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【幕間】御主人の羈旅・・(3)

第106〜108話の『ミウシ君の成長』、『阿部比羅夫の来訪』でのミウシ君サイドのお話です。

 謀反を起こしたという倉山田殿とは数える程しか会ったことがない。

 しかし私には気の弱そうな御仁という印象以外何も無かった。

 あの御方が謀反を起こすとは考え難い。

 右大臣にまでになって、一体何に反抗するというのだ?

 貶めされたとしか思えぬ、と考えない者が何処にいるのだ?

 考えれば考える程、心の中にドス黒い何かで満たされていくのを感じる。


 このままではいかん!と思い直し、行動することにした。

 氏上が管理すべき氏寺に私が居ても仕方がないのだ。

 飛鳥京にある宮も程なく私とは無縁のものになるだろう。

 御父上亡き後、阿部一族の氏上は引田殿になると安倍寺で教えられた。

 付きの者たちには新たに氏上となる引田殿へ便りと共に使いへ出した。

 引き継ぎや今後のことについて一度は面通せねばならぬし、越国の疋田を地盤としているとの話だから、一度は行ってみたいと思っている。


 何故だか無性にかぐや殿や衣通殿と共にいた讃岐(あそこ)へと戻りたくなった。

 讃岐にあるあの宮は私に与えられたものでもある。

 従者を一人だけ連れて私は讃岐へと“帰った”。


 ◇◇◇◇◇


 喪に服すこと3日、讃岐で過ごすうちに段々と自分の心の中が決まっていった。

 疋田へ出した使いの者が戻ってきて、状況を伝えてくれた。

 新たな氏上となる阿倍引田臣(あべのひけたのおみ)比羅夫(ひらふ)殿は越の国の新たな役職である国司として疋田に留まるらしく、蝦夷地へ行かねばならない事が多いため、あまり阿部氏の氏上には乗り気でない様子だったそうだ。

 できれば私にその座を返上したいので、その旨話し合いたいとの事だった。


 聞き及んでいる比羅夫殿の噂は、勇猛果敢で知られる猛者であり、阿部氏の祖とも言われる大彦命(おおひこのみこと)の生まれ変わりとも称される御方との事だ。


 その様な時、かぐや殿と衣通殿が見舞いに来た。


「久しいな、衣通殿、かぐや殿。

 心配を掛けて済まぬ。」


「いえ、こちらこそ押しかける様な形で来てしまい申し訳ございません。

 御主人(みうし)様がお気を落とされているのではないかと思い、参りました次第です」


 こうして三人で話をしていると、以前のことが思い出される。

 さほど昔のことではないのに懐かしく感じるのは、色々とあったからなのだろう。

 今後のことについて聞かれたので、この3日間、考えていた事を色々と話した。


「次は越国(こしのくに)へ行くつもりでいる。

 越国でもまた新しい発見があるだろう。

 だからむしろ楽しみにしている」


 私の話に衣通殿は興味を持ってくれたが、かぐや殿は国によって風習や食べ物が違う事をさも当たり前の様に捉えていた。


「それはとても貴重な体験をなさったのですね」

 と、まるで御父上の様な物言いだった。


 かぐや殿も飛鳥から外に出た事がないはずなのだが、きっとかぐや殿の事だ。

 唐に渡った事があったとしても私は驚きながらも納得するだろう。

 だが、話が倉山田殿の件に及んだ時、つい心の奥底で思っていた事が出てしまった。


「この短い間に右大臣も左大臣もいなくなったのだ。

 私にはこれが偶然とは思えぬ。

 御父上様は病に倒れられなくなったと聞いているが、それすらも怪しく思えてしまう」


 失言だった。

 やはり二人を前にすると、私も口が軽くなってしまう様だ。


 話は秋田殿の奥方が妊娠中であるという話になり、与志古殿も出産したという話になった。

 きっと真人殿は喜んでいる事であろう。

 するとかぐや殿から思わぬ発言があった。


「先月中臣様もお忙しい中、お越しになられて生まれた子供に会いに来ました。

 その時ですね。

 内麻呂様の訃報が飛び込んできたのは」


 ……どうゆうことなのだ?

 10日間という短い期間に左大臣の御父上、右大臣の倉山田殿が飛鳥の地で相次いで亡くなった。

 そしてその亡くなった地に難波に居るはずの内臣の中臣殿がいた。

 私はこれが偶然には思えない様な気がしてきた。


 気を取り直して話を切り上げたが、心に残ったしこりの様なものがいつまでも私の心を苛んでいた。


 ◇◇◇◇◇


 数日後、かぐや殿と共に田植えの視察をしている時、突然比羅夫殿が馬に乗ってやって来た。

 最初は誰が来たのかも分からず、御父上と倉山田殿に続いて次は私かと一旦は覚悟を決めた。


「そこの子供達よ。

 驚かせて済まぬ。

 安心されよ、敵ではない」


 髭を蓄えた大男の比羅夫殿を前に、かぐや殿は一歩も引かずに私達の前に立ち身構えていた。

 何を感じ取ったのかは分からないが、比羅夫殿は慌てた様子で言葉を続けた。


「そこの平民姿の娘さん、何かしようと身構えているみたいだがやめてくれ。

 先触れもなくやって来て済まなかった。

 言い遅れたが、私は阿倍引田臣(あべのひけたのおみ)比羅夫(ひらふ)という。

 戦う事を生業とする者であるので、無粋者であるのは勘弁して欲しい。

 阿部倉梯の新しい党主がこの地にいると聞いて会いに来たのだ」


 かぐや殿は身に纏っていた緊張感を解いて返答し、私へ目を向けてきた。

 私はコクリと首を縦に振り、比羅夫殿に応えた。


「私が先の左大臣、阿部倉梯内麻呂の嫡男、御主人(みうし)です。

 かような場所まで足をお運び頂き恐縮に御座います」


「おお、其方が御主人みうし殿か。

 いや何、越国こしのくにへ来て蝦夷地への遠征準備に同行したいとの事だったな。

 返事をしようと思ったのだが、使いを出すより私が直接来た方が話が早かろうと思ってな。

 厚かましくもここへ押しかけて来たという訳だ」


 今にして思えば比羅夫殿の性格を知っており、思い立ったら行動するお方である事を知っている。

 だが初めて目の当たりにする比羅夫殿に驚きっぱなしであった。

 しかしこの後、比羅夫殿が更にとんでもない事を口にした。


「ところでかぐや殿は御主人(みうし)殿の妻殿なのかな?」


 これまで築いて来たかぐや殿との関係をぶち壊しにするかの様な発言だった。

 万が一、かぐや殿に毛嫌いされたら、それこそかぐや殿の容赦無い言葉の攻撃と理責めで、私は二度と立ち直れなくなるなるだろう。

 私は必死になって比羅夫殿の言葉を否定した。


「い、いいや違う!

 ここは帝の命で農業試験を行う場所なのだ。

 倉梯と中臣がここに宮を構えて協力はしているが、実際に行っているは讃岐国造(さぬきのくにやっこ)であり、かぐや殿なのだ。

 我々はこの地の客分に過ぎない。

 そ……その様な関係でない」


 正直、横にいるかぐや殿の方へ目を向けられずにいた。

 するとかぐや殿は何事も無かったかの様に私に尋ねてきた。


御主人(みうし)様。

 これだけのご人数を歓待される準備は御座いますでしょうか?

 もし不足で御座いますようであれば私共がご協力致しますが?」


 比羅夫殿の言葉なぞ全く意に介していない言葉だった。

 ホッとした様な、残念な様な、複雑な気持ちだ。


「そ……そうだな。

 ここへは喪に服すためにきたので、あまり備えがないと思う。

 申し訳ないがかぐや殿のお言葉に甘えるとしよう」


 ふ〜〜〜。

 比羅夫殿のこの無遠慮なところは今でも慣れないが、この時はさすがに参った。

 それ以上にかぐや殿にとって全く意識されていない事に正直なところ凹んだ。

 私はせっかく用意して貰った食事もろくに喉を通らなかったが、比羅夫殿は、美味い美味いと言いながら、2回おかわりをしていた。

 本当に勘弁して欲しいよ。


 翌日、比羅夫殿がこの地の田畑を見たいと仰るので案内した。

 行った先ではかぐや殿がいつもの格好で視察をしていた。


「ようこそおいで下さいました。引田様、倉梯様」


 その後、越の国で稲の栽培について話し合う二人に、私は全く話についていけなかった。

 越の国地理や気候など全く知らないからだ。

 いや、かぐや殿が何故知っているのか、比羅夫殿もやや驚いている様に見えた。

 私も筑紫で人との接し方も練れてきたと思っていたが、かぐや殿のは到底及ばないと思い知らされ、一人凹んでいた。

 そこへ忌部氏の者がやってきてやって来て、秋田殿の奥方が産気づいた事を知らせにきたので、せめて一言だけでも、と思い言葉を投げかけた。


「秋田殿には後でお祝いを差し上げよう」

御主人(みうし)様もありがとうございます」


 今の私にはこれが精一杯なのだ。


 その翌々日、私達はかぐや殿らに見送られて越国へと向かった。

 かぐや殿が我々の道中の食糧を用意してくれたのはその時に知り、大したお礼もできずに出立するのは心残りだが仕方がない。

 ただ……比羅夫殿がかぐや殿の事を気に入ったらしく、是非娶れなされと言うのには閉口した。

 それが簡単に出来るのならこんなに苦労していないのだ。


 ふと気がつけば、御父上を失った喪失感が軽くなっている事に気付いた。

107話でも申し上げましたが、本作では阿部比羅夫を越の国の国司として扱っております。

しかし越国にはそれぞれの地域に(大)国造がおり、比羅夫自身が国造であったという記録はありません。


乙巳の変の翌年、646年に『改心の詔』が発せられ、国造は廃止されて大和朝廷から派遣された国司が派遣され、国司の下に元・国造が郡司となるはずでした。

本来であれば同じ時期に存在し得ぬ国司と国造です。


おそらく律令制が徹底されるまでタイムラグがあったみたいで、国司が正式に現れるのはもう少し後の様です。

(もしくは『改新の詔』そのものが後世の潤色であったか、国造が完全に廃止されなかったか、です)

比羅夫が歴史の表舞台に現れるまでの経歴は、そのルーツすら曖昧なので、作者もどの様に扱っていいのか少々戸惑っております。

比羅夫にある程度の地位がなければ後世に残る戦果はあり得ないと思いますので、比羅夫が越国の国造の上の立場にあったという事で話を落ち着かせておりますが、もう少し設定を突き詰めて修正したいと思っております。

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