が連中の戦に巻き込まれる愚だけは犯してはならない。
その様な事は無いとは思うが、百済の王子が我が国にいる事がその可能性を示唆している。
私としては連中と手を切るか、朝貢のみの付き合いにするべきだと思っている。
今後は唐との付き合いが重要になるであろう。
軽(※孝徳帝の皇子時代の名)と同じ考えなのは癪だが、これだけは賛成だ。
だからと言って意味のない見栄の権化の様な灘波京の造成は度し難い事に変わりはないが……。
◇◇◇◇◇
軽の唐寄りの姿勢は20年ぶりの遣唐使として結実した。
無論私も賛同した。
葛城皇子には一点たりとも軽に功績を与えるなと言われたが、それを愚直に守っていたら葛城皇子が即位するまで待たねばならぬ。
遣唐使は美味しいのだ。
船はこちら持ちだが、唐での滞在費は全て向こう持ちだ。
朝貢の形式を取るが、軽が頭を下げれば良いだけだ。
私としては一向に構わぬ。
唐との圧倒的な技術、文化、政治の差を埋めるためには1隻でも多く船を送るべきなのだ。
出発は文月に決まった。
元旦にある唐の朝賀に確実に着くためだ。
残念なのは新羅と百済が争っているため寄港が難しい。
そこで今回は薩摩から奄美、阿児奈波(沖縄)などを経由して唐へ渡る予定だ。
危険な航海になるであろう。
船は二隻だから二百人から二百五十人くらいを人選しよう。
高向が行きたがっているらしいが、今回は見送らせた。
航海にも慣れが必要だ。
軽が帝である間、あと2、3回は派遣されるであろう。
しかし自尊心の高い葛城皇子が即位したらどうなるか分からぬ。
その場合、塔へ渡ったもの達が帰って来れぬこともあり得るのだ。
そう考えると人選は更に難しくなってくる。
とりあえず葛城皇子への報告をしておこう。
「遣唐使の人選はこの様になります。
目をお通して下さい」
「ふん、今更唐へ行って何になると言うのだ。
南淵殿の薫陶を受けた我々には不要ではないのか?」
「常に新しい情報を得ることに価値があると愚行します。
新羅の使いの者の話によりますと、唐には先だって天竺より膨大な数の経典を持ち帰った高僧が居るとの事です。
即ち、南淵殿すら知らぬ教えが唐にはあるという証左に御座います」
「南淵殿が隋へと渡り、帰って来るまで30年以上掛かった。
此度唐へと渡る者達は短くとも10年は学んで貰おう。
帰って来る頃には軽は居らぬ。
私のためにも身を粉にして新たな国造りに役立って貰おうか」
「は、そのつもりの人選に御座います」
「なるほどな。
……だが、有馬には行って貰いたいものだな」
「流石に皇子が唐へ渡るのは問題かと。
ある意味人質を差し出す形に捉えられます」
「そうだな。
だが船が沈めば面倒がなくて良いと思うのだがな」
「そうかも知れませんが……」
あり得ない仮定の話に相槌すら打てない。
いっそのこと私を船に乗せて貰う方がまだ現実感がある。
何よりも私が嬉しい。
「話は変わるが、鎌子よ。
其方の息子は、かつて後宮にいた与志古殿の連れ子だったな」
「は、左様に御座います」
「後宮に居たという事は連れ子の父親は誰であろうな。
帝だった母ではないわな。
私は覚えがない。
父上(※舒明帝)は既にこの世に居なかった」
「………」
分かっていて仰っているのだろう。
「其方の息子は幾つになる。
有馬より上か?」
「……おそらくは同じかと思います」
否、真人が一つ上のはずだ。
「そうか。
ならば其方の息子に見聞を積ませてはどうだ?」
「まだ幼い故、不安がありますが……」
「私としても其方の息子には多いに期待しておる。
何せ其方の息子だからな」
「御意」
葛城皇子から見たら、真人ですら自分や長子の大友皇子の地位を脅かす脅威なのか?
猜疑心が過ぎる。
しかしこの話を断れば、次はどんな事態になるのか分からない。
まずは与志古と真人に意思を確認すべきであろう。
その夜、馬を飛ばしてひと月ぶりに讃岐の離宮へと赴いた。
◇◇◇◇◇
宮へ戻ると、与志古、真人、美々母与児が揃って出迎えた。
そして皆に部屋に来る様に伝えて、話をした。
「真人よ。そなたは唐へ行って学びたいと思うか?
今なら唐で一番の僧について学べるかもしれぬ」
「はい! 唐へ行きたいです」
なんと、真っ直ぐな目で何の躊躇いもなく答えおった。
私はなんて素晴らしい息子を持ったのだ。
「そうか、真人は唐へ行って学びたいのか。
よく言った!」
私は真人の曇りなき目に感銘した。
当然、与志古は猛反対した。
その剣幕に美々母与児は訳が分からず泣いていた。
「与志古、訳は後で話す。
真人を唐へ行かせてやってくれ」
私は与志古に頼み込んた。
そして真人達が寝静まった後、与志古と話をした。
「鎌足様、あまりでは御座いませんか?
そんなに真人の事が邪魔なのですか?」
「違うのだ。
まずは話を聞いてくれ」
「鎌足様は口がお上手ですので話を聞いたら言いくるめられます。
私は何が何でも反対します」
「そうではないのだ。
このままでは真人の身が危ないのだ」
「!!!
どうゆう事ですか?」
「葛城皇子の猜疑心が最近になり、更に酷くなってきている。
自身が帝になるのは当たり前で、息子の大友皇子にその座を譲る事を隠さなくなってきた」
「真人は……真人は皇籍にありません」
「そうだ。だが葛城皇子にはそうは見えていない。
真人を唐へ行かせよというのは葛城皇子の命なのだ。
贖えば、どうなるか……。
おそらく古人大兄皇子の二の舞だろう」
「しかし、唐は……危なすぎます」
「そうだ、危険だ。
しかしここに止まるのはもっと危険なのだ。
唐へ行った方がまだ救いがある。
分かってくれ。
私とて真人には若人らしい生活を送らさせたい。
かぐやと結ばれるのなら私も嬉しい。
しかし真人の実の父親が軽である以上、その様な将来は簡単に手に入らぬのだ」
「……正直申しまして意外でした。
鎌足様にとって真人は邪魔な連れ子だと思われているのだと、私は思っておりました。
しかし今の鎌足様のお言葉は、まるで実の父親の言葉では御座いませんか。
それでは私は反対できなくなってしまう……」
与志古は涙を流し、嗚咽し始めた。
「すまぬ。力無き父親で……」
翌日、真人が唐へ渡る事を与志古は了承した。
(幕間つづく)
一般的に大化の改新以前が国宰、以後が国司と言われる様になったとされておりますが、大化の改新の進みが遅かった事を考えると国司の職の出現は大宝律令以降、早くとも近江令以降ではないかと作者は考えております。
ちなみに国宰の居る府、宰府→太宰府ですね。




