多治比先生の歌と社会科の授業
説明回です。
読み飛ばしても構いません。
フラグが何本か刺さっておりますので、後で見返す事があると思います。
中臣様のお子様が産まれて一年が過ぎ、ヨチヨチ歩く美々母与児ちゃん(2)の姿をよく見るようになりました。
美々母与児、略してミミちゃん。
ミミちゃんは元気いっぱいです。
大体一緒にいるのは乳母さんのお子様の英勝クン。
いわゆる乳兄妹ですね。
いつもミミちゃんに泣かされています。
罪なオンナですね。
当初は与志古様の愛情を横取りされていたかの様に思って拗ねていた真人クン(8)も、お兄様としての自覚が芽生えてきたらしく、今では甲斐甲斐しくミミちゃんの世話をして、時々おぶっていたりします。
そのうちにミミちゃんがお兄ちゃん娘を拗らせて、
「地味顔な泥棒猫がお兄様に近づかないで!」
と私を罵ったりするかも知れません。
その時は大人しく身を引くからね、真人クン。
もっとも今のミミちゃんは乳児の時から抱っこしている私を小さいお母さんかの様に思っていますので、懐いてくれています。
時々真人クンとミミちゃんが私も取り合いになりますが、さすがはお兄ちゃん、ミミちゃんに譲ってあげる優しさを見せます。
後で可愛がってあげましょう。
よしよし。
その真人クンもすっかり男の子になり、将来が楽しみなイケメン男子に育っています。
皇子様というより、王子様っぽい感じです。
そんな王子様が「おねーちゃーん」と駆け寄ってくると、私の中の半ズボン派の血が疼くのを感じます。
ざわざわ、ざわざわ
◇◇◇◇◇
ミウシ君と衣通姫が足遠くなり、私と真人クンと麻呂クンは遊んでばかりもいられなくなってきました。
特に私は曲がりなりにも皇子様の舎人として恥ずかしくない教養を身に付けなければなりません。
額田様の側仕えになる可能性もありますので、歌を詠む練習を欠かせません。
多治比様の厳しい指導が入ります。
・一昨日の歌
小糠雨 讃岐地にも 降り注ぎ
虹の回廊 西の空へと
・採点
かぐやさんは相変わらず天気を読むのがお好きですね。
もう少し心を震わせて詠んで下さい。
・昨日の歌
幼子の あんよの稽古 ヨチヨチと
胸に飛び込む 母の元へと
・採点
大体何を見て詠ったのか想像がつきます。
もっと深く人物を観察して下さい。
微笑ましいですけど、感動は出来ません。
・本日の歌
静けさや 蛙飛び込む 水の音
それにつけても 金の欲しさや
・採点
途中まで素晴らしいのに、何故下の句でぶち壊すのですか!
やり直しです。
歌人への道は厳しそうです。
あと、芭蕉先生。
ごめんなさい。
◇◇◇◇◇
さて本日は時事問題の授業です。
……と言っても子供の前で生々しい政治の話は出来ませんので、外交についてです。
生徒は私、真人クン、麻呂クンの三人、そして先生は多治比様です。
丹比は海外からの情報が入り易いので、詳しいのだそうです。
「みんなは隣接する国の名前は言えるかな?」
「はい、百済、新羅、高句麗、唐です」
「その通りですね。
真人様、よく出来ました。
この中でもっとも強大な国が唐です。
今から約30年前、隋国を滅ぼし興った国です。
隋国だった時、難波津から船に乗って留学生を派遣していました。
唐になってからは20年前に一度、留学生を派遣しました」
「どうしてもっと唐に行かないの?」
「一つは大変危険だからです。
複数の船にそれぞれ百人が乗船して唐を目指すのですが、全ての船が無事に着くとは限りません。
国博士の高向様も遣唐船に乗って帰って参られましたが、別の船の乗っていたら無事に帰って来られなかったかも知れません。
正に命懸けなのです」
「じゃあ、何でそんな危険なのに唐に行くのですか?」
「唐の政はとても進んでいて、我が国のお手本になります。
例えば隋に渡って、遣唐船に乗って帰って来た高向殿は今の政には欠かせないお方です。
それに隋や唐の仏教を学び帰る事も大切な目的です。
向こうで仏教を学んだ南淵殿がもたらした知識は私達に大きな恩恵をもたらしてくれました」
「私も唐へ行って勉強したいです」
「真人殿、志が高いことは良い事です。
大変ですが頑張って下さい」
おねーちゃんは寂しいよ、真人クン。
そう言えば……、
「はい!多治比様。
難波では衣装の違うお方がいらっしゃいましたが、その方も向こうのお方でしょうか?」
「かぐやさんが難波長柄豊碕宮で舞を献上した時かな?
おそらくは百済の王子、扶余豊璋様と善光様のご兄弟でしょう。
こちらへは10年くらい滞在しているはずです。
我が国は百済と特に親密な関係にあります」
「他の国とは仲が悪いのですか?」
「悪くはありません。
新羅や高句麗からの人達も我が国にたくさんおります。
その昔、百済と新羅に隣接していた伽耶と呼ばれる地域があり、我が国に近い事もあり行き来が盛んだったそうです。
約100年前に新羅に滅ぼされましたが、その時に多くの人達が我が国にやって来て様々な技術を伝授しました。
丹比の製鉄技術もその一つだと言われています」
「唐とは仲が良いの?」
「良くも悪くもないと言ったところですね。
唐は昨年、名君の誉れの高い太宗皇帝が崩御しました。
高宗皇帝が即位しましたのでしばらくは様子見でしょう」
「唐と戦さになったりしないのですか?」
「今のところはあり得ないと思います。
先ほど言いました百済、新羅、高句麗、そして唐は全て陸続きです。
だから争いが絶えません。
しかし彼らが我が国に攻め込むためには海を渡らなければなりません。
船に乗って来れる人数で戦さをしなくてはならないのは不利ですからね」
「海を渡るってそんなに大変なの?」
「麻呂様は海を見た事がないのですか?」
「うん、無いよ。大きな川じゃないの?」
「かぐやさんはこの前見ましたよね?
かぐやさんが教えて差し上げて下さい」
えー、丸投げ!
うーーーん。
「麻呂様は石上神宮から京まで歩いた事は御座いますか?」
「うん、凄く遠かった」
「大地はそれだけ広いのですよ。
でもね、海はその広い大地よりももっと広いのです」
「えー!嘘だー!」
「昔ね、混沌とした世界で天上の神様が天沼矛をかき混ぜてポトっと滴たって出来たのがこの大地なの。
それ以外はみんな海なの」
「じゃあ、この世は海ばかりで大地はほんのちょっとだけって事?」
「そうよ。
だけど唐は氷の大地や雨が一滴も降らない砂だけの大地、対岸が見えない大きな川なんかがあって大和よりもずっと広いそうよ」
「私は唐がどれだけ広いか見てみたい」
「真人様がそれを強く望むのなら、いつか叶うかも知れません。
でもお勉強が出来ないと船に乗せてもらえませんから頑張らないとね」
「はははは、かぐやさん。
上手に説明出来たね。
帝も諸国との関係を重要視しています。
そのうち遣唐使が再開されるかも知れませんから、頑張りましょうね」
「「はいっ」」
◇◇◇◇◇
日本史は多少勉強しましたけど、ここまで詳しく勉強する事がなかったので、外交関係で私の持っている知識もあまり役に立たなさそうです。
でも10年後日本は白村江で、唐と新羅の連合軍に大敗を期す事を私は知っています。
それ以前に百済が新羅に滅ぼされるのだから、これから日本だけでなく唐も朝鮮半島も激動の時代を迎えるのでしょう。
この先の激動の時代を思うと、暗い気持ちになるのでした。
第4章の冒頭に登場人物の紹介を入れました。
お読みになる際の参考にして下さい。




