1年半ぶりの帰省
久々の日常回です。
額田様の妊娠30週が過ぎた頃、額田様からお言葉を頂きました。
「かぐやさん、先の三つ子の出産では頑張りましたね。
肩の荷が降りたところで一度、ご両親の元に帰りなさい。
貴女、昨年からずっと難波にいるのでしょう?
この前の事を思い返しますと、かぐやさんには一度ご実家へ戻らせた方が良いのではないかと思って……」
「この前……とは?」
「歌の催しよ。
あの時、多治比様の急な指示で詠った歌が恋歌なんて、もしかしたらご実家に思い人がいるのではないの?」
いえ、居るのは求婚者候補2名です。
子供の私より5つ年下と2つ年下です。
恋愛感情は全く御座いません。
でもお爺さんお婆さんには会いたいかなぁ。
……黙っとこ。
「それではお言葉に甘えまして讃岐へ戻り、両親の様子を伺いへ行って参ります。
しかしながら額田様から目を離すのは不安で堪りませんので、すぐに戻って参ります」
「ゆっくりと会瀬を重ねてもいいのよ」
「それはまたいずれ、(ずーーーーっと)先の事と致します」
「そうなの?
かぐやさんがそう言うのならそれでいいけど、心残りが無いようにね」
「ご配慮頂きまして誠にありがとう御座います。
額田様もくれぐれも重いものを持ったり、屈むようなことはなさいません様、お願い致します」
「貴女って本当に仕事熱心ね。
たまには自分の趣味に没頭するお時間があってもいいのではないの?」
私が仕事熱心というよりは飛鳥時代の人がのんびりし過ぎている様な気がします。
一日二食なので力が足りないし、灯火に使う油や蝋が貴重なため夜は早く、一日の労働時間はせいぜい4~5時間くらいです。
ではホワイトかと言えばそうでもありません。
まず休日がありません。
そして労働の対価はものすごく低いです。
もうすぐ完成する難波長柄豊碕宮で建設に携わっている人々はかなりブラックな職場環境です。
彼らは職業として工事に従事しているではなく、税負担の一つとして労役義務があり、一年のうちに二ヶ月間を労役に費やされます。
こき使う側は農繁期もお構い無しなので、田畑の世話は残された女性や子供たちです。
しかも労役中の食料は個人負担で、交通費も出ません。
現代でしたら移動のための交通費はもちろん宿泊費も会社負担。
日当も出ます。
出張が長期間に渡るのなら当然、土日祝日はお休みです。
休日に出張先で観光したとしても日当は出ます。
このような現代の価値観を持っているので、難波に一緒に来た皆には現代基準の出張手当を捻出しております。
もちろん休みも与えております。
ただ一人、例外は私だけですが。
「どうしたの? かぐやさん」
イケない、イケない。
少し呆けてしまいました。
「あ、いえ。
額田様も今のうちに休む時には休まれて下さい。
赤子が生まれましたら額田様は母上と言うご職業に就くのです。
休む暇は御座いませんので」
「そうね。そういう考え方もあるのね」
「母親となる皆様の事を考えますと、どうしても頑張りすぎてしまう様です。
故郷へ戻り命の洗濯を致します」
「命の……面白い表現ね。
気をつけて行ってらっしゃい」
こうして私は一年半ぶりに讃岐へと一度戻ることになりました。
しかし源蔵さん一家は留守番する事になりました。
こちらに何かがあったときに備えて留守番が必要なのと、子供三人を連れて往復の移動が難しいという判断です。
お土産たくさん持ってくるからね。
讃岐へ戻るのは私とサイトウ、憂髪さん、護衛さんの四人です。
護衛さんの奥さんは源蔵さん達の護衛兼サポートとして残ると申し出がありました。
護衛さんとは長い付き合いですが、いつも私達の事を心に掛けてくれて有難い存在です。
◇◇◇◇◇
着きました。
いつもでしたら二日掛かる距離を一日で走破しました。
朝イチに難波を出て、陽が落ちる前の到着です。
一年で一番陽が長い時期だから出来たことですね
それにしても全く変わりがありません。
田植えが終わったばかりらしく、水を満たした水田に苗がキレイに整列しています。
懐かしい風景が目の前に広がっています。
「あ、姫様ぁ~~」
私に気がついた領民の一人が声をあげました。
それにつられて領民の皆んなが集まって来ました。
「姫様だ」
「戻ってきたんだ」
「姫様〜、おかえり〜」
ゾロゾロと皆んなが集まってきました。
「ただいま。
でもまた難波へ行かなきゃいけないから、ゆっくりできないの」
「また行っちゃうの?」
「ここに残って〜」
「イカないで!」
「ありがとう。
それでは父様、母様にまだ挨拶していないから」
名残惜しそうな領民の皆んなを後に、懐かしの我が家へと向かいました。
門にはよく知った顔の護衛さんがいました。
「お久しぶり。
急だけど一日だけ戻ってきたの。
父様と母様はご在宅?」
「はっ! 中に居られます」
私は中へと入り
「ただいま戻りました」
と少し大きな声でただいまを言いました。
暫くすると足音が聞こえてきました。
「かぐや〜、おかえり〜。
どうしたんだい急に」
お婆さんが小走りで走ってきて私を抱きしめました。
「母様、ただいま。
三日だけ戻ってきました。
ゆっくり出来るのは明日一日だけなの。
今しか戻れる機会がないからって、額田様が暇をくれたの」
「そうなのかい。
皇子様のところでしっかりやっている様だね。
嬉しいよ」
「ところで父様は?」
「ああ、調子が悪くて少し伏せっているの。
トシかねぇ」
「大変! それじゃ私が診る」
「お願いね」
急いでお爺さんが伏せっている部屋へと行き、お爺さんの様子を見に行きました。
「父様、父様。分かりますか?
かぐやです、分かる?」
「お、おぉぉぉワシはもうダメみたいじゃ。
天にいるかぐやがワシを呼んでおる」
お爺さん、それじゃ私も死んでいる事になるんだけど。
「父様、しっかり!」
とにかく何でも良いので光の玉を当てていきます。
元気ハツラツ、栄養ドリンクの光の玉! チューン!
ストレス緩和、睡眠の質向上の光の玉! チューン!
ゴホンと言えば光の玉! チューン!
辛い鼻水、鼻詰まりに光の玉! チューン!
ダメ、全然効かない。
うーんと、うーんと、うーんと……。
胃に優しくて早く効く光の玉! チューン!
ホッカホカだよおっかさんの光の玉! チューン!
ウオノメ、タコ、イボに光の玉! チューン!
【天の声】だんだんと古くなっていないか?
ダメ、全く変わらない。
こうなったら……、
♪パッパパッパ パッパパッパ パーパパーパパ〜
ラッパのマークの光の玉!!
チューン! チューン! チューン!
すると横になっているお爺さんがポワッと光を放ちました。
やった! 効果があった!
「おぉぉ、かぐやか。
帰っておったのか。
ワシはもうダメじゃ。
最後にお前に会えて良かった」
「父様、どうしてお腹が痛かったの?」
「腹? ……ああ、餅を食い過ぎたかのう。
緑色の餅じゃった」
呆れた。
どうやらカビたお餅を食べてお腹を下していたみたいです。
この時代の人は下痢で命を落とす人は少なくありません。
全くもー。
「父様は富豪ですから、その様な卑しい事をなさらないで下さい」
「……すまん」
「それでは私は母様と積もる話がありますので、父様はお休み下さい。
私は明後日出立します」
「かぐやや、ワシも話をしたいんじゃ。
皇子様と親密になったじゃろ?」
「親密になりましたのは皇子様の妃様です。
皇子様とは数える程しかお目見えしておりません。
だから今夜はゆっくりなさって!」
「そんなぁ」
しばらく振りと思えないくらい変わらない我が家の様子に、私は何故かホッとするのでした。
ただいま、お爺さん、お婆さん。
昨日のお話でこの時代の三つ子について解説しそびれましたが、続日本紀などに三つ子、四つ子、六つ子の出産の記録が残っていて、本当に褒美が出されたみたいです。
江戸時代頃の多産に対する忌避感は畜生腹などと言われかなり酷かった様ですが、古代では必ずしも悪いことばかりではなかったみたいです。
双子の誕生を祝ってその地の地名を名付けたなんて事もあったそうです。




