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【幕間】御主人の羈旅・・(4)

ミウシ君の観光ガイド、北陸編です。

先の震災で大きな被害を受けられた皆様には改めてお見舞い申し上げます。

震災の傷が癒えた頃、行ってみたいですね。

 (御主人(みうし)君の冒険はまだまだ続きます)


 比羅夫殿の話では、比羅夫殿の一行は渟足柵(ぬたりのき)(※今の新潟市東区沼垂)を目指すが、我々は手前の高志深江(こしのふかえ)に世話になるのが良かろうとの事だった。

 渟足柵は海に面しており、鉱石探しには向かないだろうとの事だった。


 ◇◇◇◇◇


 出発前、付きの者達の処遇について本人達の希望を聞いた。

 これまでの約二年間、ずっと行動を共にしてきた者たちだ。

 私とて彼らと離れ離れになるのは寂しい。

 しかし御父上亡き後、私は宗家ではなくなるのだ。

 宗家は阿部引田なのだ。

 経由地の磐余(じもと)で元の生活に戻るのも良い。

 比羅夫殿(そうけ)に仕官するのなら、口添えしよう。

 私についてくるというのなら、精一杯の扱いをしよう。

 どうするのか全員に聞いたのだ。

 すると彼らは意外な事を言ってきた。


「私達は内麻呂様により密命を受けておりました。

 御主人様に付き添い、行った先の情勢を事細かに調べよ、と。

 これからの政は、いずれ新羅、高句麗、唐と衝突する事態に備えなければならぬ、と。

 西は筑紫島、東は蝦夷地を従え、国土を一つにまとめ上げなければならない、と。

 御主人様が国政を任された折にはこの経験と調査がきっと役に立つだろう、と。

 そう仰っておりました」


 御父上がその様な事を……。

 すると一人が紙の束を差し出してきた。


「これが我々がこれまで調べてきた事をまとめた物に御座います。

 これは御主人様が受け取るべきものかと存じます」


 紙にはこれまで巡回した地の情勢、国造の人柄、親族、治世、人口、作付け、軍備、などの項目がびっしりと記載されていた。

 御父上は私が行う調査よりも更に大きな事を見据えていたのかと驚き、同時に施政者とはどうゆうものなのかを思い知らせれた。

 そこには親心という甘い考えは一切なく、帝の治世を盤石にするという強い意志を感じた。


「御主人様ならばいずれご自身を超える高官となれるであろうと、そう仰っておりました」


 そうか……、私は御父上に認めてもらえていたのだな。

 涙が頬を伝う。

 しかし御父上の期待を裏切る事はあってはならない。

 たった今、私の生涯の目標が出来たのだ。

 御父上の目が節穴だっだと言わせないために。


「私はいずれ阿部宗家として御父上と同じく国政の頂点へと登る。

 今の国の在り方はあまりにも未熟だ。

 悪しき者には相応の罰を。

 正しき者には相応の報酬を。

 万人が腹だけではなく、心を満たす生活が出来る世を目指す。

 もし其方たちが私についてきてくれるのなら、その理想を共に追いかけて欲しい」


「「「「はっ!」」」」


 いつかだったか、かぐや殿が言ってた言葉を口にした。

 (※第65話『皇子の呼び出し(1)・・・紙飛行機』の台詞の又聞きだと思って下さい)


 その時は単なる理想論(きれいごと)としか思っていなかったが、自分の口から出た言葉に御父上の想いが重なった様な気がした。

 ……そうなのか。

 御父上はいつもこの様な気持ちで政をお考えになっていたのだと気づいた。


 こうして我々一行は誰一人欠ける事なく、越国へと向かった。


 ◇◇◇◇◇


 本来であれば馬を使って5日で駆け抜ける予定だったが、私の付の者らが馬に慣れていないため疋田(福井県敦賀市疋田)で一旦、人員の再編成を行う事にした。

 疋田へは近江(※現在の滋賀県大津市)を通り抜け、近つ淡海(あふみ)(ほと)りを駆け抜けた。

 筑紫国へ行く時に海を見慣れた私でも、近つ淡海(あふみ)の大きさには圧倒された。

 休憩の時、淡海(あふみ)の水を掬って口にしたが塩辛くなく、確かに海ではないと分かった。

 しかしそれでも信じられない大きさだ。

 それでもその日のうちに疋田へと到着した。


 だが翌朝、比羅夫殿は寛ぐことなどせず、早々に出発した。

 目的の地は我々の予想よりも遥かに遠いのだそうだ。

 その後、高向(たかむく)の郷(※現在の福井県坂井市)、江沼(※現在の加賀市)で宿を取り、羽咋(はくい)(※現在の石川県羽咋市)まで来たがまだ半分だと言う。


 それにしても越国が北東に伸びているのは意外だった。

 私はすっかり海を北にして東へ東へと進むのだと思っていたが、日は西の海へと沈んでいくのだ。

 その事を比羅夫殿に言うと、(みやこ)の役人どもは皆そう思っていて、何度説明しても認識を改めようとしないと苦言を申されていた。

 ただ、かぐや殿が言わずともその事を知っていたのは不思議でならぬとも言っていた。

 私もそう思うのだが『かぐや殿だから』で説明できるのは何故だろうか?


 羽咋(はくい)では羽咋国造の世話になり、ゆっくりと休養が取った。

 次の日は奈呉の江(現在の富山県射水市)までの山越えになるとの事だった。

 だが、山越えは大した問題ではない。

 問題なのはそこから先は船旅になる事だ。

 この先の道は海まで山々が迫り出しており、馬では越えられないのだそうだ。


 船は目的地へは直接向かわず、頸城(くびき)(※現在の新潟県糸魚川市)で一旦停泊した。

 ここは翡翠の産地で知られた場所であり、比羅夫殿が気を利かせて立ち寄ってくれたのだ。

 だがしかし、私が想像したほど賑わっている様子が無かった。

 聞けば昔は引くて数多だった翡翠の宝玉は過去の事であり、今や儀礼以外では持て(もてはや)されなくなったのだと言う。

 宿を提供してくれた頸城国造殿にも話を伺ってみたが、石綿らしき鉱石も見たことがないと言っていた。


 仕方がなくここでの捜索は諦めて、船でさらに進んだ後、内陸の方へと進み、最も北にあると言われる高志深江(こしのふかえ)国造の元へと向かった。(※ 新潟県十日町市あたり?)

 実は高志深江国造殿は比羅夫殿とは旧知の仲であることは無論、阿部氏に連なる系譜の方であり、私も身内の様に歓迎してくれた。


 渟足柵はここから2日掛かる場所にあると言う話だ。

 越の地に慣れぬ我々のため、比羅夫殿はかなりゆっくりと進んで下さったらしい。

 越国が予想を遥かに超えて広いと言うのは、確かにその通りであった。

 おそらく蝦夷の地は更に広いのだろう。


 越国にいる間、私は貪欲に各地を周り、知見を深める事に勤しんだ。

 私が御父上の期待に応えるためには、鉱石だけを探せば良いのでは無くなったのだ。

 鉱石の調査めぼしい成果もなく引き返す事になったが、蝦夷の地の入り口となる地に足を踏み入れた事は私にとって有益であった。

 食料の輸送だけでも大仕事だ。

 兵を送り込むのが容易いことではない事を身を以って知る事が出来たのだ。


 この辺りは雪が深く、冬になると身動きがとれなくなるらしい。

 新年の宴に馳せ参じなくてはならないと通達もあり、霜月にはここを引き上げた。


 気がつけば、私が鉱石探しを始めて3年になろうとしていた。


 (つづく)


グーグルマップを見ながら、リアルな行程を考えてルート設定しましたが、一度も通った事のないルートなので不自然な点、おかしな点が御座いましたらご指摘願います。


渟足柵に関しましては『ぬたりん』という新潟市東区認定の公式マスコットキャラがいるそうです。

本名は『渟足 柵造』さん、1400歳の亀さんだそうです。

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