【幕間】鎌足の焦燥・・・(2)
昨日の前書きで「第二章の直前のお話です」と書きましたが、「第三章の直前のお話」の間違いでした。
お詫びすると共に訂正致します。
本話は「突然の皇子様の来訪」の鎌足サイドのお話です。
(前話に続き鎌足様視点のお話です)
葛城皇子の宮が何者かに放火された。
誰がやったかは明らかだ。
しかし、今はそれどころでは無い。
一先ず、大原の我が生家へと引っ込んだがこの屋敷には食料の殆ど無い。
何よりこの屋敷は塀すらも無く、守りは無いに等しい。
10人ほどの兵で攻め込まれれば、次こそ火を放たれて皇子を守り切れぬであろう。
どうする。
次の瞬間、閃いたのは讃岐の地に建設した宮だ。
与志古と息子の真人が住んでいるあの宮だ。
そして、あのかぐやの居る讃岐の地だ。
……何の根拠も無い。
しかしあの娘ならこの苦境をどうにか出来るのでは無いかと期待してしまうのだ。
あの幼い娘に何を考えているのか自分でも呆れてしまうが、少なくともあの娘なら正解を示してくれるような気がするのだ。
おそらく私は疲れているのだろう。
とにかくここには長居出来ない。
讃岐造麻呂に皇子が訪問する旨の先触れを出した。
我が屋敷にも、いざとなったら国造に協力を仰げとの言葉を添え、相応の準備を頼むよう遣いを出した。
出立は明日の早朝だ。
◇◇◇◇◇
京にある中臣の宮に居た者をほぼ総て動員した。
それでもたったの25人だ。
皇子の元に残った5人と併せても30人。
人を分散させすぎた事を今さら後悔しても遅い。
この連中だけで出来ることをするだけだ。
宇麻乃には体調の優れない皇子のために輿を用意させた。
気が利くことに車輪が着いた牛で引く輿を持ってきた。
これで少ない人数を守衛に回せる。
その後、宇麻乃には道中の安全の確保を頼んだ。
ぶつぶつとと文句を言っていたが非常時だ。
我慢して貰う他はない。
文句のついでに火事で逃げ去った者達の足取りを聞いてやったが、めぼしい話は無かった。
単に火事が怖くて逃げたのと、ドサクサに紛れて宮の調度品を持ち去っていたから戻れなくなった者ばかりだそうだ。
その後の事は聞いていないが、おそらく処分したのだろう。
戻ってくることはあり得ないそうだ。
翌朝、周りに不審な者たちが潜んでいない事を確認し、早々に大原を後にした。
讃岐までの道中は宇麻乃の手による者が警備に当たっており、安全を確保してあった。
それでも安心は出来ない。
常に緊張を保ち、讃岐まで休憩を取らずに突き進んだ。
讃岐に入ると、宮の前にはこの地の国造やかぐやを始め、見覚えのある者たちが待っていた。
しかし、一刻も早く皇子を休ませなければならない故、その前を素通りして宮へと入って行った。
その後の段取りについては宇麻乃に任せてある。
早速、かぐやらは舞の献上に来た。
皇子の要求に応じたものだ。
何故か知らぬが皇子はかぐやの舞を気に入っているのだ。
観ると活力が湧いてくると言っている。
私には分からぬが、周りの者も同じ事を言うのだからその通りなのだろう。
【天の声】実を言うと、かぐやは勘の鋭い鎌足を警戒して、鎌足だけには光の玉を一度も打った事が無いのである。
楽団、舞子らが揃い、皇子の前でかぐやが挨拶をした。
「讃岐にお足を運び頂き、感謝に絶えません。
歓迎の意を舞にて表したく、御前にて舞を披露致します。
僅かでも心のお慰みになれば幸いで御座います」
ここで長々と挨拶をされるのでは無いかと心配したが、かぐやに限って言えばそれは杞憂であった。
本当に聡い娘だ。
「其方は一昨年あった童子か?
久しいな。
其方の舞は見ていて活力が出てくる。
頼むぞ」
力の無い声だが、余程楽しみにしていたのであろう。
らしくもなく、皇子は下の者に言葉を掛けた。
それを見て私はかぐやに目で合図した。
こちらの意図を言わずとも読んでくれる者の何と有難いことか、と思う。
♪〜
舞が終わると、皇子がかぐやに声を掛けた。
「かぐや、だったかな?
やはり其方の舞は良いな。
自分は疲れてなどおらぬと思っていたが、そうではないと気付いた」
皇子の声が先ほどに比べて明らかに張りが違う。
かぐやの舞に相当力付けられたようだ。
命を狙われたという事実は思いの外、心を苛むものなのだ。
疲れている事に気付いたという事は、疲れの山を越えたということだな。
あとは良くなるだけだ。
◇◇◇◇◇
翌日、かぐやを呼び出せと皇子が仰せなので、宇麻乃を遣いに出した。
「どうした? あの娘は。
私を待たすとは不敬ではないか?」
「今の皇子の状況を考えますに小娘であっても厳重に身辺を調べております故、今しばらくお待ち下さい」
庇うつもりは無いが、遅くなる理由を知っている以上、一応断っておく。
あの娘の事になると私も甘くなりがちだと自分でも思う。
予想より早く到着した様だ。
宇麻乃の独特の声がした。
「讃岐造麻呂の娘、かぐや殿が到着しました」
「通せ」
かぐやは深々とお辞儀をして遅くなった詫びをした。
本来なら皇子が構わんと一言言えば良いのだが、何故か何も言わない。
仕方がないから助け船を出す事にした。
「かぐやよ。
此度の皇子の滞在に際して、欠けることなく準備を進めてくれたことに感謝する。
幾つか聞きたいことがあったので来てもらった」
「はい、何なりと」
「では、これまでの収穫を増やすために行った取り組みについて簡潔に話せ」
『簡潔に』の意味が分からぬ輩は多いが、さすがかぐやは要点を絞り分かり易く説明をした。
昨年水害が襲ったと聞いていたので気になっていたが順当である事に少しホッとした。
だが皇子は別の事が気になっていた様だ。
「かぐやよ。
堆肥を与えるとのことだが、堆肥とは糞尿だと聞く。
其方は余に糞尿まみれの米を食わすのか?」
どうやら、皇子はかぐやを虐めて楽しんでいる様だ。
土下座の様に丸まっている幼子が何と言い訳をするのかを面白がっているみたいだ。
かぐやには気の毒だが、これで皇子の憂さが晴れるのなら安いものだと考え、しばらく傍観する事にした。
殆ど子供の様な事を言い出す皇子に呆れながらも、皇子の気が晴れてきた頃合いを見て、かぐやを解放する事にした。
「かぐやよ、面を上げなさい」
ところが皇子は質問を続けた。
「かぐやよ。
鎌子の話では其方は歳に似合わず知恵が回ると聞いた。
一つ知恵を貸せ」
「何に御座いましょう?」
「火災を無くすにはどうしたらよい」
皇子がかぐやを呼び出した目的はこれか?
だが、かぐやは突然の話題の変化に頭がついて来ないらしく、皇子の問いに答えきれずにいるようだ。
話の振り方が滅茶苦茶なのだから仕方がないのだが、
「火災を完全に無くすというのは人の手に余るかと存じます」
……という言葉が皇子の逆鱗に触れたみたいだ。
「では其方は火災に逢えば死ぬしかないと申すのか?
使えぬな。其の方は」
思わず、使えないのではなく、聞き方に問題があると言いたくなったが、それを言えば意固地になるだけだ。
私が聞き方を変えて再び尋ねた。
「かぐやよ。
被害を最小限にすると言ったが、どうするつもりだ?」
「優先すべきは人の命と考え、燃え始めると消すのが難しい物、例えば炭や油などは離れた場所に隔離します。
火災は初動が重要ですので、例えば至る所に水桶を常備するなどしてすぐに消火する体制を整えるのが肝要かと存じます。
建物そのものの構造を必ず2カ所以上逃げ道のあるよう設計し、火に閉じ込められる事が無きよう備えるのも一つの手段かと存じます。
火災の被害は炎と思われがちですが、実は煙に巻かれるのが怖く、煙を逃がしやすい構造にするなどの工夫が有効かと存じます。
そして何よりも一番大切に御座いますのは人です。
いざという時、自分が何をすれば良いのか分からなくなるそうです。
例えば年に一度、日を決めて特定の場所に火災が発生した事を想定した訓練を行うことで、被害を減らし、日々の生活でも失火に対する意識の向上に役に立つだろうかと愚考致します」
かぐやの返答に私は思わず膝をポンと打ちたくなった。
かぐやの答えは、正に私が望む答えそのものだった。
あの火事の時、私の焦燥が如何ばかりのものであったかを知っているかの様な答えだった。
もしこの事を私が事前に知っていれば、あの様な惨事は免れていたであろう。
だが、先日の火事が心の火傷の様にこびり付いている皇子はその様な予防策ではお気に召さない様だ。
何故ならかぐやは火事の原因を把握していないからだ。
焦れた皇子は先日あった事を言い出した。
「火災の理由は放火だ!」
本当は内密にしたかったのだが……。
「なれば……
屋根は瓦屋根にすべきでしょう。
外壁は土に藁、石灰など練り込んだ土塀にします。
敷地内に水を確保して消化の際の水源とします。
物見台を設置して、いち早く火元を見つけられる体制を整えます。
貴重な品は、土壁だけで囲まれた蔵に収納するのが良いかと」
それに対してもかぐやはスラスラと答えていく。
一体この娘の頭の中はどうなっているのだ?
「高向の話によれば、唐には火鼠の衣なるものがあるそうだ。
それを手に入れれば良いと言っておったが其方はどう考える」
それでも尚食い下がる皇子が無茶を言い出したのだが、おそらくこれは嘘だろう。
その様な暇は無かったはずだ。
何かの書に書いてあったか、噂話で聞いたのかのいずれであろう。
しかし、それまで平静を装っていたかぐやがこの瞬間だけ動じた様に見えた。
……何か知っているのか?
「恐れながら。
私には火鼠の衣が実在するかすら分からず、お答えに窮します」
期待の反してかぐやは知らないと言う。
何かありそうだ。
後で確認せねばらるまい。
(つづく)
ポンと膝を打つ、という表現は山岡壮八の時代小説によく出てくる表現だったと思います。
飛鳥時代の人がなるほど!と思った時、膝を打ったかどうかは分かりませんが、そうゆう気分だったと言う事で。