【幕間】御主人の羈旅・・(6)
二人の共通の話題はかぐや。
私達一行は難波を出て、陸路で赤石(※現在の兵庫県明石市)まで行き、そこから船に乗船した。
遥か向こうに見える島が淡路国だ。
距離は短いが潮の流れが速いので注意が必要だと言われた。
かぐや殿が心配するのも分かる様な気がする。
島を横目に見ながら到着したのは石屋浜(※現在の兵庫県淡路市岩屋)へと到着した。
行き来する船には大量の食材、今の季節では魚が主であるが、積み込まれているのもあった。
おそらく難波や飛鳥へと運ぶ船であろう。
美食国と言われるのも納得だ。
この光景を見たらかぐや殿はどの様な顔をするだろう、とふと口に出てしまった。
独り言が口を出た後、思わず口を継ぐんだが、衣通殿も同じ事を思い浮かべたとお互いに笑った。
淡路国を南へと進む途中、伊弉諾神宮があると聞き及び、衣通殿も是非かぐや殿への土産話にしたいと希望していた事もあり、少々遠回りになるが立ち寄った。
以前、かぐや殿が国の成り立ちと話していた伊邪那岐命様を祀っているのだそうだ。
(※第78話『混乱するチート幼女』をご参照ください)
祭司の話によると、この神宮は数多ある神社、神宮の中で最も古いという話であった。
確かに長年に渡って積み重ねられた歴史の重層さというものを感じる。
国初めの話もかぐや殿が言った通りだった。
ただ少し、衣通殿には刺激の強い話だった様だ。
その日は更に南へと進み、榎列(※現在の南あわじ市)にある淡路国造の波多門部氏に世話になった。
ついでに淡路国で鉱石の話を聞いたが、淡路国は塩や海産の他に石を運んでいるが見たことは無いそうだ。
一夜明け、早朝に国造の館を出発し、淡路国の南端の港へと到着した。
三原の阿万郷からは船で阿波国へ向かうのだが、時折この辺りの潮は濁流の如きの流れになるのでその間は船を出せないそうだ。
ここより西側の海峡は『阿波の鳴門』として知らぬ者はなく、船を飲み込む様な巨大な渦を巻くのだそうだ。
「もしかぐや様が居ましたら、大渦を見てみたいと言うでしょうね」
と、衣通殿が言ってたが、私もその様子が目に浮かび、ここでもお互いに笑ってしまった。
幸い日のあるうちに船が出て阿波国の板野(※現在の徳島市)へと到着した。
ここから目的地まで半日で到着するが、夜中に訪れるのは非常識だ。
板野で小屋を借りて一夜を過ごした。
かぐや殿が付きの者に持たせた焼き菓子があったおかげで衣通殿にひもじい思いをさせずに済んだのは行幸だった。
◇◇◇◇◇
翌朝、いよいよ阿波忌部氏の氏上殿へと向かう。
大きな川の辺りに屋敷を構え、本業である神事を執り行いながら、布を織り、農業指導や開拓を行っているそうだ。
この地において領民からの信頼がとても高い方だ、と案内をした者が言っていた。
子麻呂殿と被る部分が多そうだ。
屋敷に到着すると、すんなりと奥へと案内された。
子麻呂殿からの便りが既に届いている様だ。
私と衣通殿が座っていると、この地の忌部氏の氏上殿が来られた。
「初めてお目に掛かります。
私は阿部倉梯御主人と申します。
突然の訪問にも関わらず、お目通し頂き有り難く存じます」
「私は忌部首子麻呂の娘、衣通郎女と申します。
倉梯様のお仕事をお助けするため、父の命により同行させて頂きました」
「ようこそ来られた。倉梯殿、衣通殿。
私は阿波国の忌部氏の長をしております加米古と申します。
子麻呂殿はご健勝かな?
まさか名門の阿部氏のご子息様がこの様な田舎の者に襟を正しての挨拶を受けられるとは思いも寄りませんでした。
便りには書かれておりますが、理解出来ていないので改めて教えて頂きたいが、宜しいかな?」
「無論、ご説明します。
私は亡き父、阿部内麻呂の命により『石綿』と呼んでいる鉱石を探し、各地を廻っております。
『石綿』とは、木綿糸や麻糸の様な毛羽がたった鉱石と聞き及んでおります。
『石綿』は石と同じく燃える事がないので、『石綿』の毛羽を使って布を織り、燃えぬ布を皇子様に献上する事が目的となります」
「毛羽だった石とはどの様な色をしているのか分かりますか?」
「聞いた話では、毛羽の色には白、緑、青があるそうで、白が最も扱い易いとの事でした」
「なるほど……。
毛羽のある鉱石が有るか無いかと聞かれれば、答えは分からぬ、と言うのが正直なところだ。
その様な目で石を見た事が無いのでな」
「そうですか……」
「だが、我々はこの地で翡翠の他に朱(※脚注1)を山の中で採掘している。
そこへ行って調べてみるのが良かろう。
こちらからも案内の者を出そう。
遠路はるばる、同族の姫が貴公子を連れてやって来たのだ。
恥をかかせる訳にもいかぬのでな。
はっはっはっは」
「かたじけない。
見たところこの辺りは水は豊かですが山に囲まれている様子。
探す所場所は多そうです」
「そうだな。
ここは海の物で困る事はないが、平らな土地が少ないので稲作が難しい土地でもある。
阿波の国の者にとって米ではなく粟が主食なのだ。
私としてもこの地の者を富ませるため、どの様な事もするつもりだ。
苦労の甲斐あってこの地で織られる布は京でも好評だ。
倉梯殿の探し物がまた一つ、特産となる事を期待したいと思っている」
氏上殿の話ではこの地は決して豊かな地というわけではないみたいだ。
すると衣通殿が発言した。
「氏上様、私は讃岐国造様の地で新しい稲作を見て参りました。
見様見真似ではありますが、それをお伝えします」
「ほう、それは是非頼みたいな。
長い滞在になりそうだ。
ここが我が家と思い、ごゆるりとされて下され」
「ありがとうございます」
これまでになく、前向きに受け入れられた様だった。
衣通殿が居なかったらこうはいかなかったであろう。
こうして阿波国での鉱石探しが始まった。
◇◇◇◇◇
この地では古より朱を大穴を開けて掘り出している。
周りではずしりと重い真っ赤な鉱石を石臼ですり潰して、朱の成分だけを取り出していた。
坑道に入るついでにくまなく調べてみたが毛羽だった鉱石は見当たらなかった。
私が鉱石探しをしている間、衣通殿は田植えの指導をしていた。
側から見るとまるでかぐや殿がいる様に思える。
離れていても本当に仲の良い二人なのであろう。
こんな具合に半年以上もの間、目ぼしい場所を全て見終わってしまった。
これからどうすべきか考えている時、阿波忌部の者から景色の良い場所を案内したいと誘われた。
苦労を掛けてしまった衣通殿にも礼を兼ねて誘ってみたら、二つ返事で了解してくれた。
行った先は山の中に流れる川だったが、その川辺には切り立った崖がまっすぐ天へとせり立っていた。
壮大な景色に圧倒されそうだ。
このような時には歌を詠い感動を示すのだろうけど、私の乏しい才でこの感動を言い表せる自信がない。
衣通殿を見ると、崖に見入っている様だった。
「御主人様……」
「どうしたのだ? 衣通殿」
「あれ……」
「?」
「あそこにある石、毛羽が見えませんか?」
まさかそんな事はあるまいとは言えず、とりえず聞いてみた。
「どの石なのかな?」
「あの……緑色の石で、白い模様が蜘蛛の巣みたいになっている石……大きな石です」
「どれだ? ……!?」
まさか!?
私は出来るだけ近くで見ようと駆け足で崖に走り寄った。
「確かに! いや待て!
蜘蛛の巣が絡まっているだけかも知れぬ」
私は崖をよじ登り、石に手が届く所まで近づいた。
石の周りを手で払ってみたが、毛羽が石にへばりついている事が分かる。
これが石綿か?
焦る気持ちを抑え、落ちていた木の枝で石を掘り起こした。
ドスンッと落ちてきたその石を高々と持ち上げ、河原の大きな石にぶつけた。
がっこーん!
緑色の石はきれいに割れ、割れ目の中から白い糸状の物が現れた。
間違いない!
石から出てきた糸状の物だ!
これが探し求めていた物なのだ!
私は頭が真っ白になり、へたり込んでしまった。
長かった……。
心の奥底ではもう諦め欠けていたのかも知れない。
今尚、信じられない気持ちだ。
……やっと終わったのだ。
……御父上、私はやり遂げました!
(幕間おわり)
脚注1.
辰砂の事で成分は硫化水銀です。
古来より鮮やかな赤色顔料として重宝されました。
劇毒物取締法で毒物指定されておりますので、取り扱いには注意が必要です。
脚注2.
衣通姫が見つけたマダラ模様の石は蛇紋石です。蛇紋岩には石綿の一種、クリソタイルが数%〜20%含まれております。
紀伊半島から四国の真ん中を横切り九州の熊本まで一本線の様に延びた『黒瀬川構造帯』があり、まわりの堆積岩とは異質の花崗岩や変成岩、そして蛇紋岩を含んだ特異な地質をしております。
過去の日本で本格的な石綿を生産していたのは北海道だけで、徳島で石綿を生産していた記録はありません。しかし徳島県の真下には蛇紋岩を含んだ黒瀬川構造帯が走っていて、ここを探せば石綿が見つかるはず。(……と言う推測の上で本作のストーリーを考えました)
今回は調査が多くて、裏付けに手間取りました。
地質に関しましては、ほとんど素人なので間違いや看過できない内容が御座いましたら、ご指摘のほど宜しくお願いします。
ミウシ君が石綿を見つけたのでようやく次のステージへと進めます。