いよいよ計画開始!
いよいよ大詰め?!
飛鳥支店の開所を見届けた私は翌朝、難波へと向かいました。
次に飛鳥へ戻るのはひと月後です。
「ご苦労だった。
して準備はどうだった?」
難波の皇子宮へと戻った私はまず皇子様にこれまでの計画の進捗を伝え、受け入れ体制の報告に上がります。
「馬来田様と吹負様のおかげを持ちましてほぼ受け入れ体制は整ったと申して宜しいかと思います。
下級宮人の屋敷があと十棟ほど改修が終わっておりませんが、まもなく片付くかと」
「そうか、ならば心配は要らぬな。
其方の言う美容療法施術所とやらは完成したのか?」
「従業員一同、準備を整え、初のお客様を迎える事が出来ました。
馬来田様の奥様と、長徳様の奥様です。
おかげ様で受け入れに足りない箇所も幾つか見つかりましたので、数日中に完全に取り揃える段取りとなっております」
「はははは、全く無駄のない事だな」
「飛鳥の準備が終わりましたら、待機しております人足と荷車を難波へと送ります。
一度に全て搬ぶのは無理ですが、何段階に分ければひと月の間に転出は叶うかと思います」
「うむ、分かった。
私もそのつもりで動こう」
「それにしましてもあまり急がなければならない雰囲気には見えませんが、転出の期限は本当にひと月後で宜しいのでしょうか?」
「ああ、それで頼む。
肝心の帝はあまり大事に受け取られていないご様子でな。
恐らく其方たちが密かに準備していた事も察知しておらぬのだろう。
事が始まれば大騒動になる」
「承りました」
「だが、其方には別にやって貰いたい事がある」
「はい?
何に御座いましょう」
「移動に伴う人や物の手配はこれまで通り、馬来田らに任せよ。
中臣殿より依頼された受け入れの件は十分に任を果たした。
後は与志古殿に丸投げすれば良かろうし、少なくとも其方が前に出てやらない方が良い。
代わりに其方は施術所を最後まで運営してキッチリ終わらせてくれ。
母上や姉上が通っているのだ。
途中で投げ出す不義理はしないで欲しい。
きちんとけじめをつけた上で閉鎖し、飛鳥へと移転してくれ」
義理堅い皇子様らしいお言葉です。
「はい、元よりそのつもりです」
「頼んだぞ」
◇◇◇◇◇
「どうぞお受け取り下さい」
私はその足で与志古様のところへと行き、飛鳥の屋敷の場所、それぞれの屋敷の大きさと間取りなどを記した木簡を渡しました。
「かぐやさん、本当にありがとう。
こんな短期間に屋敷を揃えてくれるなんて」
「限られた期間でしたので、何処かしら妥協しなければならない所が多々御座いました。
なので入居後の支援もご考慮願います。
年が明ける前には雇った人足を解雇するつもりです。
それまでに出来うる事をする必要があるかと存じます」
「そんな事まで考えていたの?
貴女もやらなければならない事が有るでしょうに」
「はい、皇子様よりお仕事を賜っております。
なので今後は私が直接関われる機会は減ると思います。
しかし人足や建設に携わった部民が居なくなる訳では御座いません。
これまでと同じ雇用条件で引き続き働く事も可能な状態ですので、そのまま引き継いて頂ければ作業は滞る事なく新年を迎える事が出来ると思います」
「雇うって……雇用条件はどれ位なの?」
「住む場所は京の外れに屋敷を用意しております。
食事は一日二食を約束しております。
日当は布二反と米一升です。
今は百名ほどを雇っております」
「ええっ! それではこの二月半で相当な出費をしたのではないの?」
「ええ、刻は金と同等の価値が御座います。
限られた期間に仕事を完結させるには、田所の労役で働かせる様な職業意識も勤労意欲も無い者を雇う余裕は御座いませんでした。
従いまして此度の件では国許の養父には手厚い援助を頂きました」
…………
与志古様、呆然としております。
「そ……そうね。
確かに今回の件は他の誰がやっても上手くいかなかったと思うわ。
事が終わりましたら中臣様から讃岐造麻呂殿に手厚い恩賞を授ける様、進言しておきます」
「有り難きお言葉、感謝致します」
「では預かった木簡は私から各々の宮人に渡します。
実際に第一陣が動き出すのは早くて十日後ほどになるでしょう。
運送のための人足は手配出来る?」
「まだ建設が続いている屋敷が残っており、運送だけでなく入居作業にも人手は必要かと思います。
それを鑑みますと運送に振り分けられる人足が七十人程度なので、そのつもり移動の手筈を整えて頂きたく存じます。
詳細につきましては、もうじき大伴馬来田様が来られますので、馬来田様にお尋ね下さい。
馬来田様は中臣様とも旧知の仲と伺っておりますので支障はないかと思います」
(※鎌足と馬来田は従兄弟同士)
「何度も言いますが本当にありがとう。
至れり尽くせりだわ」
「恐れ入ります。
私は向こうひと月はいつもの業務に戻りますので、お越しになりましたらいつでもお会いできます」
「分かったわ。宜しくね」
こうして私は……
かぐやコスメティック研究所本店と運命を共にするため、柱に体を縛りつけ屋敷と共に海の底へと沈むのでした。
ぶくぶくぶくぶく
【天の声】旧日本帝国海軍の艦長か?!
◇◇◇◇◇
「ようこそお越し下さいました」
本日は皇祖母様と建皇子様がお越しになりました。
「ここ何日か留守にしておったようじゃの。
そんなに忙しいのか?
其方はちと働き過ぎではないかえ?」
「恐れ入ります。
反省する事仕切りに御座います」
「もっとも婆ぁがここに来なければ其方はもう少し休めるのかも知れぬが、建がじっとしてくれぬのでな」
建皇子様は輿から降りた途端、走って来るや私の腰のところにピトッとくっ付いてしまいました。
少し間が空いたので寂しかったみたいです。
「この様に慕って頂けるのに可哀想な事をしてしまったと、申し訳なく思います」
「ふふふふふ、ここまで懐かれると少し妬けるのう」
「いえ、そんな」
「気にするでない。
婆ぁは嬉しいのじゃ。
老い先短い婆ぁがいなくなったら建が孤独になってしまうのかと、心配せでも済むのだからな」
「その様な事は御座いません。
皇祖母尊様はもっと長生きされますし、皇子様はこれからたくさんの人から愛されます」
「ほっほっほっほ、嬉しい事を言ってくれるのお」
「皇子様の心はとても純粋なのです。
それが他の方には理解され難いだけで、皇子様もそれをどう伝えれば良いのか分からないのです。
きっと理解してくれる人が他にも現れます」
「建をその様に見てくれる者がいるだけで婆ぁは幸せじゃ。
それではいつものを頼むかの」
「はい、承りました」
こうしていつもの皇祖母様お気に入りの施術を開始しました。
建皇子様はいつものお絵描きです。
施術の途中、皇祖母様がふと質問をしました。
「そう言えば……葛城が帝に飛鳥への遷都の建白をしたが、其方は聞いておるかや?」
「はい、耳にしております」
「いよいよなのかのぉ……」
何か深刻なご様子です。
「婆ぁには飛鳥の地に知り合いが沢山おってな、その者らから新しい屋敷が筍の様にうじゃうじゃと建っていると聞いたのじゃ」
「ええ……」
すみません、犯人は私です。
「その者が言うには、短い期間に建ったその屋敷は皆同じ色の壁に同じ屋根の造りで、見栄えが良く、京でも噂になっているのだそうじゃ」
「そうなのですか……」
すみません、数日前見てきました。
「そしてな……刻同じくして京の外れに大海人の離宮が出来たそうじゃな?」
(ぎくっ!)
「ええ、よくご存知で……」
「ふっふっふっふ。
其方は大海人の舎人じゃ。
舎人が主人の言い付けを守る事に何の引け目を感じておるのじゃ?」
「いえ、その……」
「気にするでない。
婆ぁが少し気に病んでいるのは、位を譲った我が弟と息子達のどちらかを取らねばならぬという事だけじゃ。
其方には関係ない事よ」
「申し訳ございません」
「それでここはどうするつもりじゃ?」
腹を括って申し上げるしか無さそうです。
「全ては皇子様に従うつもりに御座います。
今、皇子様より命ぜられておりますのは、
『皇祖母尊様と間人皇女様がお通い頂く間は途中で投げ出す不義理をせず、きちんとけじめをつけた上でここを閉鎖し、飛鳥へと移転せよ』と承っております」
「そうか、ではそれまでは世話になるかのう。
飛鳥に移転という事は向こうでも同じ事を続けるのかえ?」
「はい、既に箱は出来上がっております」
「ふふふふふ、そうかえ。
……婆ぁはまだまだ人を見る目が無いのぉ。
子供に好かれ美容に詳しいだけの女子だと思っておったが、その実、其方が大海人の参謀だったとはな」
「え? それは勘違いかと思います」
「そうは言うがな、弟からすれば其方は宮の者らを人質に取ったに等しいのじゃぞ。
婆ぁに至っては建を人質に取られ逆らう事も出来ぬよ。
しかもこの短い間にここまで万全の準備をしていながら、其方はずっとここに居ったのじゃ。
並の裁量ではない」
「いえ、本当に私はその様な大層な者では御座いません」
「全く……」
何故か皇祖母尊様の私に対する評価が大変なことになっています。
怒ってないよね?
怒っていたらどうしましょう?
部曲や奴婢などが当たり前の人権意識が希薄な飛鳥時代では、上に立つ者が下々に正当な報酬を与えるという事は全く考えていなかったと予想します。
貨幣すらなかった時代です。
後の民意を考慮せずして始まった班田収授はあっさりと頓挫しました。
その様な時代に人足に食と住を与えて日当を約束するという現代では当たり前の雇用条件は、とても非常識に見えた事でしょう。
与志古様には主人公の雇用という考えそのものがとても衝撃的でした。