『石作皇子』
いつに間にか白雉2年になろうとしております。
さて困りましたわ。
まさか10歳以上の年上で性格軽薄な多治比様が求婚者候補だとは、読者以外誰も予想してなかったのではないでしょうか?
【天の声】圧倒的多数派じゃないか!
ともあれ石作皇子はお父様の多治比古王様、石作皇子Jr.は息子の多治比嶋様と仮定しましょう。
『竹取物語』の中の石作皇子の性格はどんなでしたっけ?
久しぶりに移動式本棚の最奥に仕舞ってある『竹取物語』のストーリーを書いた覚え書きを引っ張り出しました。
ふむふむ……。
『石作皇子とは。
かぐやからの結婚の条件として、天竺の山奥にあるという『仏の御石の鉢』を取ってくるように言われました。
作戦開始から三年後、大和国のとある寺の鉢を(拾ったのか盗んだのか分かりませんが)しれっと持ってきたのです。
選択の雑さと工夫の無さは求婚者の中で一番です。
粗末な鉢を錦の布に包んで、造花と歌を添えて求婚しました。
(見栄え第一の人ですね)
本物なら光り輝くはずですが、その様な鉢が光るはずもありません。
かぐやは皮肉を込めた歌と一緒に突き返します。
それでも石作皇子は悔し紛れに鉢を門にポイっと捨てて、未練たらしく縋るのですが無視されました。
おしまい』
ふーむ。
控えめに申しまして、計算高いくせに阿呆の子ですね。
成功させるつもりがあったとは思えない程に杜撰な作戦です。
性格は図々しくて、みっともないと言いましょうか?
特に身の破滅もしていませんし、放っておいても良いような気がします。
それと追加情報として、覚書には秋田様の真面目な蔵書の中に『仏の御石の鉢』に該当しそうなお話を見つけましたので加筆してあります。
『法顕様という偉い三蔵法師が遺した『仏国記』によりますと……、
弗樓沙國、たぶんペルシャ?という国に仏様由来の鉢があります。
容量は二升で、色は雑色、つまり様々な色で黒が多く、光沢でテカテカしています。
一番の特徴は、貧乏な人が花を投げ入れるといっぱいに満たされてて、お金持ちがどんなに花を入れても満たされないという、えこ贔屓仕様。
(エコですね)
いえ、もしかしたらお金持ちが使うと四次元ポケット的な機能を発現するかもしれません。
月氏王という王様がこの地を支配した時、仏鉢を持ち帰ろうとしましたが象8頭でも動かす事が出来ず、反省した月氏王は塔と僧伽藍を建てました。
寺には700人の僧侶が常駐して、朝な夕なに在家信者も合わせて供養しているそうです』
つまり悪役令姫・かぐや姫は、多治比様をペルシャにまで行かせて、象でも動かせない仏鉢を700人の衆人環境の中で盗みに行かせようとした訳です。
かぐや姫本人である私が言うのもおかしな話ですが、酷い女ですね。
まるで女海賊の首領じゃないですか。
せめてレオタードの似合う三姉妹が良いです。
萬田先生と八十女さんと私だったら……、
八十女さんのレオタード姿が両脇の二人に比べて圧倒的にエチチ過ぎてR18になりそう。
……やっぱやめよ。
ともあれ、今後の方針として、
多治比親子に婚姻に関する話題を振らない、私へ振らせない。
どんな鉢だろうと、持たない、持たせない、持って来させない。
歌の催しを全力で応援して、想い人を見つけさせる。
これらを徹底しましょう。
今できる事といえば歌の催しですね。
成金の力で全力バックアップしましょう!
そして少しでも多治比様の私に対する評価を下げるため、歌の訓練は手を抜きましょう。
普段通りにやればいいので楽です。
◇◇◇◇◇
そんなこんなでもうすぐ新年。
一年振りに難波におられる皇子様へ新年のご挨拶です。
早いものですね。
「それでは父様、母様、行って参ります」
秋田様、子供の手を引いた萬田先生、両手で子供と手を繋ぎ赤ちゃんを負ぶった八十女さん、その他の家人の皆さん、そしてお爺さん、お婆さんがお見送りしてくれました。
皆さんそれぞれ一年の成長が見られます。
「姫様だから大丈夫だとは思いますが、道中気をつけて下さい」
「風邪をひかないよう、体に気をつけて下さいね」
「風にとばされないよう、気をつけて下さい」
「ご一緒出来なくて申し訳ありません。お気をつけて」
「皇子様に失礼のない様に気をつけてね」
「あわよくば皇子様に取り入れられるんじゃぞ」
まるで第117話のコピペの様な出発風景です。
お爺さんは一年前からまるで成長してません。
ルートは一年前と全く同じで、竹内道を通って多治比氏の屋敷がある丹比(※今の大阪府堺市)で一泊、そして翌日難波にある皇子様の宮へと向かいます。
ただし今回は農作物を持っていく事にしました。
讃岐で採れた農産物は舎人としてお仕事の成果物ですから、皇子様に献上する事は必要だと判断しました。
皇子様だけでなく、途中でお世話になりお刺身をご馳走になる(かも知れない)多治比様のお父様にもお土産代わりに白いお米と雑穀米を持って行く事にしました。
そうなりますと重い荷車を引いていくため、源蔵さんだけでなくもう1人荷運び要員を増やさなければなりません。
追加メンバーは、何とサイトウです。
3年間の過酷な労役と毎日保証された食事のお陰でサイトウはすっかり見違え、貧弱な坊やと言われていた彼は、今では誰もが逞しい男として認められております。
毛も生えたし。
頭髪に人一倍の執着を持つサイトウは私の言う事をよく聞いてくれます。
何故ならサイトウはサイトウの毛髪細胞の生死与奪権を私が握っている事実をよく知っているからです。
もしサイトウの中の遺伝子が優って生え際の位置が頭頂にまで届いたとしても、私の光の玉が押し戻すでしょう。
ガラゴロガラゴロ
ガラゴロガラゴロ
ガラゴロガラゴロ
ガラゴロガラゴロ……
今回、多治比様は1年間の田舎暮らしで体力がついたらしく、日のあるうちに屋敷まで独力で辿り着きました。
私は別室へと通され、源蔵さんとサイトウは下働きの人用の控えの間で待機です。
チューン! チューン! チューン!
………
どうやらお食事の用意が出来たみたいです。
案内の人に通された広い部屋には多治比様とお父様とお母様がいらっしゃいます。
「かぐや殿、久しいな」
多治比様のお父様が私を見て、親しげにご挨拶なさいました。
「はい、ご無沙汰しております。
古王様もお変わりなくお過ごしとのこと、心よりお慶び申し上げます」
「ふぉっふぉっふぉ、かぐや殿はこの一年でずっと大人になったみたいだの。
どうじゃ? 嶋の伴侶になる気になったかな?」
石作皇子(仮)がいきなり求婚です。
「嶋様におかれましては、私が大海人皇子様の舎人として相応しい教養を身につけるべく厳しくご指導頂いておりますが、ご期待に添えず心苦しい毎日に御座います。
伴侶だなんてとてもとても畏れ多くて考えられません」
「嶋よ、この様なか弱き女子に厳しいとは何事じゃ?
もう少し優しくしてあげてはどうか?」
「父上、こう見えてかぐや殿はか弱く御座いません。
むしろ私の方が厳しくされているのですよ。
見掛けで騙されてはなりません」
「ふぉっふぉっふぉ、そうなのか?
かぐや殿よ」
「か弱いと言われますと、そうではない気も致します。
しかしながら、上司でも御座います嶋様に厳しい事を致した覚えは殆ど御座いません。
それはきっと嶋様が不得手な部分について私がしつこく尋ねたのだと思います」
「殆どないと言う事は、少しは心当たりがあると言う事なんだね。
君に自覚がある事に少し安堵したよ」
「私としましても、古王様が私の様な醜女にまで嶋様のご縁談をお考えにならねばならない事に心を痛めております。
是非とも歌の催しを成功させて私なぞ比べ物にならない素敵で趣味の合う女性を見つけて頂きたいと思っております」
「そ……、それを父上の前で言うの?!」
「額田様と交わしたお約束ですので、お身内の協力を得る事はあった方が宜しいかと存じます」
意訳:身内が知ってしまえば、抜き差しなならくなるでしょ?
「だからと言って……」
「嶋よ。
其方が婚姻に前向きな姿を見せてくれた事を嬉しく思う。
これは是非、丹比をあげて後援せねばならぬな」
「はい、是非お願いします。
物覚えの悪い私のご指導に時間を取られ、額田様との大切な約束を違えてしまうのは本当に心苦しいのです」
意訳:私の事なんてどうでもいいので、とっとと意中の人を探させて下さい。
「ちょ……。
かぐやさん、急にどうしたのだい?」
「急にでは御座いません。
一年間全く進展がないまま額田様にお会いになる前に体裁を整えた方が良いかと愚行しました」
「まあ、私も放っておいた事は反省しているよ。
だからと言って父上を巻き込む事は無いんじゃないかい?」
「お一人で行動しようとするから腰が重くなるのです。
協力が得られれば、話は勝手に進んでいくものです。
私もその様な事をたくさん経験しました。(※全話参照)
ご心配ならば、密に連絡を取ってご自身が思いもよらない方向へと進まない様監視すべきと想います」
「思いもよらない方向って……」
「大した事では御座いません。
周知が不徹底なため人が集まらなかったり、
目的とする客層が集まらなかったり、
逆に思いもよらない方が出席されていたり、
準備不足で木簡も墨も用意できていなかったり、その様な事です。
準備は私もお手伝いできますが、人を集めるには人を頼るのが一番かと思います」
「本当にその手の段取りや物の考え方は官子向きだと思うよ」
「お褒めに預かり恐縮に御座います」
「褒めていないって」
「ふぉっふぉっふぉ」
少し強引でしたが、多治比様に歌の催しをやる気にさせる事に成功しました。
この調子で(嶋様の)想い人ゲットだぜ!
三蔵法師とは、仏教における経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶(法師)のことで、個人名ではありません。玄奘三蔵があまりに有名過ぎて三蔵法師イコール玄奘三蔵と思われておりますが、三蔵法師は複数おります。また、日本人の三蔵もいます。
法顕三蔵は4〜5世紀の人で、60歳を超えてからインド、ペルシャ、アフガニスタンを命懸けで旅して、経典を持ち帰ってきた偉人です。
ちなみに玄奘三蔵の没年は西暦664年で、この話の時にはご在命でした。(旗)