帝の尋問(1)
ほぼセリフのみです。
緊張感出てますか?
帝に連れられた場所は後宮の中の帝のプライベートルームらしき部屋でした。
「入れ」
護衛がいるわけではなく、見た目はおっさん。
顔立ちが整っていてもおっさんはおっさんです。
難波のオッちゃんです。
私なら闘っても勝てそうな気がします。
光の玉もあるし。
しかし、勝った後の保証はありません。
だから権力には出来るだけ逆らわないようにします。
今のうちは……。
その部屋は少し異国風で、調度品も唐風な物が多く見受けられます。
帝は如何にも舶来品らしい椅子に座りました。
「そこに座れ」
怒っている様子はありませんが、帝が何を考えているのか全く分かりません。
淡々と命令します。
勧められたのは地ベタでも、床でもなく、背もたれのない椅子でした。
造りは立派ですが、座り心地は木の椅子そのものです。
帝は椅子の横にあるテーブルの上にあった木簡を手にして、徐に話し始めました。
「讃岐国造の娘、名をかぐや、歳は十六……」
完全にバレています。
帝は偶々後宮に来たのでは無く、私を狙って捕まえに来たのです。
心の中の警戒心を最大に引き上げます。
天井に赤外線の光の玉を浮かべました。
「相違無いな?」
「……はい」
「改元の儀で舞を献上……。
ああ、あの舞は見事であった。
あの時の娘が……か」
帝は独り言の様に言葉を発して、木簡を読んでいきます。
「讃岐には中臣氏の離宮があり、鎌子と親交がある……と」
独り言というより、私に言って聞かせているみたいです。
「さて、聞こう。
余の後宮に何用かの?」
これ、絶対に分かっていて質問しています。
嘘を言ったらアウト。
しかし正直に答えてもアウトです。
「命により、荷物の運搬について相談を受けましてに御座います」
「誰の命令じゃ?
余はしておらぬぞ」
間髪を入れずに質問です。
「私に後宮へ向かう様に命じましたのは大海人皇子様に御座います。
ここへ来て相談を受けましたのは後宮の方々です」
「そう仕向けたのは間人か?」
「いえ、皇后様では御座いません」
「では誰がじゃ?」
「事の詳細を正確に把握はしておりません。
皆様からは後宮で荷物の運搬に困っているのを皇祖母様に相談したところ私が紹介されたと伺っておりますが、その間に介在された方々につきましては詳しくは知らされておりません」
「ふん。
余の後宮で勝手な真似をしくさって」
少し苛立ちが見えます。
あまり良くない傾向です。
「つまりは其方は後宮に入り、分断工作をして、余への反逆を企んでいたという訳じゃな?」
「一舎人に反逆の意思などを持ちようも御座いません。
運搬の相談を受ける事と反旗を翻す事とはかけ離れた事かと思われます」
「そう言うか……、ふっ。
話は変わるが、其方の父親はたいそう裕福だそうだな。
飛鳥の中に出来た新たな街は其方の財が深く関与しているらしいな」
何処までバレているの!
個人情報保護の律令カモーン!
「……相談事が多いので」
「その相談事とは何時受けた?」
「葉月だったと記憶しております」
「たったの三月か……。
難波が出来るまで七年掛ったのだぞ」
小声ですが、これまでで一番感情がこもっています。
「誰からの相談じゃ?」
「中臣様の妃の与志古様に御座います」
「与志古がかっ!」
そう言えば、与志古様は帝が即位される前に夫人として後宮に居たのでした。
「与志古とは親しいのか?」
「讃岐に中臣様の離宮が出来て以来ですので、幼きときよりお世話になっております」
本当はそれ以前に顔を合わせていますが、余計なことを言わない方がいいと思えたので、この様な言い方にしました。
「中臣か……」
完全に敵認定された?
逆効果?!
「鎌子とも親しいのだな?」
「中臣様と親しいと申しますのはあまりにも畏れ多い事に御座います」
「あの冷血漢ならばそう思われて当然じゃな。
鎌子には子がおるが、其奴らと親しいのか?」
このまま正直に答えたら真人クンにも迷惑が掛かるかも知れません。
「利発な御子様だと聞き及んでおります」
ウソは言ってないよ。
「そうか……。
確かに利発らしいの。
先の遣唐使の使節団に名を連ねておった。
しかしな……。
遣唐使船は薩摩沖で沈んだと連絡があった。
その船に乗っていた者らは殆どが死んだ」
!!!!!
真人クンが!?
私の反応を見て帝はニヤリと笑みを浮かべ言葉を続けました。
「沈んだのは第二船だ。
鎌子の息子が乗っていた第一船は唐に渡った」
ムキーッ!
私の反応を見て楽しんでいる!
「鎌子から何か命じられておるのか?」
「中臣様と最後にお話致しましたのは、3年以上前です。
その時に大海人皇子様の舎人となる様、勧められました」
「何故、鎌子は其方の事をそこまで気に掛けたのじゃ?」
「讃岐に中臣氏の離宮が出来ましたのは、私達の稲作の取り組みをご評価頂いたからに御座います。
他の地域に比べまして倍の収穫を得ております」
「稲作に荷運びに屋敷の建設……、其方は一体何者じゃ?」
はい、竹取物語の主人公です。
なんて答えられません。
1400年後のOLで、部署は総務部です。
なんて言っても誰も信じません。
脳みそを絞ってそれらしい答えを絞り出します。
「私は国造の娘に御座います。
領民のため日々研鑽している娘です。
稲作、出産、生活、治安、など様々な事項に取り組んできました」
「成る程な。
鎌子が認めた才を後宮へはやれぬと言うことか。
ならば余が後宮へ入内せよと命ぜられたならばどうする?」
「ど……」
やばっ!
『どちらの後宮ですか? 飛鳥? 難波?』って言いそうになりました。
絶対、帝の逆鱗に命中します。
「どうしようも御座いません。
国造の娘に帝のご意志を曲げる術は御座いません」
「反対する者も多かろうな。
間人は其方を気に入っているとある。
額田も、姉も、建皇子もか……。
そこまでして我らが系譜に取り込まれたいのか?」
トンデモない!
むしろ距離を置きたいです。
成り行きでこうなってしまったのです。
「私は与えられた仕事を一心に取り組んで参りました。
それ以外何もしておりません。
ただその結果が今に至った理由だと存じます」
「つまりは其方は己が有能であると言いたいのか?」
「有能であるとは思っておりませんが、他人より慣れていると思っております」
「小娘が小生意気な」
帝に言葉の端々に苛立ちが見えます。
「間人にも困ったものだ。
皇后としての自覚が全くない。
昔から頭の軽い娘であったが、まさかここまでとは……。
そうは思わぬか?」
「申し訳御座いません。
卑賤の身に皇后様を批評するなど畏れ多き事に御座います」
「間人の事は生まれた時から知っておる。
あの頃は我が伯父(舒明)が帝であった。
姉が皇后として勤めを果たし、安定した政を行っておった。
その二人から生まれたのが間人だ。
生まれてこのかた宮を出ずに育った故に世間をまるで知らぬ」
(※第36代天皇の孝徳帝の父・茅渟王は第34代天皇の舒明帝と異母兄弟。
第35代天皇の皇極帝(皇祖母尊)と孝徳帝も異母姉弟)
段々と愚痴っぽくなってきました。
こうゆう時は決して相手の意見を否定しない事です。
クレーマー対策の基本中の基本です。
「本来であれば余が帝になどなる筈が無かったのは誰もが知るところだ。
同様に葛城も帝に成れぬ筈じゃった。
武力による帝位の簒奪なぞ末代までの恥じゃ。
姉が退位なぞせねば良かったものを……」
話題変更、話題変更。
「恐れながら、帝は理想というものをお持ちでは無かったのですか?」
「理想じゃと?
理想とは野心という名の獣の心を取り繕っただけの言葉遊びに過ぎぬ。
力無き者がそんなものを持つだけ無駄じゃ。
弱き者が理想を唱えれば強き者の野心の餌となり、蹂躙されるだけなのじゃ」
かなり中大兄皇子に対して恨みを募らせているみたいです。
当然、腹心の中臣様も。
そして多分、中臣様の手下と思われている私も……。
「ふっふっふ、間人は皇后でありながらこの様な話をした事は一度もないの。
長年掛けて完成した我が理想の京は、今やもぬけの殻じゃ。
おかげで退屈で構わぬ。
加担した其方には余の退屈凌ぎに付き合うて貰うぞ」
いよいよ、ピンチか?
(次話に続きます)
白痴4年の遣唐使は二隻の遣唐船で唐へ向かい、一艘が薩摩沖で船が沈没しました。
おそらく東シナ海を横切る航路を取って、沈没し、潮に流されたのだと思われます。
乗船していた百二十人のうち五人だけが板に捕まって近くの島に漂着して生き延び、筏を作って帰還したという記録があります。
この様な先人の命懸けの努力の結果、今の日本があるのですね。