飛鳥時代の乳バンド
タイトルの通り下着ネタです。
乳という言葉を連呼していますので、不快に思われる方は読み飛ばして下さい。
♪〜
今、私は舞の稽古中です。
難波はとても楽しい思い出”でした”。
特に額田様にギュッっと抱きしめられたあの感触は……ムフフフ。
皇子様とは2回ほどお目見えして、正式に舎人として辞令を受けました。
今までは試用期間だったのですね。
大伴様からは会う度に多治比様の嫁にならぬかと揶揄われました。
多治比様は……居たっけ?
宮に外在中、何故か顔を合わせることが少なかった様な気がします。
帰り道も順当で、丹比の地に立ち寄った時にはまたまたお刺身を堪能しました。
山道の途中で多治比様がヘタったのも想定内です。
だって行きは全体的に下りですが、帰りは登り道が多いですから。
仕方がないので少しだけ疲労を回復する不可視の光の玉を当てて差し上げました。
それもこれも今では楽しい思い出。
来月の難波京での催しで舞を披露するため、自宅の大広間でひたすら稽古です。
小正月(1月15日)までは忌部氏の催しがありますので、ひたすら自主練です。
傍らには生後8ヶ月の赤ん坊を抱えた鬼コーチがいます。
かぐやよ、エースを狙え!
いえ、実のところそれどころでは無いのです。
そんな事よりも、もっと可及的速やかにやらなければならない優先度の高い重大な事案があるのです。
私はこの正月で数えで13歳になりました。
現代で言えば小学5年生の冬休み明けくらいです。
何と、私にもお胸が生えてきました。
喜ばしいことなのですが、先っぽが擦れて痛いのです。
現代で同じくらいの歳だった時はジュニアブラを着用していましたが、飛鳥の京へ行ってもそんなのは無いと思います。
ならば作るしかありません。
しかし日本人にとってブラの縫製は難易度が高いのです。
日本の着物は平面も生地を直線的に縫い合わせるのですが、ブラは立体形状です。
明治維新の文明開化でも立体的な形状をしたドレスの縫製に苦労したそうです。
(と、服飾科の先生が授業で言っていました。)
しかし方法はあります。
私の現代での記憶で一つだけ当てはまるブラがあります。
『手ぬぐいブラジャー』です。
これならばワイヤーもゴムも必要なく、基本的に布と紐で作れます。
長手方向に紐通し口を縫った手ぬぐい生地を背中からフロントホックみたいに前で合わせてアンダーバスト部分を紐で縛ります。
そして手ぬぐいの背中部分から肩を引っかけて手ぬぐいを上には引っ張り上げるようにして、手ぬぐい生地の短手方向をV字に切り落として縫った紐通しの穴に通して、胸の前で縛る、という代物です。
という事で、縫部さん召喚!
自分用の前に先ずは第三者で試してからにします。
候補者は……
衣通姫は行儀見習いでずっと飛鳥へ行っていますので断念です。
萬田先生は………ごめんなさい。
赤ちゃんに吸われて貯蔵庫が空っぽですね。
となりますと豊満バストの八十女さんしか居ません。
という事で、八十女さん召喚!
子供も付いてきました。
この時代の日本には綿がまだありません
絹にしようかとも思いましたが、授乳中の八十女さんに負担のない生地ということで大麻にしました。
これは与志古様が出産した時に生まれたばかりの赤ん坊に刺激の少ない布紙をと探した柔らかい繊維が特徴の麻布です。
言うまでもなくブラをする一番の目的は垂れ防止です。
喪女の私ですら垂れるのは嫌です。
しかしワイヤーが無く、カップが無く、伸縮素材が無いこの時代で、恵まれた機能満載のブラを作るのは不可能です。
なので、乳首の保護と揺れ防止に重点を置いて試作してみましょう。
「では、八十女さん。
真っ直ぐ立って手を横に広げて」
「はい、姫様」
トップレスの八十女さんがバーンとお乳を出して実験台を務めてくれます。
生地は1メートルだと縫い口が縫えなさそうなので、1.5メートルのヘンプ生地を巻き付けます。
そしておおよその位置に印をつけて、どこを縫って、どこに紐を縫い付けるか決めました。
「はい、しばらく服を着て休んで」
「はい、姫様」
「マンマ、マンマ」
あらあら赤ちゃんがオッパイを欲しがっています。
縫部さんが作業している間に授乳です。
先ずは大まかなサイズを見る為なので仮縫いでサクッと作りました。
「じゃあ、八十女さん、もう一回お願いね」
「はい、姫様」
私と縫部さんとで、八十女さんの胸の周りをチェックしながら不具合がないか調べます。
八十女さんのお胸はアンダーとトップの差が大きいので、バランスが難しいですね。
「ここをもう少し削りたいですね」
「ええ、あとこの紐では細くて切れそうなので、生地を変えてみます」
「八十女さん、肌の当たり心地はどう?」
「全然気になりません」
………
こうして約1時間後、試作第一号が出来ました。
「八十女さん、どう?」
「これ良いです。
胸が揺れ難くなるので体を動かすのが楽になります」
「大きいと体を動かし難いんだ……」
とりあえず第一段階はクリアです。
次は私の番ですが、その前にどうして試したい事があります。
それは垂れ乳の再生です。
クーパー靭帯という組織が乳の張りを保って重力に逆らう力となるのですが、これが加齢とともに伸びます。
ブラをしないと伸びます。
激しい運動をして揺さぶると伸びます。
伸びたら形を保つ力が減って垂れます。
名前こそ『靭帯』と付いていますが、筋肉ではありません。
鍛えようが無いのです。
決して不可逆的に戻らせないという、神が仕組んだ老化システムの中でもかなり残忍な仕組みです。
しかし、敢えて私は神に逆らいましょう。
「八十女さん、少し仰向けに横になって」
「はい、姫様」
出よ、光の玉!
「八十女さん、何か異常を感じたら言ってね」
私は現代での自分のお胸をイメージして、損傷の少なかったクーパー靭帯をイメージします。
……訂正します。
20代前半の若々しいピチピチだった頃のお胸をイメージします。
………。
行きます!
チューン!(左) チューン!(右)
左右両方の乳に光の玉を一個ずつ当てました。
大きな乳が仄かに光りました。
「どう?八十女さん」
「何だか胸がキュッとなった気がします」
「じゃあ立ってみて」
「はい、姫様
……おおおおお、オッパイが上がっている!
まるで子供を産む前みたい」
やった!成功です!
明らかに乳首の位置が違います。
これで補正ブラジャーが無くても、垂れ乳を撲滅出来ます!
さすがサイトウの死滅した毛根細胞を甦らせるだけの事はあります。
「あ……、あの、私にもお願い出来ますでしょうか?」
縫部さんが私に光の玉のおねだりです。
もちろん世のため、人のため、乳のため、快く引き受けました。
チューン!(左) チューン!(右)
「うああああ、ありがとうございます!」
縫部さんが感動の土下座を始めてしまいました。
気持ちは分からないわけではありません。
でも次いきましょう。
「それじゃ、次は私のを作りましょう」
「「はいっ」」
ものの30分ほどでブラは完成しました。
生地も八十女さんの半分くらいで済みました。
……グスン。
追伸.
後日、萬田先生にも手ぬぐいブラジャーを作って差し上げました。
ブラの中に母乳受け代わりのボロ布を入れていたのですが、日に日にボロ布の量が増えています。
謀らずも、日本初のニセ乳さんが誕生しました。
調べれば調べるほど、下着の進化はもの凄いですね。
古代の材料で現代に比する下着を作るのは無理との結論となり、諦めました。