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【幕間】鎌足の焦燥・・・(9)

何度も言いますが、本作品は『白痴』などの不適切な台詞が含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本小説の特性に鑑み、飛鳥時代当時に表現をあえて使用し執筆しております。(((予防線)))

 (※前々話、前話に引き続き鎌足様視点のお話です)

 

 年が明け”白痴”二年となったが、帝派の切り崩し工作は一進一退といったところだ。

 相手も無策では無い。

 また人の感情(こころ)というのは厄介で、筑紫の者の大和に対する心の(しこ)りは中々取り除けるものではない。

 だが彼らと話をしている時、思い掛けぬ名前が挙がった。

 阿部御主人(あべのみうし)だ。

 例の燃えぬ布を探し求める際に真っ先に筑紫へ向かったらしく、長いこと留まっていたらしい。

 その間、御主人は現地の者と友誼を結び、友好な関係を築いた様だ。

 彼がここに居れば話し合いも順調(スムーズ)に進んだであろうに、派閥に引き込む事を怠ったのが悔やまれる。

 かぐやを遣えば……、いや御主人は忌部氏の姫を妻として迎えたと言っていたな。

 クソッ!

 後手に回っている事を自覚するというのは、即ち、私の怠慢が招いたという事だ。

 言い訳はすまい。


 一方で東国との関係は良好だ。

 従兄弟の馬飼(※右大臣・大伴長徳)の口添えもあり、中級官僚に東国出身者を送り込み奥深くまで入り込んでいる。

 あとは邪魔な帝派の上級官僚を切り捨てれば、彼らが昇格していく。

 一時期の劣勢に比べれば、格段の進歩だ。

 いつ攻め込まれるやも知れぬ皇子宮と違い、川原に拠点を築き腰を据える事が出来たのは、国政への参与という意味において事の他大きい。


 だが好事魔多しというのだろう。

 予期せぬことが起こった。

 いや、予期しなかった私が愚かだったのか?

 馬飼が亡くなったのだ。

 死因は分からぬ。

 だが、用心深い軽は馬飼の後任を任命しようとせず、右大臣の席は空位となったままだ。

 ますます馬飼の死因が怪しく思えてきた。


 もっとも今となっては此方の優勢は揺るがない。

 左大臣の巨勢は機を見る能力だけには長けている。

 我らの言葉に従う事も増えてきた。


 そんなおどろおどろしい政が続く最中、一つの知らせが入った。

 大海人皇子の妃、額田王(額田の君)が懐妊したと。

 葛城皇子と大海人皇子との関係は今のところ良好だ。

 大海人皇子は自らを弁えており、決して出しゃばらず、常に兄である葛城皇子を立てている。

 皇子の才を考えると勿体ない気もするが、諍いの元が無いことは喜ばしい事だ。

 その大海人皇子に子供が生まれたのであれば……。

 女子ならば近江にいる葛城皇子の長子、大友皇子の妃とするのが良かろう。

 問題は男子であったら、だ。


 軽の次は皇太子たる葛城皇子が帝となるのが順当だが、まだ二十五歳。

 帝となるにはまだ早い。

 軽にはあと五年は粘って貰いたいが、いざとなったら皇祖母尊(すめみおやのみこと)様に重祚(ちょうそ)して頂き、繋ぎの帝位をお願いする事になろう。

 そして十年後。

 葛城が即位すると、弟君の大海人皇子が帝弟となり、継承権第一位に繰り上がる。

 年齢は三つ違いだから十年後は三十二であろう。

 歳が近い葛城皇子が長生きすれば大海人皇子の即位の芽は無くなる。


 継承権第二位は軽の皇子、有馬皇子だ。

 今十歳のはずだから、十年後は二十(はたち)だ。

 次々代の帝として最有力だ。


 その次の継承権第三位が葛城皇子の長子、大友皇子。

 まだ五つ、十年後は十五だ。


 もし大海人皇子に長子が生まれれば継承権第四位以下であろう。

 葛城皇子の妃らが男子を産めば更に下がる。

 軽はもう五十過ぎ、これ以上子を成すのは無理だ。


 そう考えると大海人皇子に男子が生まれたとしても、余程の事がない限り帝となる事は無いだろう。

 大海人皇子とその子らは帝となる可能性が低いのなら、無駄な諍いを避けて今の良好な関係を続け、葛城皇子の兄弟として、盟友として手を取り合うのが理想だ。


 もっとも十年後、私は四十六のジジイだ。

 生きているのかも分からぬがな。

 人は呆気なく死ぬのだ。

 誰が生き残っているのかも分からん。


 ◇◇◇◇◇◇


「おぉ、元気にしていたか?」


「ちちうえー」

「父上様、ご無沙汰しております」


「この前持ってきた書は読んだのか?」


「はい、10遍ほど読み返しました。

 非常に為になりました」


「ふふふふ、真人には難しいかと思ったが杞憂であったな」


「難しいですが、読むほどに新しい発見がありました。

 もっと読んでみたく思います」


「ちちうえさまぁー」


 川原に拠点を構えてから、讃岐の離宮へ足を運ぶ事が増えた。

 馬で行けばすぐだからな。

 与志古との間に出来た美々母与児(みみもとじ)、そして私の長子となる真人が居る離宮だ。

 与志古には車持氏をはじめとして、東国の氏族との橋渡しで世話になっている。

 軽と対立する事を承知の上でだ。

 つい忘れてしまうが、真人は軽の息子なのだ。

 本来ならば有馬皇子と並び、帝位継承権を争う立場であったやも知れぬのだ。

 それを考えれば中臣から排除すべき存在なのかも知れぬ。

 しかし自分の息子としてみると真人は賢く、礼儀がなっており、世の理想の息子として申し分がないのだ。

 そして誰よりもかぐやと親しいのだ。

 このまま軽との関係を明らかにせず、ずっと私の息子として育てるのも悪くはないと思えているのだ。

 何故か分からぬが私に男の子供が生まれないのだ。

 美々母与児(みみもとじ)の他に子はいるが、やはり女子(おなご)なのだ。

 このままだと中臣氏の氏上(うじのかみ)の座は従兄弟の金(※中臣金(なかとみのくがね))に明け渡す事になりそうだが、それも致し方がないだろう。

 氏上なぞ何としても守りたい座ではないからな。

 真人はかぐやの家に婿養子として国造(くにのみやっこ)となり、平穏な人生を送れればそれで良かろう。

 軽と葛城皇子との諍いを見るにつけて、真人が跡目争いに巻き込まれない事は決して悪いことではないと思えるのだ。


 与志古から聞いたのだが、大海人皇子の妃の額田王の出産にはかぐやが携わっている様だ。

 彼奴(あやつ)はどこまで規格外なのだ?

 呆れながらも然もありなんと思うのもかぐやならではであろう。

 実際に与志古の難産を乗り切ったのは他でもない、かぐやなのだ。

 それを思えば大海人皇子の子は安泰であろう。

 生まれたら祝いに行くべきだと葛城皇子には進言しておいた。


 そして秋。

 額田王が無事、女子を出産したと連絡が入った。

 つまり葛城皇子の長子の妃候補だ。

 葛城皇子にとっても姪の誕生は余程嬉しいらしく、難波にある皇子宮へと駆け付けた。

 額田王は産屋に滞在しているという事なので、大海人皇子と共に産屋へと向かった。

 産屋と聞いたが、私が思っていた産屋とは全く異なり、逗留場の様な心安らぐ作りとなっていた。

 ふと讃岐にある国造の屋敷を連想したのは、同じ者が建てた屋敷だからであろう。

 案内された先には額田王と生まれた赤子、そしてかぐやが居た。

 葛城皇子は嬉しそうに額田王に語りかけた。


「どれ、私に産まれた赤子を見せよ」


「はい、こちらに」


「近江に預けておる私の息子もそうだが、やはり身内の子というのはそれだけで愛おしく感じるな」


「そうですね。

 我が子がこんなにも愛おし者だとは想像も出来ませんでした」


「大海人もそう思うか?」


「はい、兄上。

 この子が産まれてから毎日ここへ通い、顔を覗いておりますが全く飽きませぬ」


「その気持ちは私もよく分かる。

 だが厳しく育てねばならないのも分かっておろう。

 この赤子には将来大変な役割を負って貰わねばならないのだ。

 大海人皇子の娘であり、皇太子たる私の姪であり、先帝・皇祖母尊(すめみおやのみこと)の孫なのだからな」


「は、肝に命じます」


「そこでだ。

 この子を将来の皇后として手元に置いて育てたいがどうか?」


 ちょっと待て!

 一体、何を言い出すのだ!?


「あ、いえ。

 まだ産まれたばかりなので何とも。

 赤子を娶るというのは、些いささか気が早過ぎませんか?」


「叔父上ではあるまいし、姪っ子を娶りたいとは思わぬ。

 私の息子、大友の伴侶としてだ」


 不味い!

 止めなければ!!


「か、葛城様。

 少し先走り過ぎて御座います」


「そうか?

 まあ良い。

 いずれこの子には息子に嫁いで貰おう。

 鎌子の娘も嫁ぐことは決まっておる。

 奇しくも大海人の娘も鎌子の娘も、そこにいるかぐやが取り上げた子達だ。

 かぐやにも娘達の世話役として同行して貰おうか」


 言いたい事は分かる。

 だが大海人皇子の感情を逆撫でするのは止めてくれ!


「兄上。

 いずれこの子が大友皇子(おおとものみこ)に嫁ぐ事は吝かでは御座いません。

 ただそこまで急がずとも宜しいのではありませんか?」


「そうは言うが、あまり時間(とき)は残っておらぬのだ。

 帝を頂点としてこの世を統べる政を実現し、この地に秩序と平和をもたらすために我々は日々精進しているのだ。

 なのに物の道理も分からぬ愚か者が邪魔して、遅々として進まぬ。

 一刻も早く、次代に安心して政を任せられる体制を築きたいのだ。

 そのためには私は自らの命も惜しまぬであろう。

 私の息子とこの娘が成長し、帝と皇后として君臨する事に誰が異論を唱えられぬためにもな」


 これでは大海人皇子との確執を招くだけではないか。

 私は葛城皇子の言葉に頭を抱えたくなった。


 (幕間一旦終わり)

有名な話でありますが……。

蘇我氏を排除し、改革を実現したい中臣鎌足はまず軽皇子に接触しようとしました。

しかし鎌足は軽皇子がその器ではないと判断し、中大兄皇子に近づき、蹴鞠に興じる皇子の靴が脱げ、それを拾ったのをキッカケとして距離を詰めていきました。

つまり鎌足は最初から軽皇子(後の孝徳帝)を気に入らなかったと思われます。

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