【幕間】刀自の記憶(3)
前話、前々話に続きまして、第170話『産後の闘いはまだまだ続くのです』の刀自さんサイドのストーリー、プラス後日談です。
以前にも触れましたが、十二単は飛鳥時代の200年後のファッションですので主人公は十二単を着ていません。
でも作者自身も執筆しながら主人公が十二単を着用しているイメージを払拭出来ません。
そのくらいに、かぐや姫イコール十二単の固定観念は強力です。
という事で、空想の中なら着てもいいじゃないかと思い、刀自さんの夢を借りて着用してみました。
真っ暗な視界の中、私はいよいよこの世を去るのだと理解しました。
思えば以前の私は普段の生活でも、霧の中で過ごしていたかの様に頭に靄がかかっていました。
その霧を晴らしてくれたのは……。
すると目の前がパァーと明るくなり、目の前にかぐや様の姿がありました。
しかしいつものかぐやさんではありません。
普段より少し大人びていて、光り輝いてとても綺麗で、見たこともない色とりどりの衣をまとって、でもそれが何も違和感が無く素敵でした。
ああ、やはりかぐや様は天女様なのだと前触れもなく理解しました。
という事は去り行く私をかぐや様がお見送りに来たの?
……いえ、違います。
声がします。
『刀自さん、赤子が産まれたよ。
三人とも無事よ。
元気な女の子よ。
今、必死に生きようとしているの』
もう一つ声がします。
『大丈夫か? 刀自。
オレ達の子供だ。
何て小さいんだ。
刀自、頑張って子供を産んでくれてありがとう』
津守様……?
何故か弟を思い出しました。
おねーちゃんと私の後にくっついて歩く幼い弟。
いつもはガサツで、口が悪くて、でも不器用で、弟が生きていたのなら津守様の様になっていたのかも知れません。
でも私はもう子供には会えないの?
……嫌っ!
私は産まれてきた赤子を抱き上げてお乳をあげるの。
父様、母様は子供を遺して逝ってしまうのはきっと無念だったはず。
今の私がそうなのだから。
お願い。
私を死なせないで!
私はまだ死にたくない!
生きて、子供達と津守様と一緒に家族で暮らしたいの!
やっと手に入れた幸せなの!
◇◇◇◇◇
夢を見ていたのかしら?
目を開けると、私は部屋の中で横たわっていました。
ここは? ……!!
赤ん坊!!
何処? 何処にいるの?
起き上がろうとしたのですが、体に重石が乗って居るかのようで動きません。
まるで自分の身体が自分のものではないみたい。
するとかぐや様の声がしました。
「刀自様、気が付きましたか?
赤ん坊は三人とも無事に産まれました。
女の子三人です」
「ど……こ?」
声を出すのがやっとです。
「今は寝ているわ。
お腹の中の滋養を三人で分け合って、予定よりも早く産まれたから、まだ身体が成長しきっていないの」
赤ん坊が危ないの?
何とかしなければ!
でも身体がいう事を聞かないの。
「刀自様はまずは身体を回復させて。
赤ん坊は保育器の中で大切に育てているの。
雇った乳母さんが来てくれたから、お乳を少しずつ飲ませているから。
とても小さい身体なのに必死で生きようとしているの。
だから赤ん坊は私達に任せて、まずは刀自様は身体を回復する事に集中して」
「わ……かり……た」
また私は気を失う様に寝てしまいました。
その様な日々が三日ほど経った頃、私は状態を起こせる様になりました。
保育器という名の箱の中には赤ん坊が一人づつ入っていて、中にある鉢の中のお湯のおかげで箱の中は暖かく保たれていました。
かぐや様が言うには、箱の中はお母さんのお腹の中の状態に近づけているそうです。
かぐや様をはじめ、屋敷の皆さんが入れ替わり立ち替わりして、赤子の世話を絶え間なくしてくれています。
有り難くて有り難くて、幾度も涙を流してしまいました。
本当に皆さん、ありがとう。
少しずつでも、私も重湯を出来うる限り口にしました。
それから数日後。
赤子は乳母さんの乳首を口に含んで、お乳を飲む様になりました。
その姿を見て涙を流して、お腹がいっぱいになって寝ている姿を見てまた涙を流して、……そして赤子が箱の中から取り出されて、私の乳を吸う姿を見た時、私は止め処もなく溢れる涙を堪える事が出来ませんでした。
ごめんね。
お乳が涙で塩っぱくなってしまって。
◇◇◇◇◇
産屋というにはあまりに贅沢な環境で私と赤子は療養し、命の危険から脱する事ができたのは一月後のことでした。
そんなある日、官人の方々がやってきました。
私は何も知らされていなかったので何事かと戸惑い、驚きました。
もしかして三つ子を産んだ事で何か罰を与えられるのか心配していると、官人の一人が三人の赤子を確認してこう言いました。
「確かにそっくりな赤子だ。
報告通り、三つ子である事に間違いない。
目出度き事なれば帝に代わりここに褒美を取らせる。
乳母についても心配しなくてよいぞ」
何のことか分かりませんでしたが、三つ子を産むと褒美が与えられるのですね。
心の奥では三つ子を産む事で悪様に言われるかも知れないと心配していただけに、この子達が周りから祝福されている事がとても嬉しく、一緒にいた津守様に抱きついて号泣してしまいました。
赤子達も私につられて泣いてしまい、津守様は大慌てです。
その様子を見て、私は涙を流しながら笑うのでした。
こうして私は以前と変わりないくらいに回復して、赤子達は危険な状況であった事が嘘だった様に元気に動き、大声で泣いて、たくさんお乳を飲む様になりました。
今日は我が家へと帰る日です。
かぐや様をはじめとして、お世話になった皆さんが総出でお見送りをしてくれました。
今しか言える機会がないかも知れません。
なので、今まで気になっていた事をかぐや様に聞いてみました。
「かぐやさん、覚えてますか?
初めて会った時、貴女は私に幸せになって欲しいって言った事。
あの時は貴女が何を言っているのか分からなかったの。
まるで私が不幸じゃないって訝しんだわ。
でも今なら分かる。
こんなにも大きな幸せを私は知らずにいたって。
あの時、かぐやさんは今日のこの日がくる事を知っていたの?」
「まさかその様な事はありません。
しかし刀自様……刀自さんが本当であれば得られるはずの幸せに背を向けている様に思えたの。
だからその頑なな心を溶かして差し上げたかったのです。
刀自さん自身が子供を産む事を望んで、健康を取り戻そうとしたから得られた幸せなの。
それがなければ私は何も出来なかった。
だから私からも言わせて。
ありがとう、刀自さん」
しかしかぐや様は自身の功を主張しません。
むしろ私への感謝を口にするのです。
何て勿体無い事なのでしょう。
どん底だった私の前に現れて、どん底にいる事すら気が付いていなかった私を幸せの場へと引き上げてくれたのは、他でもないかぐや様なの。
出産した直後に見た夢に出てきた美しいかぐや様の姿は今でも目に焼きついて離れません。
正に天女様そのものでした。
「私こそあ…がとう。
本当に……ありがとう」
胸一杯に感謝の気持ちが溢れてしまって、声になりませんでした。
◇◇◇◇◇
久しぶりの屋敷へと戻りますと、人集りが出来ていました。
何事かと思っていると、どうやら三つ子を見にきた人達のようです。
褒美を貰った事もあり、この辺りに知れ渡ったそうです。
「おう、オメェら。
そんなに大騒ぎすると赤ん坊が怖がるだろうが!
いいか、遠くから拝むんだ。
静かにな」
津守様はその場を取り仕切って皆さんに言い聞かせます。
こうゆう時はとても頼りになる方です。
出産の時にはかぐや様に叱られたのに……。
「名前は何て言うの?」
一人が質問してきました。
「名前? あーまだ決めていねぇか」
そこへ私が津守様に耳打ちしました。
「名前は今決まった。
よく聞け!
一番最初に生まれたこの子は佳代だ。
二番目に生まれたこの子は久美だ。
そして最後に生まれたこの子は夜乃だ。
天女様に肖って付けたありがてぇ名前だ!」
津守様の宣言に皆さんが一斉に歓声を上げました。
その声に驚いた赤子達が一斉に泣き出しました。
オギャー! オギャー! オギャー!
オギャー! オギャー! オギャー!
オギャー! オギャー! オギャー!
「おぉーっと、そら見ろ。
赤子が泣き出しちまったじゃねぇか。
今日はこれまでな。
またちょくちょく顔を見せるからな」
こうして騒がしいお披露目は終わりましたが、皆んなに祝されている事が私は嬉しくて堪りません。
グズる赤子をあやしながら私は幸せを噛み締めるのでした。
しかし三人の赤子というのはその様な暇を与えてくれません。
毎日が戦の様な慌ただしさです。
私も乳母さんもおっぱいを放り出したまま眠ってしまう事もしょっちゅうです。
ヘトヘトになりながら育児に勤しんでいる時、その男はやってきました。
「おお、刀自よ。
元気そうだな。
三つ子を産んで帝から褒美を貰ったと噂を聞いたからわざわざ来てやったぞ」
かつて私の両親と弟を殺し、私を監禁していたあの男です。
落ちぶれた今となっては只の見窄らしい貧民と変わりありません。
「何のご用ですか?」
「ご用も何も、親代わりのワシがお祝いに来たんだ。
持て成すのが礼儀だろう。
津守殿にお前を嫁がせたおかげだ。
感謝しろよ」
何を言っているの?
親代わり?
感謝?
私の中で忘れていた怒りの感情が沸々と湧き上がってきました。
「父様、母様を殺しておいて何が親代わりですか!」
「何を言っておるのだ。
それは誤解だ。
本来はワシが家督を継ぐはずなのをボケた親が兄者を後継にしたのだ。
ワシはそれを取り戻したに過ぎん。
兄者が素直に家督を譲れば命を落とす事も無かったのだ。
ワシは何も悪くない」
「では何故私の弟まで手に掛けたのですか!?」
「それこそ誤解だ。
ワシはそんなつもりは無かった。
ただ……ただ、行き違いがあったのだ。
手下がワシのいう事を聞かずに勝手にやったのだ」
私の方へ擦り寄ってくるこの男に、心の底から怒りと嫌悪感が爆発しました。
右手を思いっきり振り上げ、力一杯に男の頬を張り倒しました。
ばっちーん!
男は勢いよくゴロゴロと転げていきました。
男は碌に食糧に有り付けずに弱っていた事もありますが、私も育児の毎日で子供達を抱えて歩き回ったおかげで腕も足も腰も全てが逞しくなりました。
持てる力の全てを注ぎ、勢いよく振り抜いたビンタは自分でも驚く威力だった様です。
その音に驚いた津守様が駆けてきました。
「刀自、何事か?
一体どうしたんだ?」
「津守様、私の家族の仇がのこのこやってきました。
感謝して持て成せと言っております」
「はぁ? 何言っているんだ?」
そう言うや否や、津守様は男の方へ駆け寄って拳骨でなぐりつけました。
「刀自を苦しめやがって!
ちったぁ反省しているかと思えば、何が持て成せだ!」
何度も何度も殴ります。
顔が血だらけになった男は抵抗する力も残っていません。
「刀自、お前はこの男をどうしたい?
生かしておけないのならオレが始末する」
「いえ、津守様にお手を煩わせるまでもありません。
どうせ反省しないのなら、反省しないまま苦しんで欲しい」
「……そうか。
分かった!
オレに任せな」
津守様はそう言うと、男を引きずって行きました。
後で聞きましたら、男を播磨の石切り場へ奴婢として送り出したのだそうです。
千貫(約3.75トン)を超える大きな石を切り出して運ぶ過酷な重労働です。
男は一生を石切り場で働く事になりましたが、事故の多い現場なので一生というのも運が悪ければ数年も続かないだろうと言ってました。
心は晴れませんでしたが、一区切りはつきました。
これからは子供達のため、津守様のため、そしてこれから生まれる佳代、久美、夜乃の兄弟のため、母として、妻として、そして女として励むのでした。
(幕間おわり)
いつもありがとうございます。
とりあえずここを章の区切りとして、次話からは第5章に入ります。
第4章であちこちに立てたフラグを回収するつもりです。
主人公を取り巻く環境に大きな変化がある……かも知れません。




