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帝の尋問(2)

前話と打って変わって饒舌な帝です。

 (※前話からの続き、帝とかぐやの会話です)


 帝が何をするのか、何をするつもり分かりません。

 まだ諦めていないのか?

 ヤケになっているのか?

 一発逆転の秘策を狙っているのか?


 そして私をどうするつもりなのか?


間人(はしひと)を批評出来ぬと言うが、其方(そち)は己が(あるじ)をどう思うとる」


「素晴らしき方かと」


「世辞はよい。正直に申せ」


「懐の深き傑物かと存じます」


 紛れもない本音です。

 歴史の教科書でも凄い方ですが、実物はもっと人間味の溢れた方でした。

 現代においてもあそこまで理想に近い上司は見当たりません。


「大海人は幼き時より聡明な子だった。

 兄を立てて出しゃばらず、此度の件でも兄に従うと言うておる。

 勿体無いとは思わぬか?」


 私はこの先の歴史を知っています。

 もし私が知っている歴史の通りなら大海人皇子は頂点に立つ御方です。


「先のことは誰にも分からない事です」


「大海人には野心はないのか?」


「皇子様は理想をお持ちの様でした」


「理想か……、余も理想はあった。

 国を富ませ、人の暮らしをより良いものにするという理想じゃ。

 帝に即位し、余の理想を詔として発布した。

 (みやこ)を一新し、人心新たに新しき国の在り方を求めた。

 じゃが足の引っ張り合いに終始し、理想の実現は遠のく一方だった」


 でも出来上がった(みやこ)は立派ですが、場所(シチュエーション)はイマイチ不評です。


「それがこの難波長柄豊碕宮なにわのながらのとよさきのみやなのでしょうか?」


「そうじゃ。

 (みやこ)は唐からの使者を迎えるに相応しい景観であるべきじゃ。

 唐はとてつもなく強大な国じゃ。

 唐との外交が我が国の今後を担うと申しても、彼奴らは聞く耳を持たぬ。

 唐の進んだ文化、技術、学問を我が物とし、国に還元するのが一番の近道なのじゃ。

 じゃが余の言葉を信じぬ彼奴は、愚かにも百済へ接近している。

 唐と百済、どちらかを選べと言われれば余は迷わず唐を選ぶであろうに」


「それでこの部屋が唐風なのでしょうか?」


其方(そち)にはこれが唐風であるのが分かるのか?」


「はい、何となくですが……」


 自分の趣味を肯定されると好感度アップします。

 なのでこのまま見逃して下さい。


「そうじゃ。

 ここが余の理想の場じゃ。

 しかし理想だけでは奴の野心に勝てぬ。

 じゃが彼奴にだけは政権を渡してはならぬのじゃ」


 多分、中大兄皇子の事を仰っているのだと思います。


其方(そち)は鎌子と親交があると言うことは、葛城とも(つる)んでおるのか?」


「いえ、皇太子様とは二度ほど謁見する機会があっただけです」


「ならば鎌子を通じて指示を受けておったのか?」


「此度の建設の件は先に述べました通りです。

 中臣様から皇太子様のためにとご依頼を受けましたのは、食事のご用意をしたくらいに御座います。

 5年ほど前に……」

 (※第89ー93話『突然の皇子様の来訪(1〜4)』をご参照下さい)


其方(そち)は葛城も傑物だと言うのか?」


「二度謁見しただけで判断なぞ出来ません」


「何も感じなかった訳でもあるまい」


「……申し訳御座いません。

 憶測で皇太子様を評するのはあまりにも不遜かと存じます」


「余の言葉を軽んじるのは不遜では無いと申すか?」


 帝はしつこく詰め寄ります。


「あくまで憶測です。

 あくまで推測ですが……皇太子様は心に傷をお持ちに思えました」


「心に傷か……面白い物言いじゃな。

 そう、奴の心には太い杭が穿(うが)かれておる。

 決して抜ける事の無い杭がな。

 今尚、ドクドクと血を流し続けておる」


 叔父さんだけあって何かご存じな様子です。


「それが故、彼奴は己が安寧のためならば手段を選ばぬ。

 それを卒なく、確実にこなす鎌子を重用するのも頷ける。

 あと一歩のところまで追い詰めていたというのに……」


「それならば何故、帝は中臣様と手を結ばれなかったのでしょうか?」


 ふと気になって、歴史で習った疑問を質問(インタビュー)してしまいました。


「鎌子が言ったのか?」


「いえ……」


 質問してしまった後、失敗したと口を(つぐみ)ましたが手遅れです。


「……もう十年も前のことじゃ。

 鎌子は入鹿と並び秀英として名を知られておった。

 しかし若かった。

 帝の座には縁遠い余に近づいた所で何も得る物は無い。

 余は政争から逃れたかったのじゃ。

 それは今も変わらぬ。

 しかしその考えが甘かったと後悔するのはすぐの事じゃった。

 まさか公衆の面前で入鹿を惨殺するなどと暴挙をしでかすとは……。

 しかも帝である姉の目の前で。

 そして姉はそれを咎める事なく見過ごしたのじゃ。

 彼奴の歪んだ野心と鎌子の能力が組み合わさった結果がどの様な事態を招くのか、余はそれに気が付けなかった」


 何故か、本日一番に饒舌な帝です。

 かなり鬱憤を溜め込んでいるみたいです。


「仏教に阿修羅という悪神が居る。

 三つの顔と六本の(ひじ)を持つ戦を生業とする神じゃ。

 余には彼奴の姿がまるで阿修羅に思える。

 仏道に通した若く聡明な青年の姿。

 人を惹きつける人望を持つ皇子の姿。

 しかし本質は戦を生業とする憤怒の形相をした悪神じゃ。

 間人は彼奴の一面しか見ておらぬから懐いているのだろうが、余は怖くて堪らぬ。

 其方(そち)にはほんの二回(まみ)えただけで彼奴の心の深い闇が見えておったが、見る目がある者が見ればわかる筈なのじゃ」


 いえ、そんな大層な事ではありません。

 オレ様のオレ様度が酷いのには何か理由(わけ)があるのではないかと思っただけです。

 後の歴史も知っていますし。


「入鹿、蝦夷えみし親子を誅した後、出家して山に籠った古人(※古人大兄皇子)を亡き者とし、仲間だったはずの倉山田を意見を違えたという理由で力づくで排除した。

 当然、帝となった余は彼奴を黙って見過ごす事はしなかった。

 力により権力を得た者は力により権力を失う事を何よりも恐れる。

 激しい抵抗があったが一時は絶体絶命にまで追い詰めた筈じゃった。

 しかし失敗した。

 融和も試みたが手遅れじゃ。

 残ったのは彼奴の余に向ける憎悪の念だけじゃ」


 何だかんだ言っても、帝自身も結構やらかしていたみたいです。

 中大兄皇子(オレ様)は寛容とは程遠そうだから、易々と許すとは思えません。

 しかも中臣様の陰険な性格を考えますと、徹底的にやりそうな気がします。

 現に後宮は空っぽになってしまいましたし。

 根回しキングの面目躍如です。


「この先、どうなされるおつもりなのですか?」


 何だか気の毒にも思えますので、苦情対策の一環として相談に乗ってあげて、ついでに私の事を見逃して貰いましょう。


「ふ……、余を追い詰めた張本人の一人に同情されるとは末じゃの」


 やぶ蛇!


「おそらく生かさず殺さず放っておかれるだけじゃ。

 鎌子の策であろうが、見事な程余は丸裸にされた。

 しかし葛城が即位するにはまだ早い。

 それまでは傀儡として生かされるであろう。

 これほど惨めな帝はそうはおるまい」


 歴史を紐解くと権力を持たない天皇は数多くいました。

 例外はありますが、今から500年後、武士が権力を握ってからは明治維新までの間、武家政治が闊歩しました。

 でもそれは後の時代の私だから言える事です。


「では何もしないと?」


「お人好しも大概にせい!」


 怒った!?

 ごめんなさい!!


「彼奴の暴走がこれで収まると思っているのか?

 次に狙われるのは余の皇子じゃ。有馬じゃ。

 余の皇子がむざむざと殺されるのを黙って見過ごしていられるか!」


「短慮でした。

 申し訳御座いません」


 こうゆう時は平謝りです。


「今はまだ個人が命を落とすだけじゃ。

 じゃが彼奴は人の命なぞ虫の命の様に軽く考えておる。

 いずれ千や万もの人命が失われかねぬ」


 でも、どうやって?


「余に打てる手なぞ無いと言わんがばかりの顔じゃな?

 否定はせぬ。

 ただ一つ、『逃げよ!』

 それだけじゃ」


 四十八計、逃げるにしかずって事ですね。

 ある意味、正解です。


「己が関係ないと思うでない。

 其方(そち)主人(あるじ)も同様じゃ。

 其方(そち)は主人を守り切れるのか?」


 歴史を鑑みても帝の懸念は正解です。

 もしかして、帝は慧眼の持ち主?


女子(おなご)に出来る事なぞ些細な事です。

 しかし出来ることが御座いましたら全力を尽くします」


「その言葉、偽りはないな?」


「はい」


「そうか……ならばもう()

 余の退屈凌ぎに付き合わせたな。

 久々に愉しめた」


 やった!

 無事、解放された。


「お耳汚し、恐縮に御座います」


 ようやく解放された私は出入り口へと向かい、静々と頭を下げました。


「ふん、心にもない事を……。

 かぐやよ」


 え、まだ何か?


「真人の事を頼む。

 真人もまた危険なのじゃ」


 !!!


 帝は真人クンの事も心配していたんだ!?


「……はい、心より承りました」


 私は更に深く頭を下げて、そして帝のお部屋を退室しました。



阿修羅像といえば興福寺の美しい阿修羅像が有名ですが、今の阿修羅像は修復によって作製当初とは違った形になっているとの研究がなされております。

X線CTスキャンの結果、正面の顔はもっと厳しい表情だったそうです。


また、法隆寺(創建当時は『斑鳩寺』)にも阿修羅像があります。

五重塔の中にお釈迦様の一生を表した塑像群があり、その中に阿修羅像があります。

興福寺と同様、三面六臂ですが、坐像です。

716年に作製されたとされ、興福寺よりも古い像です。


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