飛鳥時代の製鉄事情
第4章始まります。
よろしくお願いします。
大海人皇子様の正式な舎人となって半年、もう夏です。
舎人になったからと言って特にやる事は変わりがありません。
強いて言えば多治比様にも農業指導をする様になった事でしょうか?
昨年言った、十五株だけ育てて一万分の一の農業体験です。
「キリの良いところで100にしませんか?」
と言ったのですが、ガンとして拒否されました。
頑固者めっ!
そう言えば、多治比様の領地では鉄や銅の加工が得意だと言ってましたが、この時代の金属加工ってどうなっているのでしょう?
気になったので、農作業が終わった時に多治比様に聞いてみました。
「多治比様、鉄器の加工ってどの様に行うのですか?」
「んーとね、秘伝というほどではないけど誰構わずに言える内容ではないんだよなぁ。
まあ、君なら口も堅そうだし、父上も君の事を気に入っているから良いか」
どうやら私は企業秘密を聞いてしまっていたみたいです。
これって産業スパイ?
「いえ、興味本位で聞いてしまって申し訳ありません。
そこまでして知りたい事では御座いませんので」
「いや、別に知られたとしても簡単に真似できるものじゃ無いし、知っている人は知っている事だから構わないよ」
「何か……申し訳御座いません」
「まあ、いいよ。
で、以前は砂鉄と炭を使って製鉄をやっていたんだ。
しかし韓人が鉄が溶けるほど迄熱くできる方法を伝授してくれてね。
それを使って、鉄を溶かして、溶けた鉄を型に流し込んで作っているんだよ」
「熱くできる方法ですか。
吹子とか?」
「今の話だけでどうして分かってしまうんだ?
知っていたの、君?」
いえ、テレビで鍛治師の人が炭火に吹子を使って酸素を送り込んで高熱にしているのを観たからです、とは言えませんね。
「扇子で仰いで火元に風を送り込めば、物は激しく燃えますから」
と、懐から扇子を取り出して適当な事を言ってみました。
「なるほどね。
だからと言って吹子を思いつくか疑問だけど、そうゆう事にしておこうか。
銅はそこまで熱しなくても溶けるのだけど、鉄は難しいね。
しかし、同じ刀剣でも銅と鉄とではまるっきり違う。
その吹子は鉱石から鉄を取り出して、鉄の塊にするのにも使えるんだ」
「そうしますと、炭の原料となる木が大量に必要になりませんか?」
「その事に気がつくかね、君は。
そうなんだよ。
最近、木や炭の不足が問題でね。
遠くから運び込んでいるんだ」
「今後更に鉄を加工しようとするなら、木を伐採するだけで無くて苗木を植林して森林を再生することもしなければやがて森は枯渇しますよ」
「そんな大袈裟な」
「多治比様が今稲を十五株育てておりますが、それを一万倍収穫するためには水も一万倍必要ですよね?
同じ様に今の生産量を十倍、百倍にした時の木の消費量を計算してみては如何でしょう?」
偉そうに言っておりますが、ニンゲンが鉄を作るために森を破壊して森の神を怒らせたという某有名アニメが 元ネタなんですけどね。
ニンゲンは嫌いだ!
私は山犬だ!ワン!
「ん〜〜〜、今がどれくらい使っているのか把握していないから、それを調べてからだね。
植林といったけどやり方は知っているのかい?」
「田植えと同じですよ。
等間隔に穴を掘って苗木を植えるのです。
ただし、同じ種の木だけを植えるとそこに生きる生物の食料が無くなり死に絶えてしまい、森そのものが変質することもあります。
出来るだけ元の森の姿を保ったままである事が望ましいと思います。
杉と檜だけを植林するなんて以ての外ですから」
飛鳥時代で花粉症になりたくありませんから、それだけは断固阻止します。
「そんなに面倒なものなのかね?」
「多治比氏がこの先10年、20年、或いは50年、100年と製鉄を行おうとするのなら、今のうちに取り組んでおかなければ、後になって後悔しても木はすぐには生えてきません。
先見の明をお持ちの多治比様が気付かなかれば、きっと誰も気付けないではないでしょうか?」
「まあ、私がどうなのかは別にして、考える事は嫌いじゃない。
折角の君の忠告だ。
参考にさせて貰うよ」
「差し出がましい事を申しまして恐縮にございます」
「差し出がましいついでに聞くけど、君は鉄がこの先重要になってくるという私の意見に賛同してくれたあれは本音なのかい?」
「ええ、もちろんです」
「剣と矢尻以外に何に使えると思っているんだい?」
「そうですね……。
農具、調理器具、工具、甲冑………、あとは文具、什器備品、建材、車、船、家電……」
「ちょっと待ってくれ!
農具ってのは鍬や鎌だよね。
調理器具ってのは鍋かな?
工具も甲冑も分かるけど、文具?
何に使うんだい?」
あ、いけない。
現代の文具を思い浮かべてました。
「いえ、紙が飛ばない様、重しにするのですよ。
ほほほほほ」
「何とも贅沢な使い方だね。
よく分からない言葉が出てきたのは別として、鉄で舟は作れないんじゃないか?」
「あ、いえ。
大きな船の表側に薄い鉄板を貼れば矢を通さないかと思いまして。
ほほほほほ」
まさか鉄で出来た船が浮かぶなんて言っても信じないでしょうし、それを動かすだけの動力も無いから鉄を使って造船する必要ありませんから。
咄嗟に織田信長の鉄張り軍艦の話をしてしまいました。
「鉄板を貼った船か……今度、皇子様に提案してみよう。
ついでに聞くけど車って輿だよね?
鉄を使ったら重すぎやしないかい?」
「いえ、中大兄皇子がこちらにいらした時、車輪の付いた輿を牛が引っ張っておりました。
車輪の軸とか軸受けに使えないかと……油を塗れば鉄同士はよく滑りますから」
苦しい言い訳です。
「なる程……。
君は鉄の性質を知った上で言っている様だね」
「あ、いえ、思いつきで言ったまでです。
そんな大袈裟なものでは御座いません」
「本当に君は……。
じゃあさ、銅はこの先も必要であり続けると思うかい?」
「ええ、鉄も銅も無くなりませんし、ずっと使われていくと思います」
「でも、銅は武器には使えないよ。
鉄で出来た武器には絶対に勝てないからね」
「銅の良いところや、銅で事足りる用途に使えば宜しいのでは?」
「君が先ほど言った農具、鍋、建材かい?」
「ええ、農具はともかく銅は鉄よりも熱を伝え易いので調理器具に鍋に良いと思います。
建材は……例えば薄い銅板を屋根一面に貼れば、火事に強い建物になります。
何より銅は鉄の様に錆びてボロボロにならず、瓦より軽いですし、年月が経って綺麗な緑色になれば風情が出ると思います」
現代でも神社の銅板葺の屋根は綺麗でしたから。
「君には銅を敷き詰めた屋根とやらがハッキリと思い浮かべる事が出来ている様だね。
それも思いつきかな?」
「え、ええ!
もちろんです。
アレです、あれ。
閃きというものです」
「プッ……くくくく。
そうかい、その閃きも参考にさせて貰うよ。
しかしそれだけではやはり銅は限られた使い方しか出来ないかもね」
「限られた使い方でも安定して大量に必要になれば良いかと思いますが?」
「限られた使い方ねえ。
もっと必要に迫られたもので無いとね。
例えば武器というのは絶対に必要でしょ?」
「そうですね……。
唐では物品のやり取りに銅で出来た貨幣という物が使われてますよね?」
「そうらしいね。
一回だけ実物を見せて貰ったけど、どの様に役に立つのか理解出来なかったよ」
「多治比様は以前、丹比の地が交易で栄えるとお話しされてましたが、栄えた結果、何を貯めるのですか?」
「それは金や銀、あるいは米じゃないかなな?」
「でもそれらは粥を一杯、魚一匹の様な日常使いには使えませんよね?」
「当然だね」
「貨幣というのはその様な庶民が日常の生活で物の対価として交換できる基準になる物です」
「しかし貨幣なんて玩具みたいな物だろう?」
「ええ、それだけなら単に丸い金属片です。
しかし複製が難しい高度な鋳造技術で作られていて、政権がいつでも金や銀と交換してくれるという保証があれば、貨幣は価値のあるものに化けます」
「うーん、確かに見せて貰った貨幣は簡単に真似できるものでは無かったね。
何でだろうと思ったけど、そうゆう理由があったんだ」
「話を元に戻しますと、銅は程よい重さがあって、鉄みたいに錆びませんのでいつまでも貯めておけます。
それに官僚1人の報酬の支払いに年間一万枚の貨幣が必要だとしたら、全員でどの位の貨幣が必要となるでしょう?
それが毎年ならば、どうなりますでしょうか?」
「それはすごい事になりそうだ。
唐で貨幣が使われているという事はいずれ大和でも貨幣が使われる様になるかも知れない。
そうなれば優れた鋳造技術を持つ丹比は貨幣を作るのにうってつけだ。
ついでに自分達用に作ってしまいたいよ」
「残念ながらそれはなりません。
先程も申しました通り、信用が伴わなければ貨幣はただの玩具です。
それに貨幣の数が多く出回りすぎると、貨幣その物の価値が下がります。
だって政権が用意できる金銀には限りがあるでしょう?
価値が薄まります。
乱造は自殺行為です」
財政難で金貨の金の含有量を減らした江戸時代に頻繁にあった出来事ですね。
インフレとも言いますが。
「一体君はどこでそんな事を……。
でも参考になったよ。
植林についてはまた相談させてくれ」
「ええ、そのくらいのことでしたらいつでも」
ふー、危ない危ない。
何とか誤魔化せました。
【天の声】いや、限りなくアウトだったぞ。……と言うか本気でそう思っているのか?
多治比嶋の弟、多治比真人三宅麻呂が和銅開陳の鋳造に大きく関わっております。
最近、和銅開陳より古い富本銭が最古の貨幣としてクローズアップされてますが、おそらく日本初の流通貨幣は和銅開陳で間違いないと思います。