納豆と額田様への報告
ようやく額田様の妊活が始まります。
刀自さんの本格的な妊活が始まりました。
結論から言いますと、最初の月は上手くいかず、翌月妊娠と相成りました。
最初の月に生理が来た時の刀自さんのガッカリする姿を見て、本当に子供を産みたかったのだと思いました。
そして翌月。
生理予定日が過ぎても10日くらい遅れる事はあるから、ぬか喜びにならないよう期待し過ぎずに期待する日々を過ごしました。
来るか、来ないか、来るか、来ないか、と過ぎていくうちにひと月が経ち、ようやく妊娠を確信したのでした。
おめでとう、刀自さん。
悪阻でオロロロロとなっている刀自さんの背中に私はそっと呟きました。
悪阻中の食事は気を遣います。
古の悪阻中の味覚といえば、酸っぱいものと土壁。
でも実際は個人によって様々です。
なので食事もバリエーションを揃えて、食べられる物を少しずつ食べられるようにしました。
妊娠中に必要な栄養素といえば葉酸。
読んで字の如く葉っぱです。
ほうれん草が代表的な葉酸食品ですが、飛鳥時代の日本にほうれん草はありません。
私も現代で妊娠した事がなかったので詳しく無かったのですが、学校の授業で習った記憶を絞り出してレシピを考えました。
……その結果、やってしまいました。
私は異世界の禁忌に手を出してしまいました。
豆類にも葉酸はたくさん含まれております。
お豆を使った健康食品。
そう、納豆を作ってしまいました。
熱湯消毒で雑菌を死滅させた藁束に煮豆を包んで、数日間放置すればわらに付着している納豆菌が煮豆を納豆にしてくれます。
周りの人はドン引きです。
こんな時は姫様の権限を使って全員に食べさせました。
その時の様子はSSに出来そうなくらいに面白おかしい有様でした。
私は生卵と納豆をマジェマジェして食べる派ですが、この時代の鶏卵は危ないので生卵は出せません。
刀自さんには納豆と雑穀米をお出ししました。
豆腐と岩海苔を合わせて食べやすくします。
納豆以外食べるものには全て光の玉でバイ菌を死滅させております。
陰でこそっと自分用の納豆卵かけご飯を食べたのは内緒♪
ちなみに妊娠週数の数え方は、一番最後の生理が来た日を開始日とし、第1週目と数えます。
なので翌月くるはずだった生理予定日の時点で妊娠5週間目です。
妊娠したとわかるまで更に1ヶ月掛かりましたので、その時点で第9週間目です。
大体40週間目前後に産まれるとしますと、8ヶ月後が出産予定日となります。
つまり出産は来年の4月ですね。
この数え方は『週』の概念がない他の人には通用しないので、私だけが使っています。
安定期まであと6週間。
しっかりと刀自さんの支援していきます。
◇◇◇◇◇
さて、額田様の妊活支援のために建設中だったお屋敷も完成が近づいて参りました。
讃岐お屋敷は私の要求をてんこ盛りにして突貫工事で建てたものですが、今回は身分も中身も尊い額田様をお招きする事を第一の目的にした施設ですので妥協をしません。
新しい試みもしました。
それは畳です。
古典を読み解く限り、平安時代には畳はあったみたいです。
しかし飛鳥時代にはイグサを編んだゴザはありますが畳はありません。
藁で編んだムシロを重ねて、その上にゴザを敷きます。
ですからマットの様にゴロゴロと転がったり、柔道場の様に受け身の稽古なんが出来ません。
【天の声】畳を見たら受身をするんかい!
残念ながら現代ではフローリングの部屋で過ごしていましたので、畳の構造が分かりません。
確か藁とかスチロール板に畳面を貼るのですよね?
畳の固さを考えますと、藁をキツく編んで重ねがけするのでしょうか?
考えても仕方がないので木の板で作ってしまいましょう。
薄い木の板の上に藁を敷き詰めて麻紐でキツく縛って、その上に向きを変えて藁を敷き詰めて麻紐でキツく縛って、それを繰り返して片面が木の板で、片面が硬く縛った藁になる様にしました。
その上にイグサで編んだゴザを上に被せて麻糸で縫い付けました。
しかし出来上がった畳もどきは分厚くて、重くて、縁が丸くなっていて今ひとつ畳感がありません。
重石で圧縮して、藁の束ね方を工夫して、何度も試すしていくうちにだんだんと畳らしくなり、どうにか半畳分の畳を12枚用意出来ました。
飛鳥時代の広さを表す単位は反(約10アール)、步(3.3平方メートル)などがありますが、1歩が1坪と同じなので、正方形の畳4枚で1歩になる大きさに統一しました。
つまり半畳です。
それを敷き詰めてみますと、障子と相まって見事な和室が出来上がりました。
イグサのいい匂いが部屋中に充満しています。
わーーい。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ……
パシーん!
【天の声】本当に受け身をするんかい!
これで額田様をお招きする準備が出来ました。
まだお化粧品とかが足りませんが、それは随時する事にして早速額田様へご報告です。
◇◇◇◇◇
先触れを出して、面会が叶ったのは3日後。
皇子様の宮へと行き、額田様に3ヶ月ぶりとなる報告に来ました。
先触れで刀自さんが懐妊した事を伝えてあるので、特に驚かれるとかありません。
「進捗につきましてご報告に参りました。
先々月、刀自様はご懐妊され、先程妊娠している事を確認できた次第です。
出産の予定は来年の4月になるだろうと思われます」
「よく頑張りましたね。かぐやさん。
三月前に会った時はもう少し手こずる言い方でしたが、案外と早かったみたいですね」
「ご紹介頂きました刀自様につきましては、子供が出来る出来ない以前の問題が山積みでした。
それを一つ一つ解決して、ようやくご懐妊のための行動を起こすまでに時を費やしました。
しかし、ひとたび行動を起こしましたら2回目の試みで懐妊することが叶いました」
「2回目?
それは2回、目合うだけで懐妊したという事?」
「いいえ、その様な数え方では御座いません。
懐妊し易い刻というのはひと月に数日しか御座いません。
最初の月では上手くいかず、次の月に懐妊したという意味に御座います」
「そんな事、初めて聞いたわ。
本当にそんな事があるの?」
「はい。
しかし人により懐妊し易い、し難いという差異が御座います。
人によっては最初の試みで懐妊したり、またある人は1年を費やす場合もあります。
また子を成さないまま終わる方も残念ながらおります。
前にも申し上げました通り、私は人より懐妊し易くなる知識を持ち合わせているのに過ぎません」
「そうでしたね。
その知識というのを教えて下さるのでしたね。
今から始めますか?」
「ええ、それでも構いません。
それとは別にもう一つお伺いしたかったのですが、当方で額田様のご懐妊と出産を支援するための屋敷を建てましたので、お気に召すかどうかご確認頂きたく存じます」
「もう産屋を用意したの?
気が早過ぎはしませんか?」
「言い方によりますと産屋の様に聞こえますが、目的が少し違います。
懐妊前からご懐妊、妊娠、出産に至るまで、額田様の心身に渡りご支援するための施設に御座います」
「どの様に支援するというの?」
「胎内で子供が健やかに育つためには特別な滋養が必要になります。
そういった食事面のでのご支援を中心とし、あくまで額田様の心の安寧を第一に考えました造りになっております」
「ふーん、それは面白そうね。
是非見に行きたいわ。
暇を見つけて伺わせて貰うわ。
その時にお話を聞かせて頂戴」
「畏まりました」
「宜しくね。
ところで一ついいかしら?」
「はい? 何でしょうか?」
「前にも聞いたけど……貴女、本当に14歳なの?」
既視感!
「え? はあ。
正確には分かりませんが、もしかしたらもう二つくらい年上かも知れませんし、もう二つくらい若いかも知れません」
「何故か分かりませんが、時々私より年上の女性と話をしている様な気がする事があるのだけど……」
ギクッ!
「えーっとですね。
アレです、あれ。
幼き時は同じ年代の子供と接する機会が無かったので、子供らしさのない子供に育ってしまったのですよ。
きっと」
「そうなの?」
「はい、おそらくは……」
「そうかしら……」
普通は肉体年齢に精神年齢が引っ張られると言いますが、私の場合、見掛けは子供、中身は不動の私のままの様です。
肉体年齢は置き去りにされたままです。
……大人気のない子供になりたい。
畳は奈良時代に出来たそうですが、高貴な方のおもてなし専用で、庶民に普及したのは江戸時代からです。
主人公が苦労した「畳床」は、稲藁を締め付け、圧縮して作ります。
最近のは木片チップボードととスチロール樹脂でできていますので、主人公が知らなくて当然ですね。
作者も細部まで調べる事が出来ませんでした。